グリムシスターズ

東風

はじまりはじまり

 眠れぬ夜は魔女を呼べ。 星は瞬き。 月は笑う。

 全てを呑みこむ暗闇も、すぐに舞踏会へ変わるだろう。

 涙で頬を濡らすより、歯を見せるほど笑い合おう。

 怒りで拳を握るより、隣のあの子の手をとろう。

 辛いことがあるならば、魔女に相談してみよう。

 君の命と引き換えに、ひとつの魔法をさずけよう。


 ◆◇◆◇


 本日より一週間の謝肉祭を迎えたハーナウの村は、普段とは段違いの活気にあふれていた。

片田舎の一祭りではあるが、多くの街道が交わるその立地から、周辺の村々を巻き込んだ一大イベントとなっている。そのため、ちょっとした名物になり、商人、貴族、旅人の楽しみの一つとなっている。

「わあ、見てくださいましお姉さま方! こんなにも賑やかなお祭り、都でもそうそうありませんわよ!」

 村の入口に駆けよる一人の少女、サンドリヨンが、装飾された大きな看板を見て喜々とした声を上げる。

川の流れのようなしっとりとした金髪に宝石をはめたような瞳、背は低いが健康的で引き締まった体型の少女は、後ろにいる二人の同行者に向かって手をふる。

「まあまあ、サンちゃん、そんなに走っちゃダメよぉ」

 はしゃぐ少女を、淑女然とした背の高い美女がたしなめる。外見は少女とよく似ているが、金髪は柔らかなウェーブを描いており、体型においては少女とは違い、女性のラインをさらに艶めかしく映している。

「ごめんなさいスリ姉さま。でも久しぶりにちゃんとした村に着いたから興奮しちゃって……」

「気持ちはわかるわぁ。でも、いいこと? 淑女たるもの常に気品を持って礼節と――あふ、」

 妹の頭に手を置いた長姉、スリーピィは、空いた方の手で口を押さえる。それは淑女がするには非常に大きな、欠伸だった。

「ふぁあ、ともかく眠くなってきたわぁ。どこか休める場所を探さない? サンちゃんもグレーテちゃんも疲れたでしょ? ねぇ?」

「お姉さま……自分が眠いだけでしょ」

 サンドリヨンは呆れながら姉を見つめる。そして思い出したようにもう一人の姉の方へと視線をやる。

「……グレィ姉さま? 何をそんなにきょろきょろしているの?」

 呼ばれた次姉、グレーテルはサンドリヨンに目もくれずに、周囲を見回しながら小さな声で答える。

「うん、おそらくこの村にいるよ。私のお兄さまが。ああ、長らく探していたけど、やっと会えるんだ……」

「またいつもの病気ですかお姉さま。私たちに兄はいませんよ? 戻ってきてください」

 サンドリヨンは冷静に言い放つが、グレーテルは意にも介さず、芝居がかった仕草で空を仰ぐ。くせ毛によってところどころ跳ねているが、やはり美しい金の髪を持つ美女が堂に入る仕草をすれば、絵にもなる。

「ああ、そうだね! そういうことになっていたよね。残念だけれどサンドリヨン、物事の九割は目に見えないことなんだ……そんな簡単に現実を信じてはいけないよ」

「いえ、どちらかと言えばお姉さまが物事の九割をあえて見ないようにしてるだけですし、現実を信じないようにして誤った方向に進んでますよ?」

「ああ、そうだね! わからないよね! あなたはまだ若いんだ……でも、そのうちにきっとわかるよ」

 話の通じない姉に対し、サンドリヨンは話を切り上げた。姉二人と話していては日が暮れてしまう。

 せっかく祭りの時期に合わせてこの村に来たのだから、ここで時間をかけるわけにはいかない。

 サンドリヨンは自分の苦労性を呪いつつも、ひらりとスカートの端をつまんで姉たちに首を傾げる。

人々の前では、淑女たれ。母の教えを守るように。

「それではお姉さま方。宿とお兄さまを探しに、もう少し賑やかな場所へと行きませんこと?」


 ◆◇◆◇


 謝肉祭の初日から、スノウ・ホワイトの心持ちは暗雲たちこめるものであった。果樹園で作っているりんごを謝肉祭にて販売することは毎年恒例の行事なのだが、今年に限っては違う。

