4-8
放課後のホームルームが終わり、約束のとき。
帰り支度をするクラスメイトに紛れてさとりは視線を動かすと、約束した相手はそそくさと教室から出て行くところだった。
あのあと勇次からは正確な時間と場所を指定するメッセージが送られてきた。それによると待ち合わせの時間は今から約一時間後。他の生徒が部活に行ったり大部分が帰ったりして人が少なくなる時間帯だ。
それまでは適当に時間を潰す必要がある。特にすることもないのでどうしたものかと考えていると、校内放送を告げるチャイムが鳴った。
『――崎森さとり、至急生徒指導室まで来るように』
「?」
聞き間違いでなければ今自分の名前が確かに呼ばれた。教室に残っているクラスメイトもチラチラとさとりのことを窺っている。
(生徒指導室・・・・・・? なにかしたっけ、あたし)
呼び出しを受けるようなことに心当たりはないが、どうせしばらくは時間を潰さなくてはいけないのだ。きっと一時間もあれば話は終わるだろう。
さとりは立ち上がると教室を出て生徒指導室へ。
指導室は一階にあるため、下駄箱に向かう他の生徒の波に混ざった。
指導室の前につくと軽くノックをして扉を開けた。だがその中の光景を見て、さとりは驚きに身を固くする。
指導室の中には指導担当の教師、さとりの担任、教頭、そして義父である真一郎の姿があった。
「・・・・・・崎森さん、座って」
入り口で硬直しているさとりに、担任が優しく促す。その声に一応は我に返ったさとりは促されるままに真一郎の隣に腰を下ろした。
(・・・・・・なんで、真一郎さんがここに?)
横目で真一郎の顔色を窺うが、真一郎は表情一つ変えずに座っている。まるで家に帰ってきた直後のような雰囲気だ。
「呼び出してごめんなさい、崎森さん」
これで揃うべき人間が全て揃ったのか、担任が話を始める。
真一郎の存在も気になるが、さとりがここに呼ばれた理由も同様に気になった。それもわざわざ真一郎を呼び出すほどのことだ。よほどのことがあったのだと予想できる。
「まずは崎森、ここに呼び出された心当たりはあるか?」
担任に続いて指導教師が問う。その言葉はあくまでも質問だが、視線には鋭い光が宿っている。
そんな目で見られてもわからないものはわからない。首を横に振って否定するとこれ見よがしな溜息を吐いて頭を抱えた。
「保護者の方から連絡があったの」
今度は指導教師に代わって担任が続ける。
「崎森さん、あなた・・・・・・。昨晩、どこでなにをしていたの?」
(昨晩・・・・・・?)
そう問われて真っ先に思い返されるのは勇次のことだ。
彼から受けた告白。昨晩の一大事と言えば間違いなくこれだろう。
だが、まさかそんなことで呼び出しを受けたというのか。保護者から連絡があったと言うが、保護者がわざわざ誰が誰に告白をしたなんて学校に連絡を入れて、学校がそれを問題として取り扱っているのはどう考えてもおかしい。
さとりは告白をされただけだ。付き合ってもいなければ返事すらしていない。それこそまさにこれからなのだから。
「正直に言え、崎森」
「正直もなにも、別にこれといってなにも」
そう言うしかない。他になにを言えと言うのだ。
だが教師たちはそんなさとりの態度に思うところがあったのか、三人で顔を見合わせた。そしてアイコンタクトを経て指導担当が代表して口を開く。
「昨晩、お前が中年の男とホテル街のほうへ歩いて行ったという情報がある」
「――っ」
そしてこのとき、さとりは自分の勘違いに気づいた。
そうだ。いくらなんでも学生同士の恋愛沙汰に、しかも告白を受けただけで呼び出しをくらうなんてあり得ない。
そしてさとりもその告白があったせいですっかり頭から抜け落ちていた。
もともと昨晩、さとりがなにをしようとしていたのかを。
見られていた。いや、見られていても不思議はない。だってそもそも隠す気自体がさとりにはなかったのだ。誰に見られても、誰になにを言われても関係なかったからだ。だからもしも見られていた場合のことまで深くは考えていなかった。
「どうなんだ、崎森」
「・・・・・・」
今でも本当はそれほど大事だとは思っていない。
実際問題としてホテル街の入り口までは行ったがその先の行為はなにもしてない。ただそこを歩いていただけだと言い訳することもできる。
「・・・・・・その反応、認めるのか、崎森?」
だが同時に、否定する理由も特にない。そしてその沈黙を三人の教師は肯定と受け取った。再度顔を見合わせ、今度は担任が口を開く。
「そんなところで、なにをしようとしていたの?」
指導教師とは真逆の優しく、そして心配するような口調。だがさとりはそれを白々しく感じる。
なぜなら――。
「なにって、ラブホで男とすることなんて、一つですよね?」
その言葉に室内が静まりかえる。
誰もが絶句し、さとりへと視線を集める。
それはまだ子供であるさとりがそんなことをしようとしていたことに対する驚きか、それとも中学時代の噂なり話なりを知っていての諦めか。
(ま、どっちでもいっか、別に)
