00-002 プロローグ 1999年
1999年7月22日 日本時間 16時44分
世界中の人間が大きな揺れを感じた。多くの人が驚き、あせり、叫びを上げ、立っていられなくなり、しゃがみこんだ。多くの寝ていた人は飛び起きた。
ただごとではない地震が起きたと、慌てた人々であったが、どうやら、実際には地震ではなく、そのとき揺れたと感じたのは、生き物だけだった。慌てた人がぶつかってしまった棚以外からは何も落ちることはなく、飲もうとしていたコーヒーがかっぷからこぼれることはなく、三段のアイスクリームはびっくりした少女が自分で放り投げて後ろのお兄さんにぶつかった。恋は芽生えなかった。
そのとき、世界中の霊媒師、イタコ、口寄せ師、巫覡、司教、そういった人たちの頭に、あるイメージが降りてきた。
それは、言葉にすると、こういうことだった。
「神様がいなくなった」
当初は誰も信じなかったし、それを非難した。日本では宗教を持たない者が多いが、それは例外だ。世界では宗教を持つものが大半だ。しかし、あまりに世界の多くの人が同時にそれを言い始め、その中には宗教者として高い地位のあるものまで発言したことから、これは神託のようなものではないかということになった。そして、神がいなくなったのに神託が降りたのなら、それは新しい神が生まれたのではないか、など憶測が飛び交ったが、真実は誰にもわからなかった。しかし、このときから、世界には新しい
神託から一週間後に、最初の変化が訪れた。世界のいくつかの都市にダンジョンが発生した。
最初は人口の多い都市の公園などの広場に、洞窟の入口のようなものが誰も気づかぬうちにできていた。どのダンジョンの入口にも、半円形の板に目盛りのついた板がついていた。この板には時計の針のようなものがついており、古いエレーベータの階数表示のようだった。観察してみると、針は一日に一度進んでいた。これはダンジョンメーターと呼ばれた。
ダンジョン内には見たことのない生き物がいて、外に出てくることはなかったが、入った人には襲いかかってきた。生き物は、魔物と呼ばれ、オークや、ゴブリンといった、ゲームに出てくるような魔物や、動物や昆虫を大きく禍々しく変化させたような姿かたちをした魔物もいた。
面白半分に入った者で戻ってきた者はほとんどいなかった。まるでゲームが現実に混じりこんできたかのようだった。
ダンジョンへの対応は国ごとにまちまちだった。多くの国はすぐに侵入を禁止し、軍を投入し、調査を始めた。日本は封鎖だけはすぐに実施したが、調査には入らなかった。自衛隊投入の是非について、国会の議論は空転し、なんの結論も出せなかった。国民の世論も同様だった。
議論をしている間に続々と入ってくる他国からの新しい情報も議論の終わらない原因だった。
しかし、議論などしている場合ではなかった。ダンジョン発生から約一ヶ月後、スタンピードというダンジョンから魔物があふれ出てくる現象が発生した。日本では東京の渋谷にダンジョンが発生していた。あふれだした魔物は、渋谷を中心として地上の生き物に襲いかかり、東京は壊滅的な被害を受けた。
その後、他国の調査で、ダンジョンメーターは、ダンジョンで魔物を多く討伐すると、針の進みが止まることも分かった。
さらに、針が振り切れたダンジョンからは魔物が外に出てくることもわかった。渋谷ダンジョンにスタンピードが発生したのはダンジョンに誰も入らなかったからだ。人類は、ダンジョンを放置することはできない、ということを大きな痛みとともに知った。
ダンジョンは、時を追うにつれ、様々な場所に現れた。
多くの国で、軍が対応したが、あまりにも対応する人間は少なすぎた。ゴブリンやコボルドには拳銃程度でも通用したが、大型のゴブリンリーダーや肉の厚いオークには、大口径の銃でなければ通用しなかった。甲殻のある虫型の魔物には、大口径の銃ですらあまり通用しなかった。飛び道具より、近接武器のほうが通用した。
近接戦闘は死亡率が高く、徴兵や予備役の仕組みのある国ではこの制度を利用してなんとか討伐者を確保しようとしていたが、死亡率の高さのため、みな及び腰だった。招集に応じない人が多かった。そういった事情もあり、ダンジョンが増えてくると人員を十分に当て込むことが厳しくなってきた。