「はあ……弟たちになんて言えばいのかしら」

 家に残してきた七人の弟妹たちを思い浮かべる。いたずら好きで、甘えん坊で、それでいて働き者のいい家族だ。りんごを売ったお金で新しい服や、おいしい食材を買って帰るのが、ホワイト家の謝肉祭だった。

 それが、今年はいつも店を開いている場所に行ってみると別の商店が店を開いていた。聞く話によると、ブレーメンと呼ばれるガラの悪い連中が周囲のスペース全てを占有して、がらくた市を開いているそうだ。

 元々が村の実行員会で運営していたような祭りだったので、そういったガラの悪い連中に対しては強制力を持たないのがこの村なのだ。加えて言えば、今から隣の街に警吏を呼びに行っても、動きだすのは二日後、実際にこの村で取り締まりが始まるのは三日後の夕方からだろう。祭りも後半になってしまう。

 それまで新鮮なりんごは待ってくれない。熱処理や保存処理したものもいくばくか持ってきてはいるが、それだけでは今回の旅費と運営費の帳消し程度にしかならないだろう。新鮮な食材を売る前半の方が、スノウにとっては大切な期間だったのだ。

 隣に停めてある荷馬車を見つめる。今は閑散とした通りに停めているが、いつまでもここにいるわけにもいかない。祭りの間は定められた区画でしか売買をしてはいけないのだ。それは長年謝肉祭に携わってきたもののルールであり、無法者が本来の場所を占有したからといって自分も好き勝手に商売を始めていい理由にはならない。

「それでも……」

 そう、それでもと思ってしまうのは、やはり弟妹の顔が浮かんだからなのである。

「あらあらぁ? 人通りの少ないところに出たわね……」

 突然、通りに素っ頓狂な声が響く。スノウが顔を上げると、この閑散とした貧相な通りに全くそぐわない容姿の金髪の女性たちが三人、こちらに歩いてくる。

「わぁ……きれいな人たち」

 スノウは自然と呟いてしまう。生まれてこのかた、家族の世話ばかりでおしゃれというものをしたことがなかったため、それほど外見に興味はない。しかし、今目の前にいる人形のような美しい女性たちを見るとどうしてもうらやましいとは感じてしまう。

