5-2

 翌日、学校へ登校すると朝一番に担任から呼び出しがあった。

 理由は言うまでもなく昨日の指導室の一件だ。本来なら問題行為だったのだろうが、さとりと真一郎が夏生に感謝していて、問題を解決したことを考慮して軽い注意だけで済んだ。

 だがお咎めなしになったのは夏生だけで、さとりには今日から三日間の停学が言い渡されていた。

 理由はどうあれラブホテルに男を誘って入ろうとしたことは事実で、それ自体は当然処罰の対象だ。本当なら三日の停学では済まないことなのだが、そこはさとりの事情が考慮されたのだろう。

 担任から解放された夏生はそのまま屋上へと向かった。もうすぐ受業が始まるが、今はそんなものを受けている気分ではない。

 屋上の床に通学カバンを枕にしながら横になる。

 昨晩、さとりが部屋を訪れたときの言葉がずっと頭には残っている。

(・・・・・・勇気、か)

 目を閉じれば相変わらず声がする。

 夏生の生を呪い、死を願う、家族の声。

 でもそれが幻聴で、夏生の罪悪感からくるものであることは夏生が誰よりもわかっている。わかっているのにその声に囚われ続けていたのは、それを振り払い前に進むだけの勇気が夏生になかったからだ。

 家族がいない寂しさ、辛さ、悲しさ。

 それはもちろん身をもって知っている。特にさとりと過ごした数日で、それはより顕著に感じるようになった。

 そしてさとりが(きっかけは夏生だったとはいえ)勇気を出して真一郎と話をしたことで、彼女は望んでいた家族を手に入れることができた。手を伸ばせば、足を踏み出せばそこに望むものがあると、手に入れることができると証明した。

 ずっと前から、それは手の届くところにあったはずだ。

 さとりは言った。家族は増えると。そして別れ際に見せたあの視線の動きが、全てを物語っていた。

(・・・・・・春)

 さとりよりももっと昔から。ずっとずっと前から、彼女らは夏生に手を差し伸べてくれていた。ただ夏生がその手をとらなかっただけだ。

(俺は、あいつの手をとってもいいのか・・・・・・?)

 再び目を閉じる。

 すると闇の中から父が、母が、姉が、その姿を現す。

 声がする。怨嗟の声だ。夏生だけが生き残ってしまったことを恨む声。夏生の罪悪感が生んだ幻聴と幻覚。

 打ち勝つ方法はもうわかっている。

 ただ、そのための勇気が足りないだけ――。

「――先輩」

「・・・・・・っ」

 声が聞こえた気がして目を開ける。当然そこには誰も居ない。聞こえた声の主は今、自宅謹慎中なのだ。

 でもその声が聞こえると同時に、頬が確かな熱を感じる。

「・・・・・・」

 もう一度目を閉じる。変わらず幻影はそこにいて言葉を発する。

 大きく息を吸い、手で頬に触れた。

「・・・・・・父さん、母さん、姉さん」

 家族が死んだことは悲しい。自分だけが生き残ったことは今でも罪悪感がある。でもだからといって立ち止まっていていいわけじゃない。

 あの事故は、事故なのだ。

 誰が悪いわけじゃない。ましてや、夏生が生き残ったことが悪なわけがない。ただ夏生が耐えられなかったからだ。家族を失ったことに。そして新しく得た家族を再び失ってしまうことに恐怖を抱いたからだ。

 要するに言い訳に過ぎない。

 恐怖に負けて、乗り越えることを諦める。その言い訳。

 前に進むよりもその場で座っているほうがラクだから。そのための、言い訳だ。

 人間は恐怖を遠ざけるしラクなほうへと逃げていく。きっと一人だったら今も夏生は流されて変わることはできなかっただろう。

 でも一人じゃないと知った。

 家族になろうと言ってくれる人たちがいる。

 一緒にいて支えてくれると言ってくれた人がいる。

 彼女たちがいれば、きっと辛くても前に進んでいける。

 失うばかりが家族じゃないのだから――。

 だから――。

「――父さん、母さん、姉さん。俺は、生きるよ」

 決意を口にし、亡き家族の幻影に告げた。

 小さな一歩だがようやく前に踏み出すことができた。

 そして夏生のその言葉と同時に、夏生への怨嗟の声が消えた。

 幻影は黙り込み、そして闇の中へと静かに消えていく。夏生の恐怖から生み出されたそれらは、夏生が勇気を持って踏み出したことで消えたのだ。

 もう姿は見えない。

 もう声は聞こえない。

 閉じていた目を開くと太陽の光が眩しかった。

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