5-5
「はぁっ、はぁっ!」
額から汗を滴らせ、肺が破裂しそうなほどの痛みに耐え、棒になりそうな脚をひたすらに動かす。
夏生は走っていた。脇目も振らず、一心不乱に走っていた。
(――くそっ。なんで、どうして!)
翌日。停学三日目になってもさとりと連絡はつかなかった。なので仕方なく家まで行こうかと思い教室を出ようとすると担任に声を掛けられた。
そしてそこで、耳を疑うような事実を知らされた。
「瀧。・・・・・・ああ、今はもう山野辺か」
と、切り出した担任の表情は優れない。なにか用事があるのなら早くして欲しかったのだが、担任は夏生を職員室まで引っ張った。そしてなにやら重苦しい表情をしたまま切り出した。
「・・・・・・落ち着いてよく聞け。一年の、崎森のことだ」
さとりの名前が出たことで空気が変わる。
担任の表情や雰囲気はお世辞も楽しげなものではない。そんな中で振られるさとりについての話。
・・・・・・嫌な予感しか、しなかった。
「これは彼女のお父さんからも了解を得ている話だが、無闇に公開はしないように。お前にだけなら、と彼女のお父さんが仰ってくれたんだ。お前は恩人だからとな」
「・・・・・・先生、さっきからなに、言ってんすか・・・・・・?」
担任は黙る。しかし一拍だけ置いて口を開く。
「――崎森は今、入院している」
と、そんなことを告げられた夏生は病院の場所を聞き出し一目散にそこへと向かっている。
なにがどうして、さとりが入院なんて事態になったのかは聞いていない。その理由を担任が話す前に夏生が飛び出したからだ。
だが理由くらいはちゃんと聞いておくべきだったと後悔している。
なにかがあったのは間違いない。でもその程度がわからない。
走って走って走って。疲労で頭が空っぽになっていくにつれてさとりの安否だけが気になった。そして担任の雰囲気と入院というワードが少しずつ不安を煽って想像はどんどんと悪いものへと変わっていき気が変になりそうだったのだ。
兎にも角にもまずは病院だ。
全力で走ってやっと辿り着いた病院。中に入ると真っ先にロビーへと駆け寄り、さとりの名前を告げて彼女のいる病室を聞き出した。
直ぐに院内マップを確認し病室へと向かう。
「崎森!」
中に入るや名前を呼ぶと、ベッドの上で上半身を起こして座っていたさとりが驚いた顔をしてこちらを向いた。
「せ、先輩? なんで、ここに・・・・・・?」
「なんでって、お前が入院したって聞かされたから」
「誰にって・・・・・・お父さんしかいないか」
「崎森、いったいなにがあったんだ?」
ベッドの脇に立って問うが、さとりは顔を逸らして無言を貫いた。
見たところ酷い外傷があるようには見えない。ところどころに絆創膏が貼られてはいるが、包帯を巻かれているような傷には見えなかった。
この程度、と言っていいのかわからないが、それでもこれくらいの傷で入院は大げさに思える。なら入院の原因は外側ではなく、内側――。
「・・・・・・山野辺先輩とは、お話できましたか?」
「え? あ、ああ。崎森のおかげで。無事に家族になった」
突然の質問に呆気にとられながらもそう返すと、さとりは振り向き「おめでとうございます」と笑顔で答える。
「ありがとな、崎森。これもお前のおかげだよ。お前が、俺に勇気をくれたから」
「いえいえ。あれは恩返しのようなものですからねぇ。気にしないでください」
表情はどことなく元気がない。しかし口調はいつもの崎森さとりだった。
夏生はそれに違和感を覚えつつも、いや、さとりに元気がないからこそこの気持ちを告げるべきだと思った。
ぐっと拳を握る。
気持ちを落ち着け、前を、さとりを見る。
「だとしても、崎森のおかげなのは間違いないから。・・・・・・だから、約束通りお前に返事を、しようと思うんだ」
ピクリとさとりの肩が動いた。
ここまで言ったら、さとりも夏生が今なにを口にしようとしているのかわかったはずだ。変な緊張感に押し潰される前に、夏生は先を急ぐ。
「側にいてくれるって、支えてくれるって、家族は増やしていけるって、そう言ってくれたお前の言葉、あれ、本当に嬉しかった。崎森がいたから春たちと家族になることができたし、崎森と一緒にいた時間はなんだかんだで楽しかったんだ。それにお前が伝えてくれた気持ちも、すげー嬉しかった」
だからこそ考え、感じた。
決して雰囲気に流された気持ちじゃない。
「だから、俺は。俺も、崎森のこと――」
「――先輩」
一番大事な言葉。
一番勇気のいる言葉。
一番伝えたい言葉。
しかしそれは、さとりによって遮られてしまう。
そして、さとりは。
「あのときの告白なんですけど、あれ、やっぱり無かったことにしてください」
「・・・・・・は?」
想像すらしていなかったさとりの言葉に、夏生は言葉を失う。
なにを言われたのかすら理解できず、ただたださとりへ視線を向けるしかできなかった。
「・・・・・・先輩、あたしは言いましたよね。家族は増やしていけるって。先輩も今言ってくれましたよね。家族は増やせると言ってくれて嬉しかったって。だったら、やっぱりなかったことにしてください」
「や、いやっ、ちょっと待て、意味わかんないって、マジで・・・・・・」
夏生からすればこの告白は失敗することがない、そんな結果を考える必要がない幸福が確定しているものだった。
だからこそ、このさとりの言葉に面食らう。
あの晩、さとりは確かに言ったのだ。夏生のことが好きだと。そして夏生の気持ちも同じものだ。二人の気持ちは通じ合っている。あとはそれを言葉にするだけで、晴れて二人は一歩前に踏み出せる。
――はずだったのだ。
「・・・・・・あたしじゃ、だめなんですよ、先輩」
「だめって、なにが・・・・・・」
「そのままの意味です。あたしじゃ、先輩の家族を増やすことはできませんから」
彼女の言葉の意味が理解できない。
言葉の意味も、態度の変わりようも、この状況も、なにもかもが意味不明で理解できなくて、思考が追いつかなくて。
でもそこから先の彼女の言葉は、なんだか無性に聞きたくはなかった。
でもさとりは意を決していた。
それが雰囲気でわかる。
そして、さとりは言った――。
「――あたし、子供ができない身体になってしまいました」
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