「仕方ない、一旦宿に入って腰を落ち着けましょう?」

「アンタ眠りたいだけでしょう! せっかくおいしいパンを買おうとしていたのに!」

「サンドリヨン、おそらくお兄さまはこの先に……」

「だからいねえっつってんでしょうが! やけに人通りが少ないところばかり行くと思ったらまた病気ですか!」

 やけに賑やかな三人組だが、スノウは少し口元を緩める。あの三姉妹、喧嘩しているようで楽しそうだ。まるで自分たちを見ているようで、少し元気が出る。

「まったく、戻りますよ……ん? あら?」

 一番しっかりしていそうな背の低い少女がこちらに気づいた。スノウはぎくりと背筋を伸ばしてそっぽを向くが、もう遅い。

「あら、あらあら、なんて素敵なりんごなのかしら! 甘い匂いに紅玉石のような美しい色! おいくらですか?」

 満面の笑みで走ってきた少女に、スノウは申し訳なさそうに振り返る。

「あー、えと、すみません。ここは商売禁止区画なんです。だから、お売りすることはできないというか……」

 見ると、おそらくスノウより少し小さいくらいだろうか。少女はあからさまに落胆して見せたが、気を取り直してすぐに笑顔を作る。

「そ、そうでしたのね……こほん、でしたらどこでお売りするのか教えてくださる? 後ほど伺いますわ」

「あ、いえ、それが……」

 スノウはしばらく迷っていたが、さらに後ろから二人の金髪美女がやってきたのをみて恐る恐る事情を話す。

 販売できるのは、早くても四日目くらいからだと。

「それは、いいことですの? 例えば売り場というものは元々場所や面積が決まっているのではなくて?」

「もちろんそうです。毎年、実行委員会の方々が申し込みのあったところで、上手く配置してくださるんです。ただ強引に占有されてしまうと……なにもできなくて」

 目の前の少女はしばらく考えた後、嘆息する。彼女も無理にどうにかできることではないと判断したのだろう。

 りんごを惜しそうに眺めていてくれるのは嬉しいが、仕方のないことだ。

「もしよかったら食べますか? 売買ではなければあげられますから」

 そう言ってスノウは試食用に切り分けてあった小箱を出し、彼女に渡す。

「よ、よろしいのですか? では失礼して……ほら、お姉さまたちもお食べなさい!」

 少女たちはそれぞれ一口ずつ齧ると、感激したように頬に手を当てる。

「お、おいしい。おいしいですわ……!」

「あらあらおいしい。寝る前のお夜食にぴったりねぇ~」

「こっこれは! お兄さまが大好きだった味だよ~」

「アンタたち一回自分の都合から離れろ!」

 スノウは自然と声を出して笑ってしまった。先ほどまであんなに落ち込んでいたのに、この三人はすごい。

お互い自己紹介をしながら、りんごの話で盛り上がる。

「我が家のりんごは自慢なんですよ。謝肉祭の間は、城からお忍びで王子様が食べに来られるほどでして――」

「なんですって?」

 スノウが自慢げに話していると、突然少女が遮る。

「王子様?」「王子様ぁ?」「お兄さま?」

「え、ええーと、はい。王子様ですね……」

 最後に何か違うものが聞こえたが、構わず返事をする。彼女たちの雰囲気は先ほどの柔らかいものではなかった。

「王子様が来るような店なのに出店できないなんて、見過ごせませんわね」

「そうねぇ。その不法に占有した商店は許せないわぁ」

「私とお兄さまの仲を引き裂く輩がいるなんて……」

 それぞれ思い思いに納得し、広場の方へ歩いていく。

「あ、あのっ! どうするんですか?」

「決まってますわ」

 少女は目を細めて微笑んだ。可愛らしい唇が、今だけは恐ろしげに歪んでいる。

「その無作法集団を、追い出しましょう」


 ◆◇◆◇


 祭りは初日だというのに広場は少し異様な雰囲気だった。毎年そこに出店しているはずの店がなく、代わりに不穏な男たち三人がそこを占有しているのだ。

「おう、そこの兄ちゃん! じろじろ見るんなら買ってけよ、あァ? 安くしとくからよ、え?」

 小柄な男が商店の前に陣どり、役に立つかもわからないがらくたを無理やりに喧伝している。

「ここがブレーメン商店? あれが売り子ですか。見るからに品のないトリアタマですわね」

「ちょっ、ちょっとサンドリヨンさん!」

 スノウは慌ててたしなめるが、もう遅い。あぐらをかいていた小男はこちらを睨み、大股気味に歩いてくる。

「おう? そこのお嬢ちゃんなんか言ったか? 誰だ?」

「女性に先に名乗らせるのですか? 無作法どころか、あなたには常識もありませんの?」

 サンドリヨンが毅然として言い放つと、小男は一瞬言葉を呑みこむが、しかしすぐに笑いだす。

「へへへっ、悪いね。こっちぁお嬢ちゃんみたいな上品なレディ~のあしらい方は教わっててないんでな」

 そう言うとサンドリヨンの顎に手を当て、顔を上げさせる。残りの男二人も、立ちあがってやってくる。

「へえ? なかなかかわいい顔してるじゃねえか」

 それを見ていたスノウは、青ざめた顔でスリーピィとグレーテルに向きなおる。

「二人とも、妹さんが! 大変ですよ!」

 しかし、その二人はまったく気にしていない。スリーピィは近くのベンチで横になり、グレーテルは周囲を見回している。

「ふぁ~……ぁふぅ、サンちゃんは大丈夫よぉ」

「サンドリヨンよりもさきに私がお兄さまをみつけてみせる……」

「そ、そうじゃなくて……――」

 スノウが抗議しようとしたとき、ざわめきが生じた。

 それは一瞬の出来事だった。からん、と鐘の音が聞こえると、サンドリヨンが小男の目の前から消える。

次の瞬間、彼が足元の少女に気づく時には、もう遅かった。小男の顎は打ち抜かれ、泡を吹いて後ろに倒れる。

「汚らわしい手で触らないで下さいまし! 紳士たるもの、まずは舞踏会への招待状をお出しになってから一曲お誘い下さいませ! 品のない男はお断りですわ!」

 サンドリヨンは、倒れた男を睨みつけて叫ぶ。

周囲には拍手があがる。彼女の言葉により雰囲気が変わったのか、傍観者を決め込んでいた男たちが何人か前に出てくる。

強気に出ていたブレーメン商店の男たちも、その勢いに押されたのか、慌てて商店を畳んで去っていく。

「す、すごい……サンドリヨンさん、あなた一体……」

 振り返ったサンドリヨンは、満面の笑みを返す。

「さあ、これで王子様も来られますわねっ。それまであなたのりんご、もうひとつ頂こうかしら?」


 ◆◇◆◇


「はぁ? お嬢ちゃんにやられただと?」

 村外れの小屋、ブレーメン商店と名乗っていた男たちの仮宿にて、酒を煽っていた大男が苛立った声を出した。

「は、はい……ハーンさんがやられて、んで周りの奴らもそれでいきなり調子に乗りやがって――」

 そこまで言って、大男は酒瓶を投げつける。

「そこまで舐めたマネされてすごすご帰ってきたのか。とんだタマなしだなあ、おい」

「い、いやでもあの女本当に強かったんすわ。いきなり鐘の音がしたらハーンさん倒れてて……」

 そこまで言うと、大男は顔をしかめる。

「は、そりゃ……いや、なるほど。おい、フントとカッツェを呼んで来い」

「……へ? イーゼルのダンナ、そりゃどういう?」

 ブレーメンのボス、イーゼルは、次の酒瓶を手にする。

「決まってんだろ。魔女狩りだよ」


 ◆◇◆◇


