2-7

 キッチンからは洗い物をする音が聞こえている。

 食事を終えた夏生はさとりの告白を聞き、彼女の境遇と気持ちを知った。

 自分だけが辛い人生を歩んでいるなんて、そんなことを考えたことはない。でもさとりの話には少なからず衝撃を受けたし、同情もした。さとりが強く家族を求める理由も理解した。

 だからといってさとりのとった手段が正しいと言うつもりはない。でもさとりはそんな手段に及んでしまうくらいには追い詰められているだろうこともわかった。

 追い詰められているさとりを解放する方法はなにかないのだろうか。

 さとりは家族を求めている。だからさとりに家族ができることがきっと最善の方法だと思う。

(だからっていきなり子供っていうのは・・・・・・)

 さとりの気持ちもまるっきり意味がわからないわけではないが、それでもその選択は性急にすぎると夏生は思う。問題も多くあるし、きっとさとりが考えているよりも苦難は大きいはずだ。

 さとりのためにも、そしてその子供のためにも、彼女の考えはひとまず置いておいたほうがいいと思う。

 じゃあ他にどうすればいいのか。

 ふと、さとりの言葉が蘇る。家族にならないか、と。

「・・・・・・っ。いやいや」

 子供の話も大概だが、この話だって同じだ。

 出会って二日。恋人になったわけじゃない。それどころか互いのことなんてほとんど知らない。そんな状態で家族になんてなれるわけがない。

 そもそも夏生にとってこれはそれ以前の問題だ。

 誰かと家族になる。そんな未来の光景を思い描くと、身震いする。

 三年前のあの事故の光景が、それから毎夜のようにうなされる夢の声が、夏生の全てを支配する。

 怖い。

 とても、怖いのだ。

 家族を持つことが、怖い――。

(俺は・・・・・・俺じゃあ、崎森の家族には・・・・・・っ)

「先輩?」

 その声に顔を上げると、さとりが不思議そうな顔で立っていた。

「片付け終わりましたけど、どうかしたんですか?」

「え、あ、いや。・・・・・・なんでもない」

 そう言って誤魔化すと、それでもさとりはまだ不思議そうな表情をしていたが、やがて視線がとある一点に集中した。

 そこにあるのは据え置き機のテレビゲーム。有名なシリーズもので、年頃の子供のいる家庭ならどこでも一台は持っているようなものだ。

 夏生の部屋にあるのはそのゲーム機は一世代前のもの。事故以前に親にねだって買ってもらったものだが、事故以降は暇つぶしに触れる程度になってしまっている。

 最近では夏生もほとんど触れておらず、少し埃の被っているそのゲーム機をさとりは引っ張りだして言う。

「ゲームしましょう、先輩」

 言いながらテレビ台の下に並べられているゲームのタイトルを物色し始めた。

「ゲームって・・・・・・。崎森、もう遅い時間なんだけど」

 バイト終わりに家まで来て、それから夕食を作って二人で食べた。時計の針はゆうに二十一時を回っている。こんな時間に女の子が男の家にいないのは問題だ。だが当の本人は気にした様子も見せず、

「これ、これやりましょう」

 と、一本のゲームを手にした。

 さとりが手にしたのは、生まれてから死ぬまでの人生を双六形式で進めていく一生ゲーム。いわゆるパーティゲームであり、まだ両親と姉が健在だった頃は家族でプレイしたこともある。

「いや、だからそろそろ時間が」

「先輩、あたしこの手のゲームはしたことないので、早くセッティングしてください。あとルールも教えてください」

 さとりは夏生の言葉などまるで聞く気がないようで、テレビの前で二つあるコントローラーのうちの一つを握っている。

「・・・・・・ゲームにはまた今度付き合ってやるから、とりあえず今日は」

「帰りません、お断りします」

 さとりの家族仲があまり良好ではないことは理解した。だからといって一人暮らしの男の家に遅くまで置いておくわけにはいかないし、バレたら当然、問題になる。だから一旦は家に帰ってもらうほうがいいのだが、それをさとりは断固拒絶した。

「帰ったって、楽しくないんですよ。先輩なら、あたしの気持ちわかりますよねぇ?」

「・・・・・・」

 さとりの家にはきっと義父とやらがいるだろう。しかし交流はないに等しく、それは言ってしまえば同じ屋根の下で生活するだけの他人だ。それは、きっと家族とは呼べない。

 さとりも一人なのだ、家に帰っても。

(そんな風に言われたら、断れないだろ・・・・・・)

 良くないことはわかっている。でも、もう夏生にさとりを拒絶することはできなかった。

 仕方なく、諦めの意味も含めた溜息をついてさとりの隣に座りコントローラーを握った。

「・・・・・・ありがとうございます、先輩」

「・・・・・・別に」

 小さくそう交わし合い、夏生はゲームを起動、プレイの設定を決めゲームは始まり、夏生はさとりに逐一ゲームのルールを説明しながらプレイした。とは言っても、特別難しいこともなく、さとりはすぐに操作を覚えてゲームを進めていく。

