その四
『情報は拾えたか?』
俺は彼に問いかける。
『ああ』
『”我が社は個人情報の保護に努めています”なんて嘘だな。ちょろいもんさ。あんなプロテクト、今時ある程度パソコンの知識があれば、簡単に破れるよ』
彼はパソコンのモニターから目を離そうとせず、片手でピンク色をした、少し平たい”何か”を俺に渡す。
USBメモリーだ。
俺はそいつを受取るとポケットを探り、二つ折りにした札(十万円ほど)を太いゴムバンドで留めたものを手渡した。
玉川からいい風が吹いてくる。
アルミの枠にビニールシートを器用に切って張った窓が上に持ち上げてあり、そこから入ってくるのだ。
『この小屋、少し立派になったな』
『小屋だなんていうな。これでも俺の立派な”マイホーム”なんだぜ・・・・リフォームしたのさ。それだけ』
むっつりとした調子で彼が返した。
彼の名前は”馬さん”
職業ホームレス兼ハッカー。本名不明、年齢不詳、前歴その他、何もかも不明。
しかしハッキングの腕前は他者を凌ぐものがあり、どんな堅いプロテクトも難なく破ってみせる。
俺は探偵だ。従って自ら不正を犯すことは出来ないが、彼になら頼める。
だから俺も彼がどうやってハッキングをしているか、その点については何も知らないし、聞くこともない。
『あんなところ、調べたって何の価値もありゃしないぜ。スカスカだ。まともに登録しているのは男だけ、女は半数以上、いや、殆ど全部が”サクラ”だ』
要するに簡単に言えば、馬鹿を見ているのは男だけで、女は全員サイト側に雇われたバイトで、気に入らない男がいれば、適当にあしらってポイントを買わせているという訳である。
『余計なことかもしれんが』彼は相変わらずモニターの画面から目を離さずに言った。
『その事実、依頼人に伝えるつもりかね』
『当たり前だ。プロだぜ、俺は』
『さぞかしショックを受けるだろうねぇ。まあ、俺には関係ないが』
馬さんが俺の仕事に口を入れてきたのは初めてのことだ。
『余計なことは言いっこなしだ。俺もあんたの仕事には口を挟まん。そういう約束だろ?』
『違いない』
彼はそれ以上何もいわなかった。
俺はカーペットから立ち上がり、靴を履いて表に出た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
次の日、俺は中野にある雑居ビルの前に立っていた。
馬さんのUSBに入っていたデータ通りだとすれば、ここの三階に件の出会い系サイト”カトレアクラブ(如何にもな名前だ)”
の事務所がある。
俺はところどころ壁にシミのできたかび臭い階段をゆっくりと上がってゆく。
三階のオフィスは一つきり、しかもそのドアには何もプレートが出ていない。
ノブを回すと、ドアにはカギはかかっていなかった。
中はがらんとしていて、事務机が二つと古びたパソコンに固定電話が二つあるきりだった。
『何か御用ですか?』
間延びしたような声が後ろから聞こえた。
振り返ってみると、ビヤダルに手足をくっつけたような女性が一人、俺の方を胡散臭そうな眼付きで眺めていた。
『・・・・』
俺は黙って
『社長は今日は留守で、一日中帰ってきませんし、私もただの事務員ですから、事情はお話出来ないんですけど』という答えが返ってきた。
仕方ない。また出直すよと俺が帰りかけると、
『おう、待てや』
今度はドスの効いた声が聞こえる。
振り返ってみると、そこには角刈り、派手な背広、三白眼という、”典型的な怖い筋”という風体がお似合いの男が立って、こっちを睨みつけていた。
『話なら俺が聞こうじゃねぇか』
精一杯ドスを効かせたつもりなんだろう。
目を向いてそう口にしたが、俺は別に何とも思わなかった。
三分後、俺は拳を撫でながら、JR中野駅に向かって歩いていた。
ええ?
(肝心なところを端折るな)だって?
こうして俺が五体満足で歩いているってことが、何よりの証拠だろ?
ただ、流石に素手はきつい。
”次は新小岩か・・・・”
俺は電車に揺られ、窓の外の景色を眺めながら、拳を撫でた。
次からはタクティカルグローブぐらいは持ってくるとしよう。俺は心の中でそんなことを誓っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます