4-9

 結局、夏生はあれからさとりとは連絡が取れないでいた。

 電話にもメッセージにも折り返しはない。昼休みにも校内を探してみたが避けられているのかその姿を捉えることはできていなかった。

 探しても見つからないのなら待ち伏せするしかないと思い、放課後のホームルームが終わるや一年の教室に向かおうと教室を出た。するとそこで校内放送が流れる。さとりのことを呼ぶ放送だった。

 指導室への呼び出し。たったそれだけではなにもわからない。しかし嫌な予感はしていた。三階にある一年の教室へと向いていた足は、指導室のある一階へと向いていた。

 なにについての呼び出しなのか、正確なところはわからないが、おそらくは関係がないであろう夏生が指導室の中に入ることはできない。しかしここまで来たら気になるし嫌な予感は続いている。

(さて、と)

 もうさとりは中に入っているのだろうか。だとしたらどうやって中の様子を探るか。ドアに耳を当てて音を探るが話し声はするが内容までは聞き取れない。もう少し壁が薄ければ――。

(・・・・・・そうだ)

 指導室は一階の中庭に面していて、そこには当然窓がある。ドアがダメなら窓から探りを入れよう。

 夏生は中庭からバレないように体勢を低くして指導室の窓の下に移動した。

 するとドア越しよりは遙かにクリアに、中の話し声が聞こえてくる。

 そしてその内容に夏生は驚き、ある程度の事情を把握した。

(あいつ・・・・・・っ)

 と、目の前が燃えているみたいに真っ赤に染まった気がした。

「――っ!」

 気づけば立ち上がり、指導室の窓を力一杯に叩いていた。

 その音に室内にいた誰もが驚いた顔をして夏生を見る。窓を割らんばかりに叩く夏生を止めるため、指導教員が立ち上がり窓の鍵を開けた。

「おい、なにをして――っ」

 教師の言葉を無視して夏生は窓を乗り越えて指導室の中に入る。

「お前、二年の瀧だな。なんのつもりだ、いったい――」

「せん、ぱい・・・・・・?」

 一瞬さとりと視線が交錯する。しかし夏生はすぐにその視線を隣に座る真一郎へと向ける。

「本当に、わからないんですか」

 絞り出すようなその言葉に、その場にいた誰もが夏生のことを注視する。その中の一つ、真一郎の視線を真っ向から見据える。

「崎森がこんなことをした理由が、本当にわからないんですかっ!」

 どうしてだ。なぜわからない。

 さとりのことをよく知らない教師は別にして、でも父親である真一郎はわからなければいけないはずだ。いや、わかっていて当たり前のはずだ。

「崎森が本当に援助交際なんてすると思ってるんですか。本当に金が欲しいから男と逢っていたと思ってるんですか。崎森が心から欲しがっているものが、本当にあんたはわからないんですかっ!」

「落ち着け、瀧。お前はなにを言っている」

 後ろから指導教師に肩を掴まれ諭される。

 しかし夏生は視線を外さず、その手を振り払うようにして前へ一歩踏み出した。

「あんたはわからなきゃいけなんだ。だって、あんたは・・・・・・」

 崎森さとりの望むもの。

 心の底から、望むもの。

 家族が欲しいと、さとりは常々言っていた。そしてそれは間違いでも嘘でもない。でもその言葉の裏には、隠された意味があった。家族がほしいという言葉の全てが正しくはなかった。

 きっと誰もさとりの真意に気づいてはいない。

 ただ夏生はさとりと過ごした時間が他の誰よりも長かったから、さとりの言葉を聞いていたから、さとりの行動を見ていたから、そしてなにより、同じように家族を失った境遇だったから。だから言葉の裏にある意味に気づけた。

 でもさとりと長く一緒にいたのは、家族を失ったのは、なにも夏生だけではない。

「――あんたは、崎森の父親だろう! 血が繋がってなくても、あんたは崎森が認めたたった一人の父親だろう!」

「・・・・・・」

 苛立ちのままに言葉をぶつける。しかし真一郎は夏生へ視線を向けてはいるものの、なにか言葉を投げかけてくることはない。

 まるで夏生の言葉に興味などないかのように――。

 だからこそ、余計に苛立つ。

「・・・・・・あんた、崎森の料理食べたことあるかよ」

「・・・・・・いや」

 ようやく聞けた真一郎の言葉。だがその当たり前のように発せられた否定の言葉に目眩すら覚える。

「崎森が料理を覚えたのは中学の時だ。お母さんが亡くなって、お母さんの代わりに家事をするようになったんだ。なんでか、わかるか?」

 真一郎は答えない。

 その態度が、とてもとても腹立たしい。

 わかっていても関係ない。わかっていなくても関係ない。

 真一郎が答えないのなら、全部ここで言ってやる。わからないなら、全てわからせてやる。

 そのつもりで、夏生は続ける。

「家族のためだ。実の父親から酷い扱いを受けて、ずっと幸せな家族を求めていた崎森がようやく手に入れたと思った新しい家族があんただったんだ。血の繋がりなんて崎森には関係なくて、崎森自身があんたのことを父親だと認めたんだ。父親としてあんたを求めたんだ! だからお母さんが亡くなった後も・・・・・・いや、亡くなったからこそ、唯一の家族であるあんただけは失わないように、壊れてなくなってしまわないように、崎森はあんたとより家族になろうとしたんだ!」