「・・・・・・崎森さん、どうして、そんなことを?」
「どうして・・・・・・?」
どうして、どうしてか。
そんなことは決まっている。子供が、家族が欲しかったからだ。
理由を話すことは簡単だ。だが果たしてこの理由は理解されるのか。・・・・・・いや、絶対にされないだろう。
中学時代の友人も、教師も、そして父親も、誰も理解などしてくれなかった。
だったら話すだけ無駄で、意味がない。
(・・・・・・そうだ)
確かに真実に意味はない。
だがこの状況にさとりは一つの意味を見出した。
チラリと真一郎の横顔を見る。その表情は、まだ何一つ変わっていない。
「――お金です」
「え?」
「ラブホで男女がすること、そして女子高生と中年男がラブホに入る理由。そんなの、普通は一つじゃないですかねぇ?」
嘘を吐く。
隣に座る男の反応を窺いながら、嘘を吐く。
「お金が欲しかったんです。援助交際、というやつですよ、先生」
さとりの語った理由を聞いて、目の前の三人の教師は揃って同じ顔をする。
女子高生によるお金目的の援助交際。そんなものは巷に溢れ、都会だろうが田舎だろうが横行している。そして目の前の彼らは教師で、そういった問題に常に頭を悩ませているのだ。
女子高生が中年男とラブホに向かった――。そう聞けば真っ先に援助交際の可能性を疑う。だがそれを口に出さなかったのは、自白させたかったからなのか、別の答えを期待していたからなのか、それとも違う答えに誘導したかったのか。その理由はわからないが、今こうして彼らの疑念と思惑は、さとりの嘘によって確定された。
さとり自身がそう宣言したのだ。もう行き着く先は決まっている。その先の処分も決まっている。彼らのとる行動は決定した。
だがさとりにとってそんなものはどうでもいい。
この嘘で知りたかったのはそんなことではない。
「・・・・・・」
心臓の鼓動が速くなったのがわかった。僅かに体温が上昇した自覚もある。
膝の上に置かれた手を握って、ゆっくりと隣へと視線を向けた。
「――――・・・・・・っ」
そこには、いつもとなんら変わらない真一郎の姿があった。
そしてそれを見て、さとりは悟った。
(ああ・・・・・・)
心臓の鼓動も上昇した体温も平常に戻る。熱に浮かされていた頭が氷水をかけられたかのように冷えていく。
(やっぱり、もうダメなんだ)
自分を堕としてまで吐いた嘘。それで知り得たのは知りたくもない真実で、どうしようもないくらいに手遅れな現実だ。
「・・・・・・崎森さん、本当に理由はそれだけ? なにか本当は別に悩みがあるとか」
だから、もうどうでもいい。
(悩みなんて・・・・・・もう解決できないことがわかったんだから・・・・・・)
さとりの嘘。それでもまだ担任はさとりのことを信じようとしてくれていたのかもしれない。だがもうそんなものは不要だ。
この場で話すだけ、無駄なのだ。
「ありません。なにも」
さとりの突き放す言葉に担任はついに黙った。
それを見ていた指導教師が、今度はさとりから真一郎に視線を移して問う。
「お父さんにもなにか心当たりはありませんか?」
もうなにも期待しない。
だって、ほら――。
「わかりません。どうしてこんなことをしたのか」
(・・・・・・わからない?)
指導室の中で初めて発した真一郎の言葉は、どこまでも冷静で、淡々と、人の温かみなどまるでない機械のような言葉だった。
最後の最後まで残っていたか細い糸。
それが今、完全に切断された。
もう望んでいた場所へ這い上がることはできない。この手はなにも掴むことはできない。
(わからないんだ、本当に・・・・・・)
もうどうでもいいはずだった。期待なんてないはずだった。もう希望を抱くことは無意味だと知ったはずだった。
もう、これ以上の絶望なんてないと思っていた。
でも真一郎の一言にさとりの胸は確かに抉られた。
わからないと、彼は言った。
さとりがこんなことをした理由も、嘘を吐いた理由も、彼はわからないと言った。
でもそんなことはない。彼がさとりのことを見ていれば、少しでも気にしていればわかることのはずだった。
なのに真一郎は言ったのだ、わからない、と。
(それって・・・・・・あたしのことに興味なんてないって、ことだよね)
興味がない。だから気にならない。気にならないから、さとりの行動の理由がわからない。
希望の糸は切れ、さとりは暗い暗い穴の奥底へと落ちていく。
考えないようにしていた。
でも今、はっきりと理解した。
なにもかもが遅かったのだ。いや、もしかしたら初めから始まってすらいなかったのかもしれないが。
家族は。
さとりの家族は。
あの日、あのとき。
母親が逝ったあの日から。
(――もう、終わってたんだ)
「・・・・・・わかりました。では、崎森――」
さとりへの処分が言い渡されようとしている。
でももう、本当に、なにもかもが、
(――どうでもいい)
――と、その瞬間だった。
突然に激しく、外から窓ガラスが叩かれた。
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