4-1
「せーんぱい、お昼食べましょう?」
受業が終わっていつものように購買に行こうとすると、上級生の教室だというのになんら物怖じせずにさとりが入ってきた。呆気にとられるクラスメイトを無視して、さとりは夏生の隣にやってくる。
今までのさとりの行動を見ていて、もしかしたらこんなこともあるかもしれないと感じていたため、さとりが教室に来たこと自体は驚かなかったが、まさかこんな大声で目立つように誘ってくるのはさすがに予想外だった。
「・・・・・・崎森、俺、購買だから」
完全にスタートダッシュに失敗したので今日は余り物のパンしかないだろうな、なんてことを考えつつ立ち上がると、さとりが机の上に通学カバンを置いた。そして勝ち誇ったような表情を見せつつ、中から包みを二つ取り出した。
「もちろん作ってきました」
さとりの発言に教室中がザワつく。クラスメイトの視線に晒されとても居心地が悪かった。
「・・・・・・いや、それはさすがに悪いから」
ここで弁当を受け取っては変な噂が立つだろう。なんとか断ってさとりの横を通り抜けようとすると、
「えー、この前は夕食一緒したじゃないですかぁ、先輩の家でぇ、あたしが作ったのを食べたじゃないですかぁ」
教室のザワめきがさらに大きくなる。
「先輩も喜んで食べてくれたと思うんですけどねぇ」
わかってはいたが崎森さとりは確信犯だ。わざわざ口にしなくていいことをあえて言葉にしている。そうして外堀を埋めていき、夏生の逃げ道を塞いでいく。
ここまで来ればさとりの次の言葉は簡単に予測できる。あの夜のことは仕方がなかったとはいえ、こんな所で口にされたら色々と問題が多い。ヘタに口にされる前に用件を呑んだ方がいいだろう。
「・・・・・・わかったから、場所は変えよう」
「ま、場所はどこでもいいので、あたしは構いませんよ?」
言うとさとりは包みをカバンに仕舞う。溜息一つ吐いて歩き出した夏生の隣に並び、二人で教室を出た。
なるべく人がいないところがいい。となると場所は屋上くらいしか思いつかない。足は自然と学校の最上階へと向いていた。
屋上に出ると案の定人の姿はない。夏生はいつもの自分の定位置まで歩き、そこで腰を下ろした。
続けてさとりも腰を下ろし、再度カバンの中から包みを二つ取り出してそのうちの一つを夏生に渡す。
受け取ったその弁当に視線を落としながら、
「崎森、お前さっきの――」
弁当を貰えるのは正直有り難い。しかしそのことと教室での言動は別だ。それについてとりあえずは一言言っておこうと口を開くが、夏生の言葉の続きは突然響いた大きな音にかき消された。
驚き音のしたほうを見る。
するとそこには屋上のドアを開け放つ春の姿があった。
春はすぐに夏生を見つけると無言のまま歩み寄って、夏生とさとりの正面に立つ。そして仁王立ちして二人を見下ろし、
「どういうつもりかな?」
「・・・・・・なにがですか?」
「さっき、崎森さんが言っていたことさ。あんな誤解を招くようなこと、人がたくさんいる教室で言うなんて」
「誤解? 別に誤解じゃありませんよ。事実、先輩はあたしのご飯を美味しいって言って食べてくれましたし」
「そういうことじゃないよ。あんな意味ありげな言い方をすれば、あらぬ噂がたってもおかしくないって言ってるんだ」
「噂ですか。全然あたしは構いませんよ? むしろ既成事実になっていいんじゃないですかねぇ」
春もさとりも一歩も引かない。
唐突に始まった二人の言い合いに、夏生は情けなくも黙って聞いているしかできなかった。
「困るのは夏生だけじゃない。崎森さんだって困るだろう」
「困る、ですか?」
「そうさ。だって夏生とキミは恋人同士というわけではないのだろう? だったらそんなデタラメな噂がたつと困るだろう」
それは春らしい、とても一般的で常識的な考えだ。きっとこの話を聞けば多くの人が春の言葉に賛成するはずだ。
だが崎森さとりは、その一般的という枠組みの中には入らない。さとりがそんなありきたりな枠の中に収まっていたのなら、間違いなく夏生とさとりは出会ってはいなかった。
「いえ、別に?」
だからさとりは春の問いかけに笑顔で返した。
だから春はさとりの答えに面食らった。
「噂なんて、どうでもいいじゃないですか。付き合ってるとか付き合ってないとか、そんなことはどうでもいいんです」
そう、さとりにとって大事なのは結果であり、過程ではない。
その過程、恋人という道程を重要視していない。