一方、日本では、最初のスタンピードのショックが大きく、世論は一気に逆転していた。政府は自衛隊や警察で対応しようとしていたが、そもそも最初のスタンピードで精鋭部隊の多くを失っていた。対応力が失われていることが明白で、民間の参加を求める運動が起こった。政府の弱腰の対応に不安の声が上がっていた。
ダンジョン発生から三ヶ月で、世界は人口の一割を失った。日本では二割が失われていた。
民間の、ダンジョン対策への参加を誰にでも開放すべきだという運動は、ついに政府を無視して、業を煮やしたいくつかの民間企業までもが出資して、大きくなっていった。その運動の大きな功績は、ダンジョン協会を作ったことだ。
人を集め、情報を収集しこれを共有し、武器や防具を作った。武器を作ることは明らかに法に違反していたが、東京の都心部でのスタンピードで、大切な人を失った者は多かった。
政府もスタンピードで、大物政治家や優秀な官僚を多く失っていた。リーダーシップも代案もない政府はこれに折れ、スタンピードから二ヶ月、ダンジョン協会へ国からも出資することを条件に、ダンジョン協会によるダンジョン対策、民間の参加は国策となった。
ダンジョンに入ることを認められたダンジョン協会は直ちに準備していた活動を始めた。ダンジョン一層でさまざまな仮説を検証した。
魔物を倒すとレベルが上がるのか、宝箱は出るのか、銃ではなく弓なら魔物にダメージを与えられるのか、投擲武器はどうか。魔法はあるのか、魔物の素材はどんな物があるのか、討伐した魔物の肉は食べられるのか。これ以上むやみに犠牲者を増やさないために、より効率的にダンジョン対策を進めるために、様々な検証を実施し、多くの有効な結果を得た。
ダンジョン協会はこれを無償で公開した。この活動に他国は驚き、感動し、賛同した。各国はダンジョン協会の支部を作り、そこに出資した。世界中でダンジョン対策情報は共有された。
こういった活動により、さまざまなことが分かった。
魔物から様々な未知の素材を得られることが分かった。植物、鉱物、魔物素材、どれをとっても人類が今まで知らなかったものばかりで、これが非常に有用なものであることが分かってきた。既存の素材の上位互換となりうる可能性を秘めていた。
魔物の甲殻で作った鎧は防弾チョッキをやすやすと貫くコボルドの牙を通さない。クロウラーの糸は強くて燃えない。魔物素材によって安全性が増し、生存率が上がる。
魔物の心臓から稀に見つかる魔石は世界のエネルギー事情を激変させるはずだ。安定したエネルギーの取り出し方はまだわかっていないが、三ミリほどの魔石が、ある研究所を爆破し、消滅させた。どうやら強いエネルギーを秘めているらしい。
ダンジョンに生えている草やきのこには、薬の原料となるものがありそうだ。未知の鉱石も見つかった。
ダンジョン対策は、ダンジョンで手に入れるもので対応することができる。ダンジョンとうまくつきあっていくことができるそうだ。
世界中の人が必死でダンジョンと向き合った。ダンジョン発生から一年を過ぎた頃には、スタンピードを起こすダンジョンはほぼなくなっていた。
二年後にはダンジョン協会は解体された。世界の状況が落ち着いてきて、危険ではあるものの、ダンジョンは資源とみなされるようになっていた。その資源を、国を横断して国よりも強力な組織が管理することに忌避感を示した国が現れ始めたのだ。
特に、ついにエネルギー資源として実用化された魔石は、他国に持ち出されてはまずい、というのは各国政府の共通した思いであった。
そこで、国に属し、ダンジョン資源を管轄する各国ダンジョン省と、ダンジョンに入る人をサポートする各国を横断するハンター協会に分割された。基本的にダンジョンで得られた資源は他国への持ち出しが禁じられた。
各国のダンジョン協会支部は、ハンター協会支部となった。ダンジョン攻略情報の共有、共同研究は相変わらずハンター協会に残されたため、ハンターたちの反発はほとんどなかった。もともと、他国のダンジョンに入るハンターは少なかったためだ。
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