01-002 2022年 - ダンジョンコアに草刈り鎌を突き立てた

 さくらは二日間気を失っていた、いや、寝ていた。さくらの身体が休息を求めたのだ。


「んぁ……ここ、は?」


 目を覚ましたさくらは、身体を起こし、周りを見ると、そこは大きな部屋だった。サッカーコートくらいはある。天井はよくわからないくらい高い。

 少し寝ぼけたような表情をしていたが、はっと自分の身に何が起きていたかを思い出したさくらは、慌てて立ち上がった。


「……いけねっ! 『知らない天井だ』って言い忘れた!」


 こういうときはそう言わなければいけないと息子から教わっていた。


「あたし……なんか突然落ちて、死ぬかと思ったけどスライムがクッションみたいになって、でもスライムに食べられたと思ったけど、なんで今生きてるんだっけ?」


 おかしなことはそれだけではなかった。起き上がった際、さくらは、自分の身体が思いの外軽く動いたことに気づいた。年齢相応と言えばいいのかわからないが、もっと動かすのが重かったはずだ。

 あまりの軽さに、軽く跳ねてみると驚くほど高く跳べた。思い切り跳んだらどうなるだろう、と思ったが、怖いからやめた。そんな楽しんでいる場合でもない。


 視界も良好だ。最近は少し暗いところだと視力が落ちていた気がするのだが、薄暗いこの場所で、はっきりと周囲を見ることができる。


 ともあれ、自分がダンジョンに落ちたこと、スライムに激突したことを思い出したさくらは、改めて自分の体におかしなところがないかを確認する。

 結果は……


「おっかしいなぁ」


 異常がなさすぎる。骨折どころか、打撲もない。痛みを感じるところはまったくなかった。

 それだけではない。肌の調子もよい気がする。ついでに二の腕やお腹のたるみなどの脂肪も消え失せた気がする。胸はそのままだった、さくらはほっとした。

 自分の声にも違和感がある。少し高くなっている気がする。まるで生まれ変わったような気分だ。


 ダンジョンで長く過ごすと老化しにくくなる、という話は夫から聞いたことがあった。実際に夫は年齢よりかなり若く見える。さくらは、これがダンジョンの効果なのか、と感動する。実際はそんなことはないのだが、さくらは都合よくそう思い込んだ。


「ダンジョンすげーな」


 ぐだぐだとそんなことをしばらく考えていたが、はたと気をとりなおす。そもそも、生きてダンジョンから出られなければ意味がないことに気づいた。


「さて、これからどうすっかな……」


 さくらは、思案した。

 とにかくダンジョンから出なければならないが、さくらのダンジョン経験は二〇年くらい前、高校の頃に行った実習が最後だ。ダンジョン関連は夫に頼りきりだった。



 さくらは、まずは持ち物を確認した。

 身軽な格好で農作業をしていたため、ジャージに運動靴だけだった。ポケットに携帯端末が入っていた。幸い、壊れてはいなかったようだ。日付を確認すると、思っていた日付より二日経っていることがわかった。電波は当然通じておらず。充電ももうすぐ切れそうだったので、電源を落としてポケットにしまった。麦わらはどこかにいってしまったようだ。草刈り鎌はすぐそばに落ちていた。


「これのおかげで生き延びることができたんだな、よかった」


 拾った草刈り鎌に向かってお礼を言うさくら、ちょっと怪しい。


 ちなみにさくらは中学の頃はだいぶやんちゃをしていた。一人になるとその頃の言葉づかいが混じる。夫の前では完全に猫をかぶっている、と信じている。夫にも子どもたちにもバレているが、さくらは家族のやさしさに包まれていた。


 部屋の中を見渡しても、草刈り鎌の他にはなにもなさそうだった。スライムの死体は影も形も残っていなかった。スライムが本当にいたのかすら怪しいが、どうみてもダンジョンなこの部屋に落ちてきたのだ。スライムがクッションになっていなければ、生きていなかったろう。二日も寝ていたのだから、その間にダンジョンに吸収されてしまったということだろう。