「付き合うことに意味なんてないですよ、山野辺先輩。だってあたしは、家族が欲しいだけなんですから」
さとりの言葉は春の脳を強く揺らしていた。
言っている意味がわからない。春はそういう顔のまま固まっている。
「・・・・・・それは、どういう?」
やっとのことで絞り出したような春の言葉には力がない。
「家族ができればそれでいいんです。家族ができさえすれば、他のことをあたしは求めませんから」
「崎森さん、それは・・・・・・。家族という結果だけあれば、そこに至るための過程はいらないってこと・・・・・・?」
「必要なんですか? その過程って」
どこまでも真剣にさとりは言った。春もその言葉に衝撃を受けているように見える。
歪んでいる。
崎森さとりは、歪んでいる。きっと、彼女が壊れたその日から歪みは生じ、毎日少しずつ、でも確かにその歪みは成長しているに違いない。
でもそれはそうだろう。さとりが歪んでいなければ、壊れていなければ、家族を得るためだけに見ず知らずの男との間に子供を作ろうなんて考えには至らない。恋人という過程を飛ばして家族を得ようなんて考えない。
「・・・・・・夏生」
春の瞳が夏生に向く。
春は夏生と同じように事故に遭い、母親を失い、夏生と似たような経験をした。でも春自身はそんな経験も乗り越えて、あくまでも『普通』に生きている。
夏生のようなトラウマを背負うわけでもなく、さとりのように歪むでもなく、あくまでも『普通』の考えと感性を持った少女だ。
だからそんな『普通』の少女である春から見たら、さとりの考えはまるで理解できないものなのだろう。さとり自身を理解することができないのだろう。
「・・・・・・そうか。わかった」
春は視線を戻し、力なく告げる。
その答えにさとりは満足げな表情を浮かべるが、次の瞬間にはその表情が一変した。
夏生もさとりの視線を追う。するとその視線の先にいる春が、言葉を告げる前とは真逆の、強い意志を宿した瞳でさとりを睨むように見据えていた。
「崎森さん。もうこれ以上、夏生に関わらないでくれ」
「春・・・・・・?」
数秒前まで春の心は確かに揺れていた。
目の前にいるさとりのことを理解できなくて、さとりの考えに動揺して、その心は揺れていた。
でも今の春は違う。
一つの確かな意思の下、言葉を続ける。
「キミは夏生と家族になりたいと言っているが、別に夏生のことを好きなわけじゃないんだね。つまり誰でもいいわけだ。だったら、夏生にはもう関わらないでくれ」
「・・・・・・どうしてですか。山野辺先輩の言葉は否定しませんけど、あたしが誰と家族になろうと勝手でしょう?」
「――家族は、お互いを苦しめるために存在しない」
「・・・・・・え?」
春の瞳は揺るがない。確固たる意思が言葉から滲み出る。
「崎森さん、キミは夏生の家庭事情を知っているかな」
そんな春の意思に押されてさとりは黙ったまま頷く。それを確認し、春は続ける。
「なら夏生が、家族というものに対してどんな気持ちを、感情を抱いているか知っているはずだ。夏生は自分以外の家族を失ってずっと辛い想いをしてきた。毎晩家族の夢を見てうなされるほど、自分だけが生き残ってしまったことを後悔するほど、自分だけが生きて新しい幸せを手に入れることに罪悪感を覚えるほど」
「・・・・・・っ」
息を呑んだのは夏生だ。
夢については春に話したことは当然あった。春や茂の勧めで病院に通ったこともあるくらいだ。
だが生き残ってしまったこと、自分だけが幸せになってしまうことへの罪悪感について話したことはなかったはずだ。
なのに春は知っていた。夏生の隠していた気持ちを的確に見抜いていた。
春はずっと見ていたのだ、夏生のことを。ずっと気に掛けて、夏生の気持ちを理解して、夏生のことを見守ってくれていた。
夏生がわかりやすかったというのもあるかもしれない。小さい頃からの幼馴染みだったことも理由の一つだろう。でもそれ以上に、春は夏生の家族であろうとしてくれていた。
一緒に住んでいるわけでもないのに、血が繋がっているわけでもないのに、ずっとずっと夏生のことを見て、考えていた。
そんな春だからこそ、夏生の隠していた気持ちがわかっていた。
「夏生はね、そのことにずっと苦しんでいる。今はまだ、夏生の傷は癒えていないんだよ。だから夏生の前で、軽々しく家族になるなんて言わないでくれ」
「――っ。か、軽くなんて、あたしは――っ」
