3-2
「あ、はよーッス、瀧先輩」
「おう、はよー」
バイト先のロッカールーム。そこで同じ出勤時間の同僚と出くわす。
山岡――という名前の同僚は、この四月の頭から新しく入った新人で、愛想もよく、仕事の覚えも早く、所謂、期待の新人というやつだった。
そしてそんな彼は、夏生と同じ学校に通う、一歳下の後輩でもある。
「・・・・・・そういえば、山岡さ」
「なんスか」
「崎森さとりって、知ってる?」
同じ学校の一歳下の後輩。それはつまり、さとりと同学年ということだ。
さとりと出会ってから濃い時間が続いていたため、なんとなくさとりのことを知った気でいたのだが、よくよく考えれば夏生はさとりのことでまだ知らないことがある。
友人はいない、などと言っていたが、クラスではどうなのか、さとりの言葉は本当なのか、どういう立ち位置にいるのか、そういう家とは関係ない場所でのさとりのことが気になったのだ。
「崎森さとり、ッスか」
知らなければ知らないでそれでいい。そもそも夏生はさとりの所属するクラスすら知らないのだ。そしてクラスが違えば同じ学校の一年でも接点がないこともある。
「知ってますよ、崎森。同じクラスなんで。つか、同中です」
「え、マジで?」
少しでもさとりのことを知っていればと思って何気なく訊いてみたのだが、山岡は夏生の想像を超えて同じクラス、そして同じ中学の出身だという。
「マジッス。どうしてッスか?」
着替えを終えて二人揃って更衣室から出る。職場の上司に今日の仕事内容を確認してから、二人で言い付かった仕事を二人で肩を並べながらこなす。
「ちょっと知り合うきっかけがあって。どういうやつなのかなって」
その途中で話を戻す。手は動かしながら、それでも山岡は答えてくれた。
「どういう、ッスか・・・・・・。んー、そうッスね、言っていいのかな、これ」
少しでもさとりのことがわかればと、軽い気持ちで訊いたに過ぎなかった。しかしその気持ちに反して山岡は神妙な顔をして悩み、仕事の手を止めた。
「でもまあ、ウチの学校には同中の連中たくさんいるし、黙っててもすぐにわかるか」
今ここで山岡が口を噤み、そして夏生がなにも訊かなくても、噂というものは勝手に広まり勝手に耳に入る。それが良くない噂ならば尚更だ。そしてさとりの言動を考えるに、彼女に関する噂がいったいどちらのものなのか、考えるまでもなくわかることだ。
山岡はそれでも少し戸惑った顔をし、仕事の手を再開させながら口を開いた。
「崎森って、顔立ちも可愛いし、誰とでも仲良くなろうって気持ちが強くて、友達も多かったんスよ」
そう言った山岡の言葉は、今のさとりしか知らない夏生からしたらまるで別人のように聞こえる。
顔立ちのことは置いておくにしても、彼女は自分で友達がいないと言っていた。誰かと仲良くなろうなんて素振りはまるで感じられない。
「でもあれは確か、中学二年の半ば・・・・・・だったような気がするんスけど・・・・・・お母さんが、亡くなったんです」
そこはさとりに聞いた話と一致する。
「そのときはまだそれまでと変わらない感じだったんスけど、少しずつ、本当に少しずつ、なんか変わっていったんス」
「変わった、って?」
「なんて言うんスかね。的確な言葉が見つからないんスけど、一言で言うと・・・・・・壊れていった、って感じッスかね。今思えば、ですけど」
「壊れた・・・・・・?」
「言動が、少しずつおかしくなっていったんス。目つきとかも。俺がそれを感じ始めたのは中学三年になった頃ッスね。でもきっと仲の良かった連中はもっと前から異変に気づいていたと思います」
「なにか変なことでも言ってたのか?」
そう問いかけると山岡は一瞬黙る。しかしここまで喋ったのだから、と続きを話し始める。
「明らかにおかしいってなったのは・・・・・・あれは確か、中学三年もかなり後半の、冬の始まりくらい、だったような。俺の友達にいきなり関係を迫りだしたときッス」
関係、という言葉に不穏な気配を感じる。
まさか、と思って耳を傾けていると、続けられた山岡の言葉は案の定なものだった。
