その三
俺はコップの中のコーラを一気飲みし、腕を組んで考え込む。
どうしようかと迷った。
本当ならここでいつ通り、
(私は恋愛と結婚、離婚に関する調査は原則受け付けない)と、すげなく口に出してしまうところだ。
しかしこの佐藤弘君の真面目そうな顔を見ていると、そうも言いきれなくなってくる。
『やっぱり、駄目でしょうか?』
彼は俺のやり方を平賀弁護士から聞いていたのだろう。不安そうな視線でこちらを見る。
『・・・・とにかく先を続けてください』
俺はシナモンスティックを取り出しながら、促した。
彼はほっとしたような顔つきで、また話し始めた。
”かなえ”さんとのやりとりは、一日に最低でも二回のペースだったという。
多い時には三回から四回になったこともあったが、それは稀で、大抵は朝起きた時と、夜寝る前だけだった。
内容は、何も特別な話をするわけではない。
”おはよう”
”こんばんは”
”お休みなさい”
”今日は〇〇に行きました”
”そう、頑張ってね”
”今日、会社で嫌なことがありました。”
”気にしないで、私がついてるから”
後は好きな映画の話とか、読んだ本の話、好きな食べ物の話とか、大体そんなところだそうだ。
ああ、彼はメールの中では最初ハンドルネームで『だいすけ』と名乗っていたが、今では普通に”ひろし”と名乗っている。
従って向こうも彼のことを『弘君』とか、時には『ひろくん』なんて呼んでくれることもあるそうだ。
佐藤弘は、最初の内は別の女性ともメールのやりとりをしていたが、そのうちに話が合わなくなったり、向こうから”別に好きな人が出来たから”という理由でやりとりを打ち切ってしまったりして、最後に残ったのが”かなえさん”だけになった。
彼は何度かメールで”逢いたい”という旨を書き送ったが、向こうからはいつもはぐらかされるばかりだった。
”まさか、俺、騙されてるんじゃないか”と疑ってみたこともあった。
幾らお人よしの彼だからって、其の位の疑問が湧いたって、不思議ではなかろう。
たまりかねて彼は何度か事務局に”サクラ”の問題について問い合わせてみたことがある。
しかし当然ながら向こうからは、
”ウチではそんなことはやっていませんし、犯罪行為に触れることも奨励してはいません”という、木で鼻を括ったような解答メールが返ってくるばかりだった。
俺は一通り佐藤君の話を聞き終えると、
『分かりました。要はその”かなえさん”なる女性が実在するかどうか、その実態について調べてくれと、そういうことなんですな?』
『そうなんです。是非お願いします』
膝に両手をつき、コメツキバッタみたいに頭を何度も下げる。
『・・・・調査料金は一日基本六万円、他に必要経費。あと、もし仮に拳銃などが必要だと判断した場合は、プラス四万円の割増を危険手当として付けます。その他細かくはこの契約書に』俺はそう言ってデスクのブックエンドに手を伸ばし、プラスティックのファイルケースから、書類を一枚つまみ出した。
『それをよくお読みになって、納得されたら一番下にサインをお願いします。それから調査に入りましたら、百%私のやり方でやらせて頂きます。それもご承知いただけますか?』
彼は書類を丹念に端から端まで読み、それから最後の頁にボールペンでサインをし、
何分よろしくお願いいたしますと、また数回頭を下げた。
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