第一章 夢の世界への招待状

1-1.変質者にご用心

 気づいたら学校と思しき建物の前にいた。急な明るさに、暗闇に慣れつつあった目を細める。朝? 登校時間なのだろうか。小学生が続々と校門をくぐっている。


「なんだここ……小、学校? ていうか夜だったはずじゃ……」


「そうだとも。ここがミラーワールドの第一の舞台、小学校だよ。時刻は朝の8時頃に設定しておいた。ミラーワールド内の時間はいくらでも弄れるからねぇ」


 Mr.レーヴ──もとい、おじさんが言う。


「おっと、君もミラーワールドに相応しい姿になったじゃないかぁ」


「──っは? なんだこれ!」


 おじさんの言葉に自分の身体を見下ろすと、完全に小学生だ。混乱しすぎて目線の高さの違いにも気づいていなかったらしい。……ま、まあ元々俺は高校生にしては背は高くなかったけどさ。


「ははっ、なんなんだよ、俺は夢でも見てるのか?」


「そうだとも。言っただろう? イオリくん、忘れないでくれたまえ。ここはミラーワールド。夢の世界だよ」


 頭のおかしいやつに連れられて、どうやら俺はとんでもないところに来てしまったらしい。もしくは俺の頭がおかしくなったのか。ともかく来てしまったからには、俺は通りこの世界でミッションをこなさなければならないようだ。

 過去の俺に忠告するとしたら一つ。


〖怪しい人について行ってはいけません〗


 小学生でも分かる。まあ、俺は今小学生になってるみたいだけど。


 ──はぁ、冗談じゃない。


 とはいえ俺だって最初からこんな怪しい話にのってのこのこ付いてきたわけではない。それなのに今ここにいる。

 あの日おじさんに声をかけられた時点で、俺の運命は決まっていたのだろうか。



**



 あの日、俺──夏目伊織なつめいおりは少々浮かれていた。塾の夏期講習が一旦終わり、明日から始まる盆休暇に思いを馳せていたのだ。昼間の雨であちこちに水たまりがある。足元に気をつけて歩いていた。


 俯いたまま歩いていると前に人の気配がした。そのまま横に避けようとするも、広くない道のど真ん中に立つ人は邪魔だ。何をしてるんだ、と顔を上げる寸前。視界に入った奇妙な靴に目を疑った。

 マジシャンシューズ、というのだろうか。つま先のくいっと上がったへんてこな靴。今どきピエロだって履いてないんじゃないか? 慌てて顔を上げる。


「少年、夢の世界に行ってみないかい?」


 にっこり笑ったそいつの目は暗い紫色に沈んでいた。



 悪趣味な夢だと思った。真夏の夜、こんなセリフを現実に聞くよりは暑さで頭がおかしくなったというほうがよっぽどリアリティがある。


「なんだこいつ……」


 横の電柱で『変質者に注意』と書かれたポスターが剥がれかかっているのを見て、深いため息をついた。


「私は夢の世界への案内人。夢の世界に行ってみたくはないかなぁ?」


 どうかな、と小首を傾げられても可愛くはない。


 夢の世界などとのたまうのはマジシャンみたいな格好のおじさんだった。顔が異様に青白い。タキシードに真っ黒なシルクハット、ご丁寧にステッキまで持って。鼻の下のちょび髭は自前だろうか、艶々している。無駄にスタイルが良いのがむかついた。なんて足の長さだ。俺にもちょっと分けろ。その妙ちきりんな靴はいらないけど。


「興味ないです」


 バッサリ断る。


「どうしてだい? 夢の世界だよ? 誰もが羨む桃源郷、ユートピア。アメイジングな世界に君をご招待」


 アメイ"ズィ”ング、と無駄に良い発音が耳に残る。おじさんはうっとり目を閉じるが、本来なら悲鳴を上げて逃げられてもおかしくはない状況だと思う。あまりに奇妙な服装と馬鹿馬鹿しいセリフに思わず応えてしまったが、始めから無視しておけば良かった。漸く塾が終わったところなのにこんな変質者に捕まるなんて運の悪い。


「ああ、決して怪しい者じゃないよ。私は見ての通り紳士だからねぇ」


 おじさんが言う。

 は? 見ての通り? 笑わせる。でもまあ怪しく見える自覚はあったのか。自重しろよ。

 というよりどう見ても紳士ではない。せいぜいマジシャンが良いところだ。それもかなり胡散臭いタイプの。ただなんだか悪意は感じられなくて、会話を続けてしまう。


「変質者なのに? 手品の練習なら一人でやってください。もう遅いんで帰りますよ」


「私は手品師じゃなくて夢の世界への案内人だよ」


 余裕たっぷり両手を広げた。その設定まだ諦めていなかったのか、おじさんめ。マジシャンでもないのにこんな格好とはやっぱり変質者じゃないか。


「いやいやだから変質者じゃないよって。それにさっきからおじさんっていうのもやめようよ。これでもまだ若いんだからさぁ。たぶん。いや、それなりに……」


 ぶつぶつと俺の考えを読んだかのように言う。左手に持つ黒々としたステッキが月明かりに反射した。ん? 俺は『おじさん』と一度でもだろうか。とたんに汗ばんだ背筋が冷えた。


「──っそうですか。手品頑張ってくださいね」


 どうにかそう言い残して踵を返す。こいつは本当にヤバいやつかもしれない。


「ちょっと、待ちたまえ少年!」


 慌てた声を背に早足で去る。ああ、そういえば今日は13日の金曜日じゃないか。変なやつにも会うだろう。とんだ厄日だ。相手にするんじゃなかった。

 曲がり角の直前で振り返るが、追ってくる様子はない。よし、よし。あんなやつ忘れて早く風呂に入って寝よう。明日からせっかく塾も盆休みじゃないか。

 ほっと息を吐いた瞬間、水たまりを踏みつけた。


「ああっ」


 まったく、今夜は本当についてない……。

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