2-5
「夏生。お客さんが来ているよ」
放課後のホームルームを終えて帰り支度をしていると、寄ってきた春がそんなことを言って教室の入り口を指した。
「お客?」
自慢ではないが友人らしい友人なんて春を除けば誰もいない夏生にとって、自分を訪ねてくるような相手には心当たりがない。
(・・・・・・いやでも、一人いる・・・・・・)
ふと思い浮かんだ一人の少女の顔。
まさか、と思いつつ春の指の差す方へと視線を向ける。――が、視界に映ったのは思い描いていた人物ではなかった。
「――っ」
教室の入り口に立っていたのは見知らぬ男子生徒。おそらくは一年であろうその男子は、じっと夏生のことを睨むように見ていた。
記憶を探ってみてもやはりその男子のことは知らない。間違いなく初対面だ。なのになぜか睨まれている。
「・・・・・・知り合いかい、夏生? なんか彼、睨んでるみたいだけど」
「・・・・・・さあ」
男子に視線を固定しつつ春の言葉に返す。
「本当に?」
そんなことを言われても心当たりがないのだから仕方がない。
これはどうしよう。男子の下まで行って声をかけたほうがいいのだろうか。しかし伝わってくる雰囲気は明らかに友好的なものではない。
と、どうしたものかと考えていると、男子は踵を返して教室の前から離れていった。
「・・・・・・なんだ?」
「さあ・・・・・・。夏生、本当にあの子になにかしたわけじゃないよね?」
「春。本気で言ってんの?」
「だよね。夏生がそんなことをするわけがないか」
なんだかんだで付き合いが長いので、互いのことはそれなりに理解している。
春も夏生が下級生に手を出すなんて本気で思ってはいない。
「・・・・・・。まあいいや。用事がないならそれで。別に知り合いってわけでもない。バイトがあるから俺はもう行くわ」
「ああ。気をつけて」
春に一声かけて教室を出る。一応、さっきの男子が近くにいないか視線を巡らせて見たが、やはり彼の姿はなかった。
わざわざ訪ねてきたからにはなにか用事なりがあったはずだが、まあ訪ねてきた本人がなにも言わずに帰ったのなら夏生のほうからわざわざ探すこともない。
それきりその男子のことは頭から追いやって下駄箱へ。靴を履き替え歩き出すと、陰から誰かが飛び出てきた。
驚いて足を止めると、目の前には悪戯っぽく笑うさとりが立っていた。
「これから帰りですか、先輩。一緒に帰りません?」
「俺はこれからバイトだから遊んでる時間はないぞ」
「別に遊びに行こうなんて言ってませんって。ただ一緒に帰りましょって言ってるだけじゃないですかぁ。バイトでも構いませんよ、途中まで一緒できれば」
バイトに行くことを邪魔されなければ特別さとりの言葉を断る理由はない。夏生は頷いて歩き出すと、さとりも隣に並んで歩き出した。
他の生徒の合間を縫って校門を出る。
すると、ふと、視線を感じて振り返った。
「・・・・・・?」
視線の先には同じように帰宅する生徒が何人もいる。その中に、ついさっきも見た顔を発見した。
教室で春を使って夏生を訪ねてきた人物。名前も知らぬ男子生徒が、数メートル離れた場所、他の生徒の群れの中から夏生を睨んでいた。
「・・・・・・?」
「どうかしましたか、先輩?」
つい足を止めてその男子を見ていると、隣を歩いていたさとりが問う。さとりへ視線を移して、
「いや・・・・・・」
そしてすぐに視線を戻すと、そこには男子の姿はなくなっていた。
(なにこれ、怖っ)
「先輩?」
「・・・・・・なんでもない」
もうなんだかよくわからない。とにかく気にしないほうがいいだろうと考え、前を向いて歩き出す。
それからバイト先まではあまり背後を気にしないようにして歩いた。
「へぇ、ここが先輩のアルバイト先ですか」
「それじゃあ俺はこれで。・・・・・・寄り道せずに真っ直ぐ帰れよ」
昨日のことが頭を過ぎってついそんなお節介を口にする。だがさとり自身は特に気にした様子もなく、
