4-3

 放課後のホームルームが終わるや、春は友人との挨拶もそこそこにいち早く教室を出て行ってしまった。

 お昼休みのあのときから夏生は春と話ができていない。春も気まずくて夏生のことを避けているようだし、なにより夏生もなにをどう話していいのかわからないでいた。

 考えがまとまらないままノロノロと帰り支度をする。すると教室の中が僅かにザワめいた。そして。

「瀧先輩」

 名前を呼ばれて顔を上げると、一人の男子生徒が立っている。

(こいつは・・・・・・)

 その顔には見覚えがある。先日、教室の外からこちらの様子を窺い、その日の帰り道にも背後を歩いていた後輩だ。

「高木勇次です」

「・・・・・・?」

 前振りなど一切ない言葉に一瞬混乱するが、すぐにそれが目の前の後輩の名前であることに気づいた。

 高木勇次と名乗った後輩がなんの目的で夏生の前に立っているのかはわからないが、名乗られたからには礼儀として名乗り返したほうがいいのだろうか。

(・・・・・・でもこいつ、俺のこと知ってるみたいだけど)

 どこで知ったのかは知らないが、名前を呼ばれ顔も一致しているようだし、改めて自己紹介などする必要はなさそうではある。

「先輩。・・・・・・崎森に、なにかしたんですか?」

「・・・・・・っ」

 と、さとりの名前を出されて思考は中断する。

 そしてなぜこの後輩が自分のことを知っているのか、点と点が繋がった。

 さらに言えば、その一言で彼がここに来た目的にも察しが付く。

「昼休みの後、崎森の様子が変でした。話しかけても上の空で・・・・・・。まるで昔に戻ったみたいで」

 さとりと勇次の関係性を夏生は知らない。だが、彼の口ぶりからそれなりに親しい間柄だということがわかるし、『昔に』と口にした時点でおそらくはさとりの中学時代、もっと言えばさとりが歪み始めたときのことを知っていることも察しが付いた。

 だからそんなさとりの姿を見て、勇次は夏生に原因があると予想した。いや、勇次は勇次で確信を持っているのかも知れない。さとりが堂々と夏生の教室を訪ねたように、自分のクラスでもそういったことを特別隠したりはしていないのだろう。

「なにか、したんですか?」

「・・・・・・」

 答えない夏生に勇次はもう一度同じ質問をするが、夏生は言葉に詰まった。

 なにかをしたわけじゃない。

 でも、気づかせてしまった。そしてそれがさとりの心を傷つけた。

 そういった意味では夏生がなにかしたとも言えるし、していないとも言える。でもだからこそ夏生もどうしていいのかわからないでいるのだ。

 だがそれはあくまでも夏生の事情だ。

 そして夏生の事情などどうでもいいであろう勇次は、この夏生の沈黙を自身の質問に対する答え――つまりは肯定だと受け取った。

 どこか気弱そうだった雰囲気が消える。そのまま真っ直ぐに夏生を睨み付け、勇次は言った。

「崎森と先輩の仲が良いことは知っています。でも崎森を傷つけるのなら、先輩は崎森の近くにいないほうがいいと思います」

「・・・・・・」

 勇次の言葉が刺さる。

 さとりは言った。家族になって欲しいと。

 春は言った。家族は苦しみあうためにないと。

 だが夏生はさとりの行動に暖かさを感じつつも苦しみも同時に抱いて、それをさとりに気づかせてしまった。

 ――傷つけてしまった。

 勇次の言葉を借りるなら、どんな理由があるにせよ、さとりを傷つけた夏生はさとりの側にいるべきではないということになる。

(俺は・・・・・・)

「・・・・・・ぼくは、崎森のことが好きです。いつか気持ちを伝えられたら、なんて思ってましたけど、今決めました。ぼくは崎森に気持ちを伝えます」

「――っ」

 そう宣言した勇次には、最初に見え隠れしていたどこか気弱そうな雰囲気がまるで感じられない。

 周りの目など見えていない。声など聞こえていない。

 たださとりへの気持ちだけで、目の前の夏生に宣戦布告している。

 では、その布告を夏生はどう受け止めらいい?

 頑張れと応援するのか。

 ちょっと待てと制止するのか。

 お互いに正々堂々と勝負しようとライバル宣言をするのか。

 ・・・・・・いや、そもそも自分はさとりのことをどう思っているのか――。

「・・・・・・なにも言わないんですか、先輩」

 言えるはずがない。言える言葉を夏生は持っていない。

 止める権利も、応援する資格も、さとりを傷つけてしまった夏生は持っていない。

 今の夏生にできるのは、宣言した勇次から視線を逸らすことくらい。

「・・・・・・では先輩、失礼します」

 そして勇次は夏生の態度を一つの答えとして受け取り、背中を向けて教室から出て行った。

「・・・・・・」

 夏生は、その背中を見送ることすら、できなかった。

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