6-2

「あたしの身体、もう子供ができないそうなんです」

 停学中に起こったことを話し終えたさとりは、表情を殺したまま夏生に告げた。

 さとりは何度も実父に蹴られたことでお腹に、主に子宮に大きなダメージを負ったらしい。命にこそ別状はなく、精密検査の結果もまだではあるが、医者の長年の経験と蓄えた知識から推測して、さとりの身体は子供を作ることがとても難しい状況に追い込まれているらしかった。

「だからあの告白は、なかったことにしてください」

 家族を増やしていくには結婚し、子供を作っていくのが普通だ。

 だが、家族は増やしていけると語ったさとり本人の身体が、子供を作ることができなくなってしまった。いくら夏生とさとりが望んでも、これ以上、家族を増やしていくことはできなくなってしまった。

 だから、さとりはあの告白をなかったことにしようとしている。

 自分では夏生の隣にいるのは相応しくないと、そう言っている。

「・・・・・・でも、大丈夫ですよね、先輩。山野辺先輩とちゃんと家族になれたんですもんね」

 大丈夫、とさとりは繰り返した。

「・・・・・・」

 認めてはいけない。受け入れてはいけない。

 なにかを、さとりに言ってあげなければいけない気がする。

(でも俺は、なにを言ってやれば)

 口を開いても言葉はでなかった。

 こんなことになってしまったさとりに対してかけてやれる言葉が思いつかない。

 夏生は家族を求めていた。でもそれと同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上にさとりは家族を求めていた。

 そんなさとりはこれ以上、家族を増やしていくことができなくなってしまった。その事実は、心の傷は、安い言葉では癒やせない。

 なにを言っても、今はさとりのことを傷つけてしまうような気がした。

「先輩」

「・・・・・・え」

「今日はもう、帰ってくれませんか。なんだか疲れちゃったんですよぇ」

 と、いつもの調子でさとりは笑う。

 でもその言葉には有無を言わせない重さがあって、夏生はそれ以上この場に留まることができなかった。

「・・・・・・また、来るよ」

 そんなことを言うだけで精一杯で、夏生は病室を出る。

 ショックだった。

 まさかさとりの身にこんなことが起こっているなんて想像すらしていなかった。

 あれだけ家族を望んでいたさとりには辛すぎる現実だ。

「・・・・・・っ」

 病室を出てロビーへ。その頃には少しだけ現実を受け入れることができて、同時にとても腹が立っていた。

 こんなことをした実父にはもちろん、そのとき側に居て守ってあげられなかった自分自身にも。

 手当たり次第に八つ当たりしたい気分に襲われる。

「・・・・・・瀧くん?」

 夏生のそんな苛立ちを抑えたのは自分を呼ぶ声だった。

 声のしたほうへ顔を向けると、そこには見覚えのある男が立っていた。

「久しぶり、というほど時間は経っていないか。こんにちは、崎森真一郎です」

 崎森真一郎。さとりの義父。

 指導室以来の再会だった。

「・・・・・・さとりのお見舞いに来てくれたのかな。ありがとう」

「い、いえ・・・・・・」

 指導室のこともあるし、さとりのこともある。なので少し真一郎とは顔を合わせづらかった。

「迷惑だったかな」

「え、なにが、ですか?」

「さとりのこと。入院していることを教えたこと。キミの連絡先をさとりに聞いたんだけどね、教えてくれなくて。仕方なく学校へ連絡してキミに伝えてもらったんだ」

「どうして俺に」

「・・・・・・さとりの身体のことは?」

 聞いた、という意味を込めて頷く。

「なんでもないように本人はしているつもりのようだけど、平気でいられるわけがないんだ。特にあの子は家族というものに強い執着をもっているからね」

 ただでさえ子供ができなくなるなんて辛い出来事のはずだ。でもさとりは他の誰よりも辛く悲しく、痛いはずだった。

「少しでも元気がでればいいと思ってね。キミに連絡をしてもらったんだ。すまなかったね」

「いやっ、そんな! むしろ教えてくれてありがとうございました」

 喜べるような状況ではないが、それでもさとりのことを知れたのは良かったと思う。知らないままでいるよりは、ずっといいはずだ。

「あの、崎森が言っていたことは・・・・・・」

 彼女の言葉が嘘だと思っているわけじゃない。

 でも、嘘であってほしいとは、思っていた。

「事件があったのは昨日でね。まだ精密検査をしただけで結果も出ていないから絶対とは言い切れないが、それでも医者の見立てでは・・・・・・ほぼ間違いない、とのことだ」

「・・・・・・」

 わかっていた。

 さとりがこんな嘘を吐くはずがない。

 でも希望は持ってしまっていた。真一郎が否定してくれるんじゃないか、僅かでも希望をくれるんじゃないか、そんなことを思った。でもさとりの口から出た言葉と、真一郎の口から出た言葉は同じで、夏生はより強い絶望の中へと足を踏み入れる。

「・・・・・・私のせいかな」

「え?」

「私がもっとちゃんとしていて、さとりともっと早く家族になれていれば、こんなことにはならなかったかもしれないね」

「それはっ、そんなことは」

 さとりは言っていた。過去と決別するためにきっとあの場所へ行ったのだと。

 だったらこれは真一郎のせいではない。早い遅いの問題ではなく、いずれきっとさとりはあの場所へ行っていた。実父と決着をつけていた。

「いや、いけないな。またキミの前でこんな弱々しいことを言っていては。私はもう、あの子の家族。父親なんだから」

 そう言って笑う真一郎も、やはり無理をしているように見えた。

 でもその表情は前までなら浮かべることすらしなかったものだ。その表情を見て、本当に二人は家族になれたんだと、そこだけは安心することができた。

「瀧夏生くん。もし良かったら、またさとりに会いに来てはくれないかな」

「はい。俺で良ければ」

 そう答えると真一郎は「ありがとう」と微笑んだ。

 その表情は数日前までとはまるで別人で本当に驚く。

「ああ、そうそう。大事なことを忘れていたよ」

 踵を返していた真一郎が振り向く。

「さとりをこんな目に遭わせた男はあの後すぐに捕まったよ。きっともう、さとりの前に現われることはないだろう」

 さとりが受けた痛みと苦しみを思えば、捕まるだけでは全然足りない。でも実父がもうさとりの前に現われないということだけは素直に喜ばしい。

 そしてさらに真一郎は「もう一つ」と前置きして言う。

「あのとき、叱ってくれてありがとう。キミの言葉は本当に胸に刺さった。キミのおかげでさとりと家族になることができたんだ。改めて、お礼を言わせて欲しい」

「俺はそんな・・・・・・こちらこそ、生意気なことを言ってすみません」

「キミが謝ることは何一つないさ」

 そして最後にもう一度、真一郎は「ありがとう」と頭を下げてさとりのいる病室へと向かって行った。

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