「言ってることが先生ですねぇ、先輩。言われなくてもわかってます。先輩が家族になってくれるのなら、そんな必要ないですしね」
「・・・・・・」
「それにやることありますし」
「やること?」
「いえいえ、こっちのことです。それより先輩、バイトの終わる時間は何時ですか?」
さとりの言葉は気になったが、さすがにバイトを休んでまで一緒にいることはできないため信じるしかない。夏生はバイトの終わる時間だけを告げてその場でさとりと別れた。
それからは、例の視線を感じることも、他の大きな問題も起きることなく、時間は流れてつつがなくバイトは終わりを迎えた。
すっかり暗くなった空を見上げながら裏の通用口から出て表通りに出る。そのままコンビニに寄って夕食を買っていこう、などと考えながら歩いていると、
「せーんぱいっ」
背後から肩を叩かれた。
振り向くと、まあ、声でわかってはいたが、予想した通りの人物が立っていた。
「・・・・・・崎森。なにしてんの、こんなとこで。ていうか、帰ったんじゃ」
「もちろん帰りました。ほら、私服ですし」
「いや、そういうことじゃなく」
格好を見れば一度帰宅したことは明らかだが、夏生が言っているのは、家に帰ったのにどうしてまたこんなところに来ているのか、ということだ。
「仕事でお疲れの先輩を労おうと思いまして」
夏生の考えを当然のように読んださとりは、言いながら手にしたビニール袋を掲げて見せた。
ビニール袋にはこの近くにあるスーパーのロゴが入っていて、中にはなにやら食材やら調味料やらが透けて見えている。
「夕食、一緒にどうですか? もちろんあたしが作りますので」
「作るって・・・・・・まさか俺の家で?」
「はい」
当たり前でしょ? と言わんばかりの笑顔を向けながらさとりは言う。その笑顔を見つつ夏生はどうしたものかと頭を抱える。
「・・・・・・いや、なんで急に?」
「あたしと先輩が一緒にご飯したら変ですかねぇ?」
「変ってことはないけどさ・・・・・・。こんな時間に、それも一人暮らしの男の家で?」
「なにか問題ありますかね。ほら、あたしたち、家族になるわけですし」
「だからそれについて俺は何一つ了承してないからね?」
「まあまあ。いいじゃないですか、細かいことは」
家族云々は決して細かいことではないような気がするのだが。
とりあえず、さとりはどうしても家に来て夕食を一緒する気のようだ。付き合いこそ短いが、さとりの性格からして決して引かないであろうことがなんとなく予想できた。
(でもだからってなぁ)
この相手が春ならば問題はなかっただろう。お隣で幼馴染みのようなものだ。でもさとりは違う。春ほどの関係性の深さは二人にはない。そしてその違いがより強く夏生に躊躇いの感情を芽生えさせる。
夕食を食べるだけだ。悪いことでは多分ない。・・・・・・が、きっと良いことでも決してない。だからこそ悩むのだが、さとりの今の家庭事情と境遇を想像してしまうと、このまま断ってしまうのもなんだか可哀想に思えてきてどうしても口にすることができなかった。
「ちなみに先輩。断っても諦めませんからね。それでもどうしてもダメだって言うのなら、まあ、仕方がないですねぇ。またその辺でテキトーな男を捕まえまして」
(・・・・・・っ。こいつ、俺が断れないのをいいことに)
さとりも本気で言っているわけではないだろう。その証拠にからかうような笑みを浮かべている。だが昨日、さとりの行為を止めた手前、そんなことを言われてしまっては冗談だと分かっていても追い返すことはできなかった。
反する二つの感情を天秤に掛け、一分近くじっくりと考え、
「・・・・・・わかった」
仕方なく、夏生はさとりの提案を受け入れた。
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