 ダンジョンは落ちている無生物を吸収する。ダンジョンにゴミが落ちていないのはそのせいだが、犯罪に利用されることもあるので困ったものだ。

 死体は吸収されるが、魔石は吸収されない。なので低層には魔石拾いをして生活している者もいる。低層の魔物で魔石が出ることはほぼないので、素材のとれない魔物の場合、ハンターはわざわざ解体しない。ダンジョンが死体だけ吸収した後に魔石が残る場合があるのだ。魔石は重要なエネルギー源で、小さくても五〇〇〇円程度にはなるはずだ。なお、スライムが魔石を落とすことはほぼない。


 落ちているものはこれ以上なにもなさそうなので、壁を見ると、扉が二つ見えた。

 片方は開いてみると上へ登る階段だった。本来は上層からここに降りてくる道筋だったのだろう。もう一方の扉を開くと、小部屋があった。

 複雑な文様の円が描かれた床、その中心にはさくらの身長ほどの細かい意匠の彫り込まれた円柱形の台座。その上にはダンジョンコアと思しき黒色の水晶球。コアルームだ。コアルームがあるということは、最終層に間違いない。


「これがコアルームかぁ、パパにもっと色々聞いておけばよかったなぁ」


 さくらの夫はダンジョン研究者兼ハンターで、何度か小さなダンジョンを踏破したことがあると言っていた。しかしダンジョンにあまり興味のなかったさくらは詳しく話を聞かなかった。パパすごいねー(はぁと)、で終わりにしていた。


 まぁ、今言ってもしょうがない、少なくともコアルームに魔物は出ないし、罠もないはずだ。死ぬことはない。

 それでも恐る恐るといった様子でさくらは部屋に足を踏み入れる。やはり何も起こらない。

 安心したさくらは台座まで近づき、水晶球をのぞいてみる。これがダンジョンコアのはずだ。なにも起きないので、今度は触れてみる。


 すると、今度は水晶球が呼吸をするように明滅する。そのまま見守っていると、さくらの目の前にパネルがふわっと現れた。そこには日本語ではないなにかの文字が羅列されているようだったが、なにが書かれているかはなぜかわかった。


 《管理者メニュー》

 1. ダンジョン管理者になる(ダンジョンとともに生きる)

 2. ダンジョンを廃棄する(72時間後に消滅する)


「え? えぇぇぇ! なんだよ! これ、詰んでね?」


 メニューを読んで、さくらは叫ぶ。


「うわっ、どうしよう。これじゃパパと杏奈と悠人に会えない」


 さくらは起きてから初めて不安になった。基本、無駄に前向きなさくらは、あまり不安を感じたりしない。しかし、これはまずいと感じた。しかし、それでもさくらは考える。まだ、なにか手はあるあるはずだ。


「あ、そっか、そうだよ」


 さくらはパネルを無視し、部屋の床を見ながら歩き始めた。パネルに出ていなくとも、どこかに転送魔方陣があるはず。そういうダンジョンもあると聞いたことがある。それを思い出して、必死に部屋を探し回った。しかし、困ったことに魔法陣は見つからなかった。


「やばい、ちゃんとダンジョンの勉強しておけばよかった」


 ダンジョンが世界に初めて現れたのは、さくらが一六歳の頃だった。学校で話題になったが、まだあの頃は真偽のわからない情報が錯綜していたし、日々新しい情報によって古い情報が上書きされていた。。それに、まだあの頃はダンジョンの最下層の情報なんてなかった。人類が初めてダンジョンをクリアしたのは、杏奈が生まれてからだった。ダンジョンについては自分が関わることはないと思っていた。


 さくらは、だんだんできることがなくなってきた。

 これまでは緊張しすぎて気にならなかった空腹感も、落ち着くにつれて感じてきた。二日間なにも食べていない。お腹が空くのは当たり前だ。


「のぼるしかないのかなぁ、ここ何層なんだろ」


 せめて、武器と防具と食料があればのぼる気もわくんだけどなぁ、と当たり前のことを考えながら、手に持っていた、少し歪んだ草刈り鎌をぐりぐりとまっすぐになるようにいじった。考えながら手に持っているものをいじる癖が、さくらにはある。


