3-1

「遊びに行きましょう、先輩」

 日が昇って目覚めると、そこにはすでに起きていて身支度を調えたさとりがいて、開口一番にそんなことを言う。

 一度眠ることを許した以上、その後にさとりを起こすことを躊躇い、結局は一泊することを夏生は許してしまった。

 男の膝枕など堅くて眠りづらくて直ぐに目が覚めるかと思いきや、一向にさとりは目を覚まさず、そしていつまでも床の上で寝かせておくわけにもいかず、(少し決意に時間がかかったが)彼女の身体を抱きかかえてベッドに寝かせ、自分は部屋の隅っこの床の上で眠った。

 寝付きこそ悪かったがしっかりと眠れはしたようで、寝起きの鈍った頭ではさとりの言葉を瞬時に理解することができなかった。

「今日は休日です、だから遊びに行きましょう、先輩」

 そこでようやく頭もはっきりしてくる。薄くかかっていた雲が晴れた気分の中、夏生は身体を起こしてさとりに向き直る。

「断る」

 そして朝の挨拶をするよりも早く、彼女の誘いを一刀両断した。

「俺はこのあとバイトだ」

 一人暮らしで自由にお金を使えない夏生にとって、休日に丸一日働けるというのは貴重な稼ぎ時だ。そもそもバイトのシフトなど先月末には決定されているため、今更この予定を変えることはできない。

 時計を見るといつもより早い時間だ。顔を洗うために立ち上がる。

「崎森。お前の家の事情はとりあえずわかったけど、さすがに一度は帰ったほうがいいぞ。ずっとこのまま、連絡もせずにウチにいるわけにはいかないだろ」

 と、正論をぶつけてみるとさとりはわかりやすく顔を背けて不機嫌な雰囲気を纏う。

「別にあたしは、家に連絡なんて・・・・・・」

 本人がよくても、常識的、世間的にはよろしくないのだ。

「だいたい、遊びたい盛りの高校生がなんで休日に朝からバイト入れてるんですか」

「遊ぶための金すらないからだ」

 まあ金があっても、それを使って派手に遊んだりなど夏生はしないのだが。

 生活するための金だけは家族が遺してくれたものがある。自由に使えないとはいえ、正直なことを言えば学生でいるうちは働かなくとも平均的な生活を送ることはできるのだ。

 バイトだってなにも毎日のようにシフトを入れる必要はない。平日に働いた金で休日に遊ぶことはもちろんできる。

 だが夏生は考えてしまうのだ。

 もう遊ぶことができない家族のことを。

 家族が遺した金で生活し、家族のことを忘れたように遊ぶなど、夏生にはできない。

 自分だけが生き残ってしまった罪を背負いながら、楽しく笑顔で休日に遊ぶことなんてできやしない。

 だって父は、母は、姉は、笑顔を浮かべることすらもうできないのだから。

 だから働くのだ。

 他の家族を犠牲にして得た時間を無為にしないために、自分だけが拾ってしまった人生という時間を必要以上に謳歌しないために。

「・・・・・・じゃあ、せめてここに居てもいいですか?」

 さすがに遊びの提案は自分でも急だったと思ったのか、さとりは妥協案を提出する。

「それは、家には帰らないけどってこと?」

 視線を合わせないままさとりは頷いた。

 崎森家の事情の一旦は知ったが、夏生が思っている以上にそれは根が深いものなのかもしれない。よほど自分の家へ帰るのが居心地が悪いのだろう。

「ダメなら、また適当な男を――」

「崎森お前、それいい加減ズルいからな」

 慣れてきた脅し文句に溜息を一つ吐き、夏生はキーチェーンから鍵を一つ外し、さとりに渡した。

「とりあえずここに居てもいいよ。時間つぶしにゲームしててもいいし。もし帰りたくなったら鍵だけして、鍵は一階に管理人室があるからそこに預けてくれ」

「先輩・・・・・・」

「ただし、嫌でも家に一度は連絡を入れるように。電話でも、メールでも。これは絶対だ。嫌なら帰れ」

 鍵を受けとったさとりは、

「別に連絡なんて入れなくても心配されてないでしょうけど、ま、先輩がどうしてもってしつこく言うので、仕方ないですねぇ」

 と、口元を僅かに吊り上げながら言った。

 それからすでにさとりが用意していた朝食を食べ、準備をしてバイトへ向かう。

 部屋を出て階段を降りていると、ちょうど下から上がってくる人物がいた。

「おや、おはよう、夏生」

「春。おはよう」

 ゴミ捨てにでも出ていたのか、春はラフな部屋着姿だ。本来、女性ならあまり見られたくはない格好だろうが、気心が知れた仲である二人には問題ない。

「これからアルバイトかな」

 春の問いかけに頷いて答えると、春は柔らかな笑みを浮かべて続ける。

「終わる時間は? いつも通り?」

「ん? そうだけど?」

「そうか。では今日こそ、一緒に夕食をどうだろう」

「・・・・・・ん、今日、か・・・・・・」

 自炊ができずインスタント食品ばかりの夏生にとって、この誘いは本当にありがたいものだ。だが死んだ家族のことがあり積極的に誘いを受けることを躊躇ってしまう。

 だが今日はそれ以外にも春の誘いを躊躇う理由があった。

(ああは言ったけど、絶対に帰らないな、あいつ)

 部屋に残してきた一人の少女の顔が浮かぶ。

 あれだけしつこく言ったので連絡くらいはするかもしれないが、きっとそれだけでバイトが終わって帰ってきても部屋には彼女がいるだろう。

(崎森が部屋にいるとなると、春の誘いを受けるわけには・・・・・・)

 昨日のことから考えて、さとりは夕食だって用意していそうだ。味は申し分ないことはわかっているし、ありがたいと言えばありがたいのだが、もしもそんな場面や、出迎えられた場面でも春に見られようものなら、昨日、さとりを泊めたことすらバレかねない。

 事情を話せばもしかしたら理解を得られるかもしれないが、そもそも事情を話す前に話が拗れていく未来が浮かんだ。

 決して褒められたことではないことはわかっているが、それでも春には隠しておいたほうがいいのではないか。そんな気がした。

「・・・・・・悪い。今日は、ちょっと」

 そう答えると春は少しだけ寂しそうな表情を浮かべるが、夏生のことをよく理解している春だからこそ夏生の気持ちを察してくれる。

「そうか。この前の埋め合わせをしてもらおうと思ったのだが、仕方がない」

「すまん」

「冗談だ、私こそすまない。ほら、遅刻してしまうよ?」

 言って、春は夏生の肩を優しく叩いて送り出してくれた。階段を上っていくその背中に振り返り、

「こ、今度は、ちゃんと行くからっ」

「うん、楽しみにしている」

 そんな約束をして二人は別れた。

 春には、山野辺家には本当によくしてもらっている。彼女らの夏生に向ける感情は本物だ。決して哀れみや同情で接してくれているわけじゃない。それを夏生もわかっているからこそ、心の底から申し訳なく思ってしまう。

 もう一度振り返るとそこにはもう春の姿はない。断ってしまった以上、事情がある以上、引き返して前言を撤回することもできない。

 夏生はこの感情を胸に抱いたままバイト先へと向かった。

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