2-4

 昼休み前の四時限目。この日はたまたま授業の区切りが悪く、僅かばかり時間を延長して授業が行われた。もちろん昼食前の学生の間からはブーイングが起こったが、さとりもまた、心の中でそれに続いた。

 空腹の生徒から発せられるプレッシャーに負けたのか、教師は仕方なくといった風にその日の授業を終わらせる。すると(たとえ僅かとはいえ)抑圧されていた気分が一気に解放され、教室は休憩モードに移行した。

 四月も半ばともなれば仲の良いグループの形成もあらかた終わっている。クラス内ではいくつかのグループが固まったり、教室を出て各々好きな場所でお昼休憩を始めた。

 しかしさとりはそのどのグループにも属してはおらず、いつも一人で適当な場所でお昼を食べている。それを寂しいとか辛いと思ったことはあまりないが、もちろん楽しいと思ったこともない。

 だがしかし今日はこの昼休憩が待ち遠しかった。

 さとりは通学カバンを肩に提げると教室を飛び出す。そしてそのまま二年の教室がある二階へと駆け下りる。

 上級生の合間を縫って、朝に調べておいた夏生のクラスの前まで行くと、開いていたドアから中を覗き込む。しかし教室の中に夏生の姿はなかった。適当に近場にいた先輩に夏生の所在を聞くと、いつも昼は購買で買ってどこかで食べているという情報を得ることができた。

 一言お礼を言って今度は一階へ。

 校舎は三階建てで、三階には一年の教室。二階には二年の教室。三年の教室は別棟の二階になる。一階には昇降口や職員室などの共用スペースになっており、購買もまたそこにある。

 一階に降りると昼食を求める(主に男子生徒の)声が聞こえる。近づいてみると購買はまるで戦場のような有様で、誰もが他の生徒を押し退けてお昼にありつこうと必死な形相を浮かべていた。

 この中から夏生を探し出すのは困難だし、割って入るのは危ない。ここは大人しく夏生があの輪から出てくるのを待った方がいいだろう。

 さとりは購買という名の戦場から少し離れて待つ。すると一分ほどで目的の人物の姿を見つけることができた。無事にお昼を買えたらしく、少し安心したような顔を浮かべている。

「せんぱ――」

 さっそく声をかけようと思い口を開いたが、ふととある考えが浮かぶ。

 夏生のクラスで聞いた感じでは、夏生はいつも教室には戻らずどこかでお昼を食べているらしい。ならいつも夏生がどこで食べているのか、その場所を知っておくのもいいだろう。

(というわけで、尾行開始)

 ちょっとした悪戯心を芽生えさせながら、さとりは気づかれないように夏生の後ろをついて歩く。

 夏生はさとりの姿に気づく様子もなく、一人で階段を上がっていく。

 教室には戻らないという話だったが、この棟の二階と三階にはそれぞれの教室と使われていない空き教室がいくつかあるだけだ。空き教室は普段は施錠されているので入ることはできないはずで、なら夏生はいったいどこでお昼を食べるというのだろう。

(他のクラスの友達、とかですかねぇ)

 ありえない話ではないが、そんなことを考えていると夏生は二階もスルーしてそのまま三階へ。まさか一年の教室に知り合いがいるのか、とも思ったが、今度もそのままどこの教室に立ち寄ることもなくさらに上へと階段を上がっていく。

 三階建ての校舎の、三階よりもさらに上。

(屋上・・・・・・)

 答えを確認するまでもなく、決まっていた。

 階段の下から夏生の姿を見上げると、予想通り夏生は屋上へと姿を消した。すぐにさとりも後を追う。閉まっているドアをゆっくりと開け、隙間から夏生の姿を探すが、視界の中に夏生の姿はない。

 今度は完全に屋上へと出て周囲を見渡した。――が、それでもやはり夏生の姿はなかった。

 夏生は確かに屋上へと出て行った。そして出入り口はここだけで、さとりがここにいた以上、夏生は屋上からは出ていない。だから必ずこの屋上のどこかにいるはずなのだが・・・・・・。