 さとりが夏生の家で夕飯を振る舞った日。

 さとり自身は気づいていないようだったが、彼女は確かに言った。『ちゃんとやっていけてたら、こんな風になることもなかったのに――』と。そしてその言葉は夏生にはしっかりと聞こえていた。

 ちゃんとやっていけてたら。

 それは、もっと自分がしっかりと母親の代わりを、家族としてやっていけていたら、という意味だ。

 もしも、もっとちゃんと真一郎と家族になることができていたら、こんな風に拗れた関係にはなっていなかった。血の繋がりなんてなくても、二人はしっかり家族になることができていた。

 ――さとりの言葉は、きっとそういう意味だった。

 そしてその言葉を聞いたからこそ、夏生はさとりの真意に気づき、この料理が本当は誰のために作られてきたものなのかを知った気がしたのだ。

 そう、全ては、真一郎のため。

 自分が認めたたった一人の父親のためのもの――。

「崎森の料理の腕はあんたのために磨いたものだ。他の誰でもない。本当は誰よりもあんたに食べてほしかったんだ! 父親である、あんたに!」

 愛した女性が急逝し、これから訪れるはずだった幸せが壊れてしまって辛いことはわかる。

 でもだからこそ必要だった。

「あんたがまず崎森にしてやるべきだったことは、こいつが作った料理を食べて、一言でいいから褒めてやるべきだった。たったそれだけのことで、きっと崎森の心は救われたはずなんだ・・・・・・っ」

 ただ、喜んでほしかったのだ。

 家族になった自分が、家族になった父親に。

 それだけだ。

 それだけのことをしていれば、きっと、こんな風には――。

「崎森はあんたと家族になりたかった。あんたと家族でいたかった。望んでいたのは、たったそれだけのことなんだ。でも、あんたはそれを拒絶した。崎森のことを突き放した」

 だから、さとりは――。

「・・・・・・奥さんが亡くなって辛かったのはわかる。悲しかったのはわかる。苦しかったのもわかる。でもあんたは崎森の前でだけは、弱さを見せちゃいけなかったんだ」

 そう、たとえどれだけ辛く苦しくても、それだけはしてはいけない。

 子供の前で、家族の前で。

 それがきっと、父親というものなのだ。

「だってあんたは崎森の父親になったんだから。崎森のお母さんと再婚するって決めたとき、同じように決めたはずだろ、決意したはずだろ、誓ったはずだろ。こいつのことも家族として守っていくって! 覚悟をしたはずだろ! あんたが崎森のことを守っていかなきゃいけなかったはずだろっ!」

「・・・・・・っ」

「その覚悟がなかったのなら結婚なんてするなよ。崎森の父親になろうとするなよ。こいつと、家族になろうとなんてするなよ・・・・・・っ」

 最後の言葉は吐き出すような言葉だった。

 それはきっと、夏生自身も家族のことで辛い経験をしたからで、夏生にも家族というものが今はなくて・・・・・・。

 吐き出した言葉と一緒に熱も冷めていく。少しずつ頭が冷静になり、周囲の状況も目に入るようになった。

 誰もが夏生を注視している。夏生の言葉を、夏生の想いを聞き、その意味を噛みしめているようだった。

 でもそんな中で唯一、彼女だけが、さとりだけが、違った。

「・・・・・・崎森?」

 さとりの視線が夏生に向いている。

 しかしその瞳には、その頬には、涙が溜まり流れていた。

「あ・・・・・・」

 そこで初めて自分の状況に気づいたかのようにさとりは目元を拭う。しかし溢れるそれは止まることなく流れ続ける。

「あ、れ・・・・・・あたし・・・・・・あたし・・・・・・っ」

 嗚咽混じりの声がする。そして気づいたらもう、どうしようもなかったのだろう。堪えていた声がだんだんと大きくなり、流れ落ちた涙がポタリポタリとスカートの裾を濡らしていく。

 感情に任せて夏生はこの場に乱入した。感情に任せて言葉を言い放った。

 出しゃばったかとは思ったが、それでも後悔はなかった。それでももし後悔が残るとするのなら、それはさとり自身が夏生の言葉をどう思っているかだった。

 でも今のさとりの姿を見て、そんな杞憂は終わる。

 泣かせてしまったが、きっとその涙は――。

 夏生の肩を掴んでいる手を振りほどき、ゆっくりとさとりに近づく。座ったまま涙の溜まった瞳で彼女は夏生のことを見上げてくる。

「・・・・・・お前、溜め込みすぎなんだよ」

 もしもさとりの周りに話を聞いてくれる人がいたら。相談できる人がいたら。さとりが悩みを打ち明けることができていたら。

 きっとさとりはここまで歪まなかった。

 今、夏生が言った言葉を、もっと昔に誰かが口にしていたら――・・・・・・。

 そうなっていれば、きっとこんなところでさとりは涙を流すことはなかった。

 でもそんな人はいなかったし、さとりも誰にも相談することができなかった。状況を変えたのは他の誰でもない、夏生だった。

 だったら、夏生が言うしかない。

「無理すんな。今ここで全部出しちまえ。溜まってたもの全部な。そんで少しでもラクになったら、そのときに思ってたこと全部吐き出せよ」

「ぅ・・・・・・」

 夏生の言葉がきっかけだったのかもしれないし、そもそもがもう限界だったのかもしれない。

 どちらにせよ、さとりの瞳が乾くことはなかった。

 さとりは、まるで幼い子供のように声を荒げて泣き続けた。

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