「酷いことを言うようだけれど、今はキミの気持ちなんてどうでもいい。崎森さんの境遇も、背負っているものも私は知らないからね。でもね、夏生のことなら知っている。今の夏生に必要なのは家族そのものじゃない。新しい家族を受け入れて前に進めるようになることだ。自分の人生をしっかり歩めるようになることだ」
春の言葉に胸が締め付けられる想いだった。
春は、そしてきっと茂も夏生のことをここまで考えてくれている。考えたうえで、『家族になろう』と手を差し伸べてくれている。夏生を支え、前に進むための手助けをしようとしてくれている。
「でも崎森さん。キミのやっていることは夏生のためにならない。さらに言えば、きっとキミ自身のためにもならないと思う。キミは家族家族と言うけれど、気持ちが育っていない、気持ちの籠もっていないそんな言葉では夏生の心を抉るだけだ」
だから、と春は言う。
最後までその瞳は揺るがない。
最後までその言葉には芯があった。
「――夏生のことを、これ以上苦しませないでほしい」
放たれた言葉は夏生の胸に、そしてさとりの胸にも深く刺さった。
屋上には沈黙が訪れる。昼休みの喧騒などもう聞こえない。まるでこの場だけが別の空間に切り取られてしまったかのように静かだ。
そんな中でも春の瞳は変わらない。その瞳に見据えられながら沈黙は続き、どれくらい時間が経っただろう。一分か、十分か。もしかしたら十秒も経っていないかもしれない。さとりがポツリと、力なく口を開く。
「・・・・・・苦しい? 苦しかったんですか、先輩・・・・・・?」
「――っ」
今度はさとりの気持ちが揺れる番だった。
そして、夏生の気持ちも。
ずっと考えないようにしてきた。苦しいなんて思ってはいけない。だって死んだ家族はもっと苦しかったはずだ。そしてもう苦しむことすらできないのだ。だから生き残ってしまった自分がそんなことを思ってはいけない。苦しいなんて思うことこそが罪なのだ。
だから苦しいなんて思ってはいけないと、考えないように、心の底に押し込めた。
でも押し込めて、蓋をしていたその感情は、たった今、春によってむき出しにされてしまった。
(ああ、俺は・・・・・・)
――苦しかったんだ。
「・・・・・・・・・・・・俺、は」
「・・・・・・先輩?」
さとりの言葉に、行動に、確かに助けられたことも事実だ。
作ってもらった食事は美味しかったし、一緒にゲームをしたのは楽しかったし、同じ部屋で眠ったのは暖かかった。
それは間違いない。
でもそれらを心の底から楽しめたのか、幸福だったのかと問われれば、きっと頷くことはできない。
今にして思えば壁があった気がする。苦しみという、罪という、見えない壁が。
しかしその壁は、今は取り払われてしまった――。
「――俺は・・・・・・っ」
「――っ!」
隣に座るさとりと目が合う。そしてたったそれだけで、彼女は夏生の感じている気持ちを悟った。
「・・・・・・・・・・・・ごめん、なさい、先輩」
「崎森・・・・・・」
「苦しめて、ごめんなさい・・・・・・っ」
吐き出すように言って、さとりは立ち上がる。そしてそのまま夏生とも春とも目を合わせないまま屋上から走り去った。
後を追いかけるべきだろうか。いや、さとりのことを思えば追いかけるべきだ。
でも、足は動かない。
屋上のドアが閉まる音がやけに大きく聞こえる。走り去る足音が完全に聞こえなくなって、
「夏生」
「・・・・・・春」
「・・・・・・すまない、夏生」
「え?」
予想外の謝罪に驚いていると、直前まで強い意志を宿していた春の瞳は僅かに動揺しているように見えた。
「つい、カッとなって・・・・・・。あそこまで言うつもりはなかったんだけれど」
「いや、それは・・・・・・」
あの言葉は春が夏生のことをちゃんと想って、考えて口にしてくれた言葉だ。謝られるようなことでは決してない。
「家族になろうとしているのは、私も同じなのにな」
だが春はそう言った。家族になろうとして、苦しめているのは自分も一緒だと。
(――違う、そんなことはっ)
「本当にすまない、夏生」
否定しようとした。でもその否定が言葉になる前に、春は顔を伏せて屋上から去って行く。
春とさとり。
二人がいなくなって屋上には喧騒が戻ってきた。
打って変わってうるさくなった屋上で、夏生の手の中にはさとりの手製の弁当だけが残されていた。
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