「・・・・・・あ」

 そして注意深く辺りを見渡すと、屋上の物陰になっている部分に誰かがいるのが見えた。

「ふふふ」

 そろりそろりと、足音と気配を消して人影に近づく。そしてまったく気づいていないその背中に、

「こんにちは、先輩」

「――っ」

 肩を叩いて声をかけた。

「げほっげほっ」

 が、タイミングが悪かったようで、夏生はちょうど呑んでいたお茶を驚いた拍子に吹き出して咽せていた。

「おま・・・・・・っ。崎森・・・・・・うえ」

「人の顔見て『うえ』ってなんですかねぇ『うえ』って」

「ばか、お前がいきなり・・・・・・脅かすから・・・・・・」

「ちょっと声をかけただけじゃないですか。そこまで驚かなくても。あーあー、制服が汚れちゃってますよ?」

 口ではそんなことを言っても、多少は自分の責任だということもわかっている。さとりはハンカチを取り出すと夏生の制服の汚れた部分を丁寧に拭き取る。

「汚いぞ」

「別にいいですよ、これくらい。っと、これでよし」

 ハンカチを仕舞い、さとりは夏生の隣に腰を下ろした。カバンの中から弁当箱を取り出し包みを開いていく。

「さも当然のように隣で食べ出したな」

「いいじゃないですか。家族は一緒にご飯を食べるものですからねぇ」

「・・・・・・いや、家族じゃないから」

 と、そんなことを言いながら夏生は食べかけのパンに視線を落とした。

 昨晩もこの話をして思ったが、どうも夏生は家族になるということに対してなにか思うことがあるように感じる。さとりが嫌われているのか、それとも誰に対してもそうなのか。そこまではまだわからないが、どちらにせよそれでは困る。

 少しのきっかけでいい。なにか小さなとっかかりから夏生の考えを僅かばかりでも変えていきたい。

「先輩はいつも購買のパンなんですか?」

 そう思って真っ先に目に付いたのが、今まさに夏生が口にしている食事だ。

 購買のパンが決して悪いわけではない。しかし購買のパンにそこまで独自性やインパクトなどがあるわけではない。毎日代わり映えのしないパンを食べ続けるのは飽きないのだろうか。

「そんなことない。コンビニでパン買うこともある」

「大して変わらないじゃないですか」

「パンがおにぎりになることだってあるぞ」

「はいはい。サンドイッチになることもあるんですね。わかります」

 続きそうな答えを先回りする。

 要するに夏生は自炊をしておらず、いつも出来合のもので済ませているということがわかった。

 夏生にも自分と同様に家族がいないという話だったが、典型的な一人暮らしの食生活をしているようだ。

「じゃあそんな先輩におかずを一品進呈してあげますね」

 言ってさとりは卵焼きを摘まむと夏生の顔の前に持ってくる。

「・・・・・・え、なに。口開けろってこと?」

「はい。あー」

「断る!」

「・・・・・・お約束を最後まで言わせないなんて、なにを考えているんですかねぇ、この先輩は」

 照れて戸惑う夏生の姿を想像していたのに、断固として拒絶されるとそれはそれでモヤモヤとする。

「どうしてもですか?」

「どうしても」

「このお弁当、あたしの手作りですよ? 毎朝早く起きて自分で作ってます。中々のものだと思いませんかねぇ? どや」

 攻め方を変える。

 女子の手作り弁当というパワーワードを使うも、

「確かに美味そうではあるけど、だからってそんなハズいことはできん」

(変わらずの断固拒否。これは中々手強い)

 お弁当自体を作り始めたのはこの四月からではあるが、それ以前から炊事洗濯などの家事全般をずっとこなしてきた。だからこのお弁当の味にはそれなりに自信がある。食べてさえもらえれば多少なりとも株