 謝肉祭の初日の夜。人々は広場に集まり、ひとつ目の柱に火を灯した。その下では、突然やってきた三姉妹という天使たちにご馳走が振る舞われていた。

「本当にありがとう! サンドリヨンさん強いのね!」

「年上なんだし呼び捨てで結構ですよ、スノウさん」

 サンドリヨンは目の前に出されたアップルパイをおいしそうに口にする。一口運ぶごとに、とろけたような表情で頬に手を当てているこの少女は、今やアイドルだ。

「ほんと、おいしー……わぁ……すぅ、すぅ……」

「そうね、んぐ……あぐ、お兄さまにも、むぐ、食べさせてあげたいくらい……がつがつ」

 残る二人の姉は、片やワインを飲んですぐに寝てしまい、片や村人が作った家の形を模した目の前いっぱいのお菓子を食べ続けている。

「サンドリヨンはどうしてここに来たの?」

「へ? そうねえ、待っても王子様が来ないからかしら」

 広場の中心で踊っている男女を見ながら、サンドリヨンはうっとりとする。さながら恋する乙女の様である。

「王子様? どういうこと?」

「お母様に言われたの。いつまでもヒロインぶってるんじゃない、これからは肉食系女子の時代だって」

「……そ、それで家を追い出されたの?」

「ええ、そうなの。まあ実際のところ、自分の鏡に娘の方がきれいだって言われて私たちを追い出したかっただけらしいんですけどね」

「は、はあぁ……? そうなの? 大変なのね」

 そこまで言うと、突然スリーピィが立ちあがり、広場から離れていく。

「ちょっとお花を摘みにお小水に行ってきますわ~」

「わー、スリ姉さまそれ隠せてない! より下品です!」

 スリーピィはふらふらと寝ぼけながら行ってしまう。

「にしても、サンドリヨンは武道でもしてたの?」

 スノウは昼間のことを思い出す。一瞬にして小男を気絶させた技量だ。かなりの腕前だろう。

「いいえ? 私がするのは舞踏ですわ。あれは、そうね。少しだけお願いしたの。喧嘩が強くなるようにって」

「そんなことで? ……信じられないわ」

 スノウはなおも聞きたがったが、サンドリヨンは優しく微笑む。スノウも、そんな様子を見て深くは聞かないようにする。

「あ、あの! すみません!」

 二人で話していると、後ろから村の人が走ってくる。

「先ほど金髪の美女が、ブレーメンに連れ去られたらしいんですが、お連れ様では……?」

 不安げに話す村人に、サンドリヨンは頭を押さえて返答する。

「ああ……多分姉ですわ。ホント迷惑かけてスミマセン」

「いや! それどころじゃないですよ! 早く探さないと! 昼間のブレーメン商店の仲間だったとしたら、捕まって何されるかわからないですよ!」

 スノウは慌てて立ち上がるが、サンドリヨンがそれを止める。

「まあまあ落ち着いて。私が負けない相手にお姉さまが負けるはずありませんわ。大丈夫」

 サンドリヨンは慌てた様子もなくにっこりと笑う。

「にしても、場所がわからないのは困りますわね」

「ねえねえサンドリヨン、お兄さまが呼んでるよ。こっち、こっちって」

 グレーテルは突然歩きだすと、お菓子を食べながらサンドリヨンを手招きする。

「ほら、見えるでしょ? お兄さまが落としてくれたパンくずが……呼んでる、呼んでるんだ」

 そう言って、サンドリヨンの手を引いいて歩いていく。

「ねえサンドリヨン? このお姉さんどうしちゃったんですか? おかしくなってしまったんですか?」

「いえ、グレィ姉さまはもとからおかしいから大丈夫。それよりも、これはおそらく道が”見えてる”のね」

そう言って、サンドリヨンはグレーテルの後に続いていき、村外れに向かっていく。スノウは不安に思いながらも、恐る恐る足を動かすのだった。


