01-005 2022年 - ダンジョンを上ってみることにした

 さくらのダンジョン生活は二週間ほどになっていた。家族はきっと心配しているだろう。いや、さすがにもうあきらめたかもしれない。

 さくらは寂しくてたまらなくなるが、連絡の取りようがない。生きて脱出するしかない。だからといってあせって死んだら元も子もない。

 上っていける自信がつくまでは、、ここはぐっとこらえなければならない。


 兵糧丸と無限の水筒のおかげで生きることだけは困らない。とにかく、特訓だ。

 ダンジョンを脱出するために、最初のうちは、身を護ったり、身体能力、特に移動速度を上げることを目的として訓練をしていた。

 魔物をとにかく避けて上に向かえばよいと思っていたからだ。攻撃の訓練はあまりしていなかった。


 しかし、ダンジョンにはボス部屋があることを思い出したさくらは、攻撃魔法や、槍の練習もすることにした。


 さくらは一日のうち、魔法の練習を数時間、その後に槍の練習や走り込みに数時間をあてた。身体を動かした後は身体を休めながら魔力制御の訓練を兼ねながら、体内に魔力を循環させる。身体に魔力を循環させると、身体の動きがよくなったり、視力が上がったりすることに気づいたからだ。


 魔力循環を初めて数日で、魔力が視えるようになった。さらに数日で、マナとオドの区別もその濃淡もわかるようになった。


 槍を振ると、ブンッと空を切る音が出るようにもなった。槍は使い方がわからなかったので自己流だ。鉄パイプなら中学の頃に少々嗜んでいたが、槍の訓練にはなんの役にも立たなかった。長さが違いすぎる。

 子供の頃に見たカンフー映画を思い出しながら、力任せに振る。最初のうちは槍に振り回されて身体を持っていかれたりしていたが、数日振り続けると、なんとか振り回されなくなってきた。なんとなくさまになってきた気がする。


 走り込みを続けると、体力もついて、さらには走る疾さも増してきた。筋肉痛も《手当て》で治るのは助かる。


 ちなみに、携帯端末の充電はとっくに切れているため、時間は適当だ。

 練習の合間に、兵糧丸で手早く食事を済ませ、豆のできた手のひらに《手当て》をして、身体に《清浄》をする。寝る際には《反射結界》を張ってその上にジャージを乗せる。本当はお風呂に入りたかったがあきらめた。そういうサイクルを二週間ほど繰り返した。


 寝ている間にジャージが落ちてきたら、失敗だ。これが一番身につけるのに時間がかかった。二週間目にやっと起きたときにまだ頭の上にジャージがあった。

 ボスが復活するかもしれないので、寝るのはコアルームにしていた。

 実際はダンジョンコアは休眠していたため、リポップは全く発生しないのだが。


「明日はちょっと上に行って様子を見てみるか」


 《反射結界》を寝ている間も発動維持できるようになったさくらは、ついに上へ上る決心をした。

 どれだけきたえればよいかなんてわからない。とはいえ、死んでしまうようではダメだ。そこで、身の護りにある程度自信がついたら上ろうと決めていた。

 とはいっても、だめそうならすぐ下に戻ってきてまた特訓をすればいい。勝てないことはあるかもしれないけど、逃げることくらいはできるはずだ。


 翌日、目が覚めたさくらは、コアルームを出て、階段へ向かった。


「やばかったらすぐ逃げる、がんばりすぎない。だめだったら特訓する。いのち、だいじに! 家族に会うまでは!」


 さくらは自分に言い聞かせ、ボス部屋よりさらに薄暗い階段を上る。階段は一〇〇段以上あった。その時点で心が折れそうになるが、ボス部屋の天井の高さを考えると、いたしかたない。

 ともあれ、階段を登りきると、次の層だった。目の前には一本道の通路が伸びていた。だいぶ先で突き当たり、左右に分かれるようだ。


 天井は最下層ほど高くないが、それでもかなりの高さに見える。通路の幅は三メートルほどだ、壁は岩壁のようだが、ところどころにチカチカと輝く発光するガラスのような石が埋まっていて、《明かり》を使わなくても歩ける。


 さくらは通路を恐る恐る歩く。まずは魔物の強さを確認したい。慌てると道を忘れてしまいそうなので、分かれ道はとりあえず全て右に曲がることにした。逃げ帰るなら左に曲がり続ければいい。


 突き当たりを右に曲がって少し進んだところで、前方の雰囲気が変わってきた。

 さくらは魔力循環の訓練の中で、空中のマナを感じることができるようになっていた。前方のマナの濃度が乱れている。


 より注意して前に進むと、なにかが動いているようだ。ダンジョンに入って初めて自分以外の動くものを見た。魔物だろう。人型のように見える。


「あれは……」


 口からぽろりと言葉がこぼれてしまった。

 まだ距離はだいぶ離れているが、それでもかなりの大きさに見える。遠近感がおかしい。

 自分が通路の真ん中に立っていることに気づき、慌てて壁際に寄る。通路の真ん中に立っているよりは見つかりにくいだろう。冷や汗が出る。そっと様子をうかがうが、気づかれた様子はない。

 ほっと一息つき、あれに勝てるのだろうか、と考える。


 それは身長四メートルほどの巨人だった。サイクロプスだ。武器は持たず、防具もつけている様子はない。なにかの革でできた貫頭衣のみだ。突き当りの丁字路を右へ左へうろうろとしている。先へ進むなら倒さなければならない。


 さくらはそこではたと思いいたる。私はどんな魔物でも殺す覚悟はできていたか、と。


 さくらの想像では、敵は凶暴で獰猛な獣のような魔物だった。決して人型ではないし、気づかれていない現時点では敵意を向けられていない。

 自分の想像力のなさに歯噛みする。こういう人型の敵もいるに決まっているのに。それに、わざわざ決闘をするわけではない。だまし討ちは、むしろ理想的な討伐方法だ。安全さが違う。


 さくらは、手が震えてきた。足も震えてきた。動悸が止まらない。そのままダンジョンの壁によりかかる。壁際に寄っていなかったら、やりを落として座り込んでいたかもしれない。魔物に怯えているのではなく、自分がそれを殺すことに怯えている。


 槍が刺さるか、じゃない、魔法が通じるか、じゃない、ダンジョンから出るために、殺し続けなければいけないことを今更ながら実感してしまった。


「はぁ、はぁ……」


 うまく呼吸を続けられない。さくらはここで心が折れた、いったん出直すことにした。


 下層に戻ろうと、前方のサイクロプスを視界におさめつつ、じりじりと後ろに下がる。戻ることを考えると、震えも動悸もおさまってきた。


 しかし、ものごとはそう簡単にはいかないものだ。


 後ろからもサイクロプスがもう一体現れたのだ。しかも、すでにさくらは見つかっているようで、叫び声を上げながら走り寄ってくる。


 恐ろしい表情の一つ目巨人がものすごい勢いで近づいてくるのを、さくらは呆然として見ているしかなかった。覚悟を決めて階段を上ったつもりだったが、足りなかったらしい。身体が全く動かない。


「は、はは……」


 笑える。

 全然足りていなかった。身体を鍛えた。魔法の練習をした。

 違う、足りなかったんだ。心構えだ、なにをおいても進み続ける覚悟だ。

 そんなつもりはなかったが、夫の仕事の話を他人ごとのように聞いていた。ダンジョンとはこんなに恐ろしいところだった。


 しかし、ここで夫のことを思い出したことで、さくらは落ち着きをやや取り戻してきた。夫に会いたいという気持ちが、さくらの恐怖を和らげる。

 それに、まだツキは残っているようだった。

 前方のサイクロプスも、叫び声を上げながらさくらの方へ走ってくる。前門の虎、後門の狼か、と思ったが、サイクロプスの視線の先はさくらではなく、もう一体のサイクロプスだ。

 後方からさくらに向かっていたサイクロプスは、違う、お前じゃない、とでもいうように逡巡していたが、興奮し、向かってくる前方のサイクロプスに身体を向けた。

 そしてそのまま二体のサイクロプスは取っ組み合いを始めた。多少離れているが、すぐ目の前で、四メートルの巨人が二体、組み合って、殴り合いをしている。


 とんでもない光景が目の前で繰り広げられ、さくらは自分の中で何かがふっきれたのを感じた。恐怖を驚きが塗りつぶしたのだ。


 これはチャンスだ。ここでなんとかしなければいけない。さくらは両手で胸を押さえる。伝わってくる自分の鼓動に安堵する。

 そっと静かに深呼吸をすると、さらに心が落ち着いてくた。

 半秒、目を閉じて集中し、練習のとおりに魔力を引き出す。糸の太さは最小の一〇倍、引き出す時間は三秒。これ以上大きい魔力で攻撃魔法を撃つと、この通路では自分にまで被害が及ぶ。魔力を引き出すその三秒で、発動イメージを固める。サイクロプスの上に特大の雷だ。どうせ見つかっているのだ。これで倒せなくとも、逃げる隙くらいは作れるだろう。

 《反射結界》は維持できている。あれだけ動揺したのに解けていなかったことに安心する。魔力循環によって強化された身体能力も問題ない。


 軽く息を止め、二体のサイクロプスの取っ組み合いを見つめる。力と力が拮抗し、二体の動きが止まる。

 今だ!


 《雷よ!》


 凛とした声で叫ぶ。

 バリバリと恐ろしい音をあげ、サイクロプスの頭に雷が落ちた。突然の現象にサイクロプスは全く反応できなかった。元々、そこまで動きの早い魔物ではない。

 雷は二体のサイクロプスをとらえた。サイクロプスは短い叫びをあげ、黒焦げになって倒れた。


 焦げ臭い匂いがただよってくる。サイクロプスの身体からは煙が出ている。死んではいないようだが、起き上がることもできないようだ。低いうめき声が聞こえてくる。


 これなら生きていたとしてもすぐに起き上がってくることはないだろう。今なら逃げられる。

 頭の片隅に、「このまま魔物を倒し切ることもできるのではないか」という案もよぎったが、だいぶ落ち着いたとは言え、まだ自分が冷静でない自覚のあるさくらは、やはり逃げることにした。

 ここまでできたのなら、次も同じ用にできる。もっとうまくできる。


 さくらはサイクロプスの生死を確認せず、下層に逃げ帰った。幸い、道を間違えるほど進んでいなかったので、戻ることはなんの問題もなかった。


 コアルームまで戻って、水を飲み、一息ついた。

 やはり多少は動揺が残っていたらしい、先ほどの一連の行動を思い出して、ブルッと震える。

 そして、少し自信をつける。

 攻撃魔法をためらいなく撃つことができていた。魔物が死ななかったのは結果論だ。間違いなく殺すつもりで撃てていた。


「孝利のおかげだな……」


 夫を思い出した、それからは余計なことを考えず、ダンジョンから出るために落ち着いて行動できていた。


「明日、もう一度やりなおそう」


 大して時間は経っていないはずだったが、さくらは疲れ果てていた。これからもう一度上ることはしたくない。

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