 ゲームは自分の分身であるプレイヤーキャラが生まれたところから始まり、幼稚園、そして義務教育を経て高校生、大学生と成長していく。

 そうしてプレイヤーは学生を卒業、さとりは順調にゲームを進め、就職して、恋人を作って、結婚して、とまるで現実とは正反対な理想的な人生を歩んでいく。

「旦那さんの名前はナツキにしますね、先輩」

「やめてくれ」

 そんな冗談を交わしながら進めるゲームは久しぶりなせいもあって思いの外楽しかった。こういった大人数でやるパーティゲームは、少なからず家族との思い出が蘇るのでプレイしていなかったのだが、さとりを隣にしてのプレイは自分の予想に反してかつての記憶をあまり思い出さなかった。

 そしてさとりに遅れること数分、夏生にも結婚というチャンスが巡ってきた。

 このゲームにおいて結婚はステータスの一つであり、ゴールを迎えたときにポイントが加算されるし、他の参加者からお祝い金を貰うこともできる。さらには既婚者ならではのイベントも発生するなど、チャンスが到来したらその波に乗らないという選択肢は基本的にはない。

「・・・・・・」

 ボタン一つで簡単に結婚が決まる。現実のように緊張に身体を震わせたり、何日も前からプロポーズの言葉を考えたりする必要もない。夏生のプレイヤーキャラのステータスなら無難に結婚をすることができるだろう。

 そう、ただ一度、ボタンを押すだけだ。

「・・・・・・っ」

 だが夏生の指は震えるばかりでボタンを押すことができなかった。

 ゲームの音楽の向こうから小さく声が聞こえた気がした。その声を聞くと夢の中にいるような酩酊感に少しずつ身体が包まれる。

 声はだんだん大きくなる。

 よく知っている声。

 かつて、このゲームを一緒にプレイした人たちの声――。

「――っ」

 夏生はボタンを押して選択した。

 ――結婚をしない、という選択を。

「先輩・・・・・・?」

「・・・・・・」

 さとりの言葉に答えることができない。

 画面の中では結婚を待ち望んでいた恋人が、まさかの結婚拒否に別れを切り出すところだった。

 こうなってしまってはゲームのシステム上、復縁することは難しい。夏生のプレイヤーキャラと恋人はそのまま関係を解消することになった。

 そして、それでも、人生は進む。

「どうして結婚しなかったんですか、先輩?」

「・・・・・・」

 また、答えることができなかった。

 震える右腕を左手で押さえつけ、ルーレットを回す。出た目の分だけその場から逃げるようにしてキャラクターを進めた。

 それからさらに数時間、人間の人生を凝縮したゲームはさとりの一人勝ちで幕を下ろした。時計を見ればもうあと一時間もしないうちに日が変わろうかという時間で、ゲームクリアしたことで数時間分の疲労が一気に押し寄せる。

 コントローラーを置いて身体を伸ばすと、ずっと座っていた身体の節々がピキピキと音を鳴らす。

「ん~、結構楽しかったですね、先輩」

 隣では同じようにさとりが身体を伸ばしている。

「そりゃあ一流企業に就職して出世に結婚、宝くじまで当たって、子供も五人も生まれればそりゃあ順風満帆な人生だったんじゃねぇの?」

「まったく。怖いくらいの人生でしたねぇ」

 夏生の言葉に同意しながらさとりは口元を手で隠しながら欠伸をした。目尻には涙が溜まり、やはりさとりも初めてやるゲームで疲労が溜まっているようだ。

 時間はすでにかなり遅い時間になっているが、さとりもゲームをして満足しただろうし、疲労が溜まり眠気も訪れている。今ならすんなりと言うことを聞いて家に帰るんじゃないだろうか。

「崎森、そろそろ――」

 と、さとりへと視線を向けるのと同時に、膝の上に心地良い重さが加わった。慌てて視界を下げると、そこには小さな頭が乗っている。

「なんですかねぇ、先輩」

 ふわふわと、眠気の混じった声が膝の上からする。

 一瞬、なにが起こったのか理解できなかったが、すぐに状況の異質さに気づく。

「なっ、にしてんんだ、崎森!?」

「いや、なんかゲームしたら疲れちゃいまして。明日は学校休みですし、もう泊まって行こうかなって」

「はあっ!?」

 思わず叫ぶ。

 言葉の意味を理解した上でさとりは言っているのだろうか。

 きっとさとりのことだから、『家族だからいいじゃないですか』くらいのことは考えているだろう。だがさとりがどう思おうと夏生の気持ちとしては簡単に受け入れることはできない。

 動揺が思考を鈍らせる。さとりの言葉になんと返せばいいのかわからない。とにかく膝の上の頭を引き離すところから始めるべきだろうか――。


「――寂しいんですよ」


 と、そんなことを考えていると、今にも消え入りそうな小さな声が聞こえ、熱を持っていた頭が一気に冷える。

 人間の人生を疑似体験するゲームをし、その中で順風満帆な、おそらくはさとり自身が望んでいた形に近い一生を過ごした。そしてゲームが終わるとゲームと現実のギャップが津波のように押し寄せる。

 その落差が激しすぎて、さとりはいつも以上に孤独を、寂しさを感じている。表情は窺えないが、聞いたことがない声色がそう感じさせた。

(・・・・・・そんなこと言われたら、俺はなにも言えないじゃんか)

 さとりが寂しく思う気持ちも夏生なら理解できる。だからこそ、無理にさとりを引き剥がすことが躊躇われ、一度、躊躇ってしまうと手はもう動かない。

 カチカチ、と時計の針の進む音だけが静かな部屋に響く。

 そして時刻がついに日付の変更を告げた頃、膝の上からは静かな寝息が聞こえるようになった。

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