「俺はそんなに崎森と仲良くはなかったんスけど、そいつは違って、よく遊びに行ったりとか、なにかで男女混合の班決めしたりするとだいたい一緒になってたり、まあ、それくらい仲の良いやつでした。崎森にとっても一番仲の良い男子だったんじゃないッスかね。で、そいつに、崎森はある日突然迫ったんスよ。『あたしと子供作って』って」
「・・・・・・」
疑惑は確信に変わった。先日の夜の光景がダブる。
「教室でいきなりッスよ。力ずくでそいつを押し倒して、服脱ぎだして、慌てて周りが止めに入って、そいつもびっくりしてて、拒絶して」
「それで、その後は・・・・・・?」
「しばらく崎森は学校を休みました。それでやっと出てきたと思ったらもう以前の崎森とは明らかに違ってて。雰囲気も、言動も、なにもかも。本当に別人でした。それがたぶん気味悪かったんスよ、みんな。クラスの連中も、友達だったやつも、俺も、迫られたそいつも、みんな崎森を見る目が変わりました。遠ざけて、関わらないようにしてたんス」
それからはずっと一人でしたよ、と山岡は言って話を締めくくった。
ちょうどそのタイミングで山岡はバイト先の社員から声がかかって連れて行かれたので、話はこれで終わった。しかし夏生の頭の中にはいつまでも山岡の話が残り続けている。
山岡の話によると去年の冬の始まり。その辺りからさとりは強く家族を求めるようになった。決して自分を裏切らない子供の存在を求め始めた。
母親が死んで一年経って、義父との関係がどうにもならないと思い知って、そこからさとりは急速に壊れだした。自分の心の支えがなくなって、家族を得るために子供という存在を欲し、そして現状への我慢とストレスが限界に達して、行動を起こしてしまった。
それは山岡の話にあったとおり、周りとの関係を、今までさとりが築いてきたもの全てを破壊するに足る行為だった。そして周りから拒絶され、居場所を失い、心が壊れる寸前にまで追い込まれた。
だから、あんな顔をしていたのだ。
あの日、屋上で見たさとりの顔。光のない目は、そんな心の現われだったのかもしれない・・・・・・。
「・・・・・・崎森」
「呼びました、先輩?」
つい口から出た言葉に予想外の反応が返ってきて顔をあげる。するとそこにはなぜかさとりが立っていた。
「え、なにしてんの、お前・・・・・・」
「ああ、先輩にお弁当をと思いまして。急いで作って持ってきました」
どうぞ、と押しつけられる形で夏生は弁当を受け取る。いきなりの展開に頭がついていかず、動揺したまま「ありがとう」なんて素直な言葉を返してしまった。
「それより先輩、なに仕事中にあたしの名前呼んでるんですかぁ? もしかしてぇ、寂しくなっちゃいましたかぁ? 結婚します?」
ニマニマと嫌な笑みを浮かべながらさとりが言う。その言葉に夏生の意識は急速に我に返り、そしてそれと同時にとてつもない恥ずかしさが込み上げてくる。
「な、バカか!」
「えー?」
夏生の反応が楽しいのかさとりは笑みを崩さない。その笑みを見ていると夏生の体温が上昇して自分でも赤面しているのが自覚できた。
「先輩でもそんな顔、するんですねぇ」
「崎森、お前は・・・・・・」
「いやぁ、いいもの見れましたよ。ということで、お仕事の邪魔しちゃ悪いので、あたしはもう帰りますね」
そう言いながらも笑みは崩さない。その笑顔のまま背中を向け、さとりは歩き出す。
――が、すぐに立ち止まり、顔だけで振り向く。
「ああ、そうそう。夕食も作って待ってますから、早く帰ってきてくださいね」
わかっていた。どうせ自分の家には帰らないだろうと。
こうなるんじゃないかと思って春の誘いも断った。
予想はしていた。でもそう言ったさとりの顔を、山岡の話とは正反対の、とても幸せそうな、年相応の少女の笑顔を向けられてしまって、不覚にもその笑顔に視線が吸い寄せられた。
そして思う。
ああ、これがきっと、本来の崎森さとりの表情なのかもしれないな、と――。
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