 ぼうっと考え事をしながら手の中で延ばされた草刈り鎌は、思いのほかまっすぐきれいに直すことができた、できてしまった。

 こんなに柔らかかったっけ、と、考えながら、そのままふと目の前にあったダンジョンコアに鎌を突き立ててみると、驚くことが起きた。

 ダンジョンコアに草刈り鎌が二センチほど刺さってしまった。


 刺さった場所からひびが入り、ダンジョンコアはもうひと押しすれば、割れそうだ。コアを破壊すればダンジョンを討伐できるはずだが、今の世の中では、ダンジョンは資源を排出する鉱山のように扱われている。やってよいことではなかったはずだ。

 ダンジョンコアを破壊するとどうなるんだったか、とさくらが考えていると、ダンジョンコアが急激な明滅を始めた。

 そして、さくらの目の前に新しいパネルが現れた。


 《特別メニュー》

 管理機能に障害が発生したため、休息状態に移行します。

 全ての機能は停止します。

 お詫びの品をお受け取りください。

 ありがとうございました。


 パネルは一〇秒ほどで消滅し、台座の上のダンジョンコアは台座の中に吸収されるように沈んでいった。刺さった草刈り鎌も一緒に沈んでいった。

 その後、台座の表面に魔法陣が現れ、光を放った後には、革のウェストポーチが一つ載っていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 杏奈の言葉を聞いた孝利は、慌ててダンジョン協会へ連絡し、マンションまで教会員を呼び寄せた。それからマンションの警備員にかけ合い、マンション玄関の防犯ビデオを確認させてもらった。

 ビデオには、さくらが麦わらとジャージで出かける様子が映っていた。これでほぼ巻き込まれたことが確実となった。


 孝利は、そのまま協会員に高ランクハンターとポーターの派遣を依頼した。ダンジョン生成に巻き込まれて、生還した人は今までにも例がある。浅い層であれば、救助が間に合うかもしれない。


 その後、孝利は大学の調査チームと一緒に、練馬ダンジョンに入っていった。まずは三層までの調査をするためだ。

 新しいダンジョンが生まれた場合、ダンジョン周辺のマナ濃度、ダンジョン3層までの階層の広さとマナ濃度がわかれば、ダンジョンの深度を推定できる。孝利はもともとその調査に出かける準備をするために家に帰ってきていたのだ。


 杏奈と悠人は張り詰めた顔をした父がダンジョンに入っていくところを見守っていた。


 調査は問題なく終わり、夕方には、調査チームはダンジョンから戻ってきた。特に誰も怪我を追ったりもしていないようだ。その頃には、孝利が依頼した高ランクハンターやポーターも物資とともにダンジョン前に集まっていた。


「佐倉さん! 集められるだけ集めました。規模調査、どうでした?」


「高木さん、ありがとうございます。深度、わかりませんでした」


 青い顔をした孝利に話しかけたのは、大学で調査チームのサポートを務める、高木だ。孝利の返事に杏奈が横から口をはさむ。


「パパ、わからないってどういうこと?」


「ああ、ダンジョン規模は、ダンジョン発生時の空間震の規模と、ダンジョン周辺のマナ濃度、一層から三層程度階層の広さで推定するんだ。それは、今まで発生した世界中のダンジョンで蓄積したデータから似たパターンのデータを探して推定するんだが、今回のデータはどれにも似てないんだ」


「それじゃぁ、ママは……」


「このダンジョンは今まで見たダンジョンとどうも違うようなんだ。三層まで見てきたが、魔物がまったくいなかったんだよ」


 それはさくらがダンジョンの生成中に最終ボスを倒してしまったため、ダンジョンコアが一時的に機能を停止させていたためだが、誰もそんなことはわからない。


「じゃ、ママはダンジョンのどこかで無事でいる可能性が高いのね?」


「そうだと思う。ただ、空間震は大きかった。かなり規模のダンジョンの可能性が高い」


 そこで孝利は集まったハンターの方へ向き直った。


「頼む、妻を助けに行きたい。手伝ってくれないか」

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