 ◆◇◆◇


「イーゼルのアニキ! 捕まえましたぜ!」

 村はずれの小屋に入るなり、フントは一番に叫んだ。

 連れてきた女はなぜか寝ているが、確かに美女だ。

「おおよくやった! どれ、確かにかわいい顔してんじゃねえか。おい、ハーンよ? こいつで間違いないな?」

 イーゼルは傍らの小男、ハーンに目をやる。しかしハーンは首をかしげて神妙な顔をつくる。

「うぅん? こんなボンキュッボンだったかなあ? もちっとちみっこい奴だった気がするけど……」

「まあ何だっていいさ。こんな美女なら高く売れるぜよくやったな、フント。それにカッシュも」

「任せて下さいよ!」「当たり前だ」

 イーゼルの部下二人は、それぞれの言葉で返す。そして、すぐに退散の準備をする。ここに長く留まればすぐに足がついてしまう。

「あら、十二時の鐘はまだならなくってよ?」

 荷物をまとめていると、小屋の入口から声がかかる。ブレーメン全員がそちらに注目すると、金髪の少女が一人立っている。

「もう一曲だけ、踊って下さる?」

 サンドリヨンは、ゆっくりと歩きだす。どこからか、からん、と鐘の音が鳴り響くとサンドリヨンは一瞬で手近な男の腹に右肘を入れる。

「っ――がっ!」「なっ、いつの間に――」

 続く二人目、三人目も、右足を軸とした回し蹴りに沈んでいく。

 突然現れた乱入者にイーゼルは驚いたが、それでも三人目が倒れるころには平静を取り戻していた。

「く、くくくく、初めて見たぜ。魔女ってやつか」

「あら、ご存知? なかなか博識な殿方がいますのね」

 サンドリヨンは舞うようにしてブレーメンの面々を昏倒させていく。イーゼルはそれを見ながら関心する。

「聞いたことあるぜ。世を捨てた女たちが死の淵で得られる不思議な力……それが魔女か」

「ええ、私はこのように、腕力や体力に縛られずに舞うことができるのですわ」

 そこまで言って、サンドリヨンの前に小男が立つ。昼間殴られた顎を押さえ、被虐の笑みで少女を見つめる。

「昼間のお返しをしてやるよ、お嬢ちゃん」

「……サンドリヨン・グリム、です。いつまでも子供扱いする礼儀知らずには、容赦しませんわよ?」

 そう言って少女はふっとかき消える。小男、ハーンは周囲を見回しながら警戒するが、サンドリヨンはその反応よりも速く、彼の腹に強烈な一撃を打ち込む。

「ぐぅ! うぅう……へへっ、捕まえたぜ」

ハーンは一瞬の隙をついて打ち込まれた腕を押さえこむ。サンドリヨンは腕を引き抜こうとするが、ハーンの必死の抑えにより反応が遅れる。

「くっ、離しなさい! 淑女の腕を無理に掴むなんて!」

 彼女は、空いた手で腹部を押さえながら、苦しそうに呻く。しかしその一瞬で、両脇に男が現れ、少女をがっちりと抑え込む。

「ナイスだ。フント、それにカッシュ」

 やや猫背気味な瘦せぎすの男と、猟犬のような男がサンドリヨンを固定し、柱に縛りつける。

「ふっ、さすがに人間の技量を越えるほどの魔法じゃねえってことか。しかもその反応、どうやら魔女の力ってのは何かしら弱点がありそうだな」

 イーゼルは腹部を押さえたまま大人しくなったサンドリヨンを見つめ、にやにやと笑う。

「楽勝だ。これで二人目の上玉よ」

 そういってイーゼルは酒瓶を煽りながらサンドリヨンを眺める。しかし、酒を飲んだことにより彼だけはわかってしまった。この都合のいい展開が、自分たちの見ている”都合のいい幻覚”だと。

次の瞬間、イーゼルは意識を覚醒させる。どうやら立ったまま睡眠――催眠状態に入っていたらしい。目の前には倒れ伏したブレーメンの部下たちに、立ったまま動かないフントとカッツェ、そしてハーンがいる。

 そして、サンドリヨンと名乗った少女の隣には、まだ見たことがない三人目の女性が立っている。

「ああ、君はちゃんとパンくずを残しておいたんだね。ちゃんと戻ってこれたんだ? 強い精神力を持ってる。もちろん、お兄さまには敵わないけどね……」

 恍惚の笑みを浮かべて、イーゼルを見つめるその女性は、サンドリヨンの後ろで芝居がかった仕草で天を仰いでいる。どうやら彼女が幻を見せたようだ。

「サンドリヨン、無茶をしてはいけないよ。君の身体はあまり長時間の負荷には耐えられないんだから」

「……す、すみませんわ。グレィ姉さま」

 二人の淑女がイーゼルを放って会話している。

「魔女が二人、か……いや、この調子だとこいつも?」

 彼は横で寝ている美女を見る。幸せそうな顔をしているが、もう既に何かしているのかもしれない。

「ふん、ふざけんなよ! たかが頭おかしくなった女どもに、俺の人生めちゃくちゃにされてたまるか! 俺は搾取する側だぞ! あぁ?」

 イーゼルは半ばやけになり、短刀を引き抜く。魔女とて女だからと気を抜いていたが、そうもいかないようだ。無遠慮に振りまわしながら傍らの美女を捕まえる。

「いいか動くなよ? この女がどうなってもいいのか?」

 すらりと光る刃は無慈悲にスリーピィの喉元に突きつけられている。サンドリヨンとグレーテルは、呆れたようにして立っている。

「そうだ、動くんじゃねえぞ? そのままそこにあるロープでお互いの腕と足を縛るんだ。それができたら姉妹三人、仲よく売りさばいてやるよ!」

 下卑た笑みを浮かべながら、顎でロープを指す。サンドリヨンとグレーテルは、視線だけで何やら合図を送っているようでなかなか動かない。

さすがにイーゼルも無視され、声を荒らげる。

「どうしたオラ! この女ぶっ殺されてぇのか!」

「う、うわああああああ!」

 と、小屋の窓のところから新たな乱入者がやってきた。三人目の招かれざる客は、それでも、イーゼルが反応できないような実力者ではなかった。

「スノウさん! 無茶しちゃダメ!」

 サンドリヨンが慌てて駆け寄ってきたのがいい証拠だ。彼女はおそらくこの三姉妹とは別の、守らねばいけない存在なのだろう。ならば、この女こそ現状の切り札だ。

「はっはぁーっ! この女の命が惜しけ……れ……?」

 乱入した少女を人質に取ろうと腕を伸ばすが、体が動かない。それどころか、全身に小さな痛みが走る。

「うるさい害虫がいるわね……おちおち寝られないじゃないの。どうしてくれるの?」

 イーゼルが無理やり顔を動かすと、先ほどまで寝ていた美女が立っていた。今までのような柔らかな物腰や眠そうな雰囲気はなく、凛とした表情で、相手を射殺すように瞳がぎらついている。

 そこまで確認して、イーゼルは自分の身体を拘束しているものが植物のいばらであることに気が付く。

 棘はイーゼルの身体に細かく刺さっており何重にも巻きついていることもあり、多少抵抗した程度では解くことはできないようだ。

「ちょっと、スリ姉さま起きたじゃない、どうするの」

「さ、サンドリヨンがどうにかしてよ。私はあの状態のスリーピィだと、もうどうにもできないよ……」

 スノウだけはまだ場の流れについていけないようで、短刀を構えたイーゼルに怯えているが、他の二人は間違いなく後ろで覚醒した美女に怯えている。

「さっきから耳元でがなり立てられて気が立ってるのよ。それに、私のかわいい妹たちとそのお友達を傷モノにしてくれちゃって。いい度胸だわ。死んで詫びなさい」

「……は~い、スリ姉さま、私たちダイジョブで~す。スノウさんもダイジョブで~す。だから殺しちゃダメで~す。懲らしめる程度でお願いしま~す」

 恐る恐る、という表現そのままに、サンドリヨンは小さく挙手した。その抗議の声も、優しく、甘えるような、小さな声である。

 それが聞こえたのか聞こえないのか、スリーピィは指を鳴らす。それに合わせて白いガスのようなものがいばらから噴出し、三姉妹とスノウ以外の全てを眠らせてしまう。

「まあいいでしょう。ざっと十日程度眠っていなさい。死にはしないでしょう……多分ね」

 崩れ行くイーゼルの眼前で、スリーピィはとびきり邪悪で被虐的な笑みで呟いた。

 サンドリヨンとグレーテルは、彼女の後ろでスノウを抱えたまま、ただただ肩を震わせるのだった。


 ◆◇◆◇


「お母さんに追い出されたって言いましたよね? あれ半分本当で半分嘘なんです」

 謝肉祭二日目の昼。スノウの店に休憩を狙って、サンドリヨンは、彼女に会いに来ていた。街は変わらず、ブレーメンの騒ぎなどなかったかのように陽気だ。

 彼らは眠ったまま、二日後にくる周辺の街の警吏に連行されるだろう。それまでは馬房に縛りつけている。

「実は捨てられたんですわ。私たちがいると自分が老いていくことを嫌でも自覚するからって」

「そうなんですね」

 スノウは三姉妹の様子を見ながら話を聞く。簡単に言ってはいるが、彼女たちは相当苦しんだろう。

「そして、姉妹三人雪山に放り出されて。凍死しそうになったんです。その時、出てきたんですわ。魔女が」

――辛いことがあるならば、魔女に相談してみよう。

――君の命と引き換えに、ひとつの魔法をさずけよう。

 スノウは古い童謡を思い出していた。

「不思議な力をくれる代わりに、スリ姉さまは活動できる時間が極端に減り、グレィ姉さまはいるはずのない兄の妄執を見るようになりました。そうして、私たちは魔女になったのですわ」

「サンドリヨンは? あなたはどんな代償を?」

「私ですか? なんのことはありませんわ。姉たちを第一に幸せにするように、ただそうすることだけです」

 スノウが沈黙を貫くと、サンドリヨンは観念したように息を吐き出す。

「女性としての幸せを――女性としての器官を、ね」

 スノウははっと視線を背けた。しかし、一瞬でも彼女の腹部より少し下に目をやってしまったことに、同じ女性として深い後悔を覚える。

そして、何も声をかけられない自分を情けなく感じ、両手で口元を覆ってしまった。

「ふふ、安心して下さいまし。子を為せぬだけです。本妻でなくとも、妾にもなれましょう。それに、お姉さまたちといる今があるのですから」

 スノウは納得する。この姉妹はだから強いのだと。死の淵で身体を寄せ合い、命を共有したのだ。

「魔女は異端とされていますが、そのような存在とは」

「どうなのでしょうね? でも命の摂理には反していますわ。良い悪いはあれど、私たちは人の定命からは外れました。もちろん、感謝していますけどね」

 サンドリヨンは陽気に笑う。本当に満足しているのだろう。そこに一点の曇りもないようだ。

「これからも魔女であることを隠して、誰か守ってくれる男性を待つんですか?」

「別に隠すつもりはありませんよ。今まで通り、三人気ままな旅路を行きますわ」

 サンドリヨンは、一番の笑顔を見せる。この少女の、健康的な笑顔は、なによりも美しく気高く感じる。

「それに、白馬の王子様なんて待ってられませんしね。今はむしろ私たちから殴り込みに行きますわ」

「そうなのよぉ~、だから、りんごを買いに来る王子様に、会ってみたいわ~……ふあぁ」

「うん、多分それは、きっと、お兄さまだと思うんだ。だから、絶対会いたい!」

 後ろからスリーピィとグレーテルがやってくる。三人とも、王子様――一人はお兄さまだが――という響きにうっとりとしている。

 スノウは、一筋汗を流し、緊張からか喉を鳴らす。

「あ、あのね皆さん……この地域の王子様は、王子様といってもかなり高齢の方なの。だから、皆さんの考えるような王子様とは―――あ、」

 スノウの話を聞き終わらないうちに、三姉妹は走り出していた。

「だから言ったじゃないですか! 王子様王子様って、もう少し下調べしてから来ようって!」

「あらあら、ふふ、サンちゃんたらおませさんね」

「話聞いて! お願い姉さま! 私の言葉わかる?」

「サンドリヨン、どうやらここにお兄さまはいな――」

「元からいねえって言ってるでしょうが! グレ姉さまもしつこいですね!」

 言い争いながら村を出ていく三姉妹を見送りながら、スノウはふわりと微笑む。

自分も弟妹に何か買って帰ろう。

そうだ。バラの花に、家の形のお菓子に、ガラスの靴なんてどうだろうか。きっと喜ぶ。そんな気がする。

「みんなーっ、来年も私の家のりんご、食べに来てねっ!」

 声は聞こえただろうか。聞こえなくても彼女らは来るだろう。

スノウは、三姉妹が見えなくなるまで手を振り、謝肉祭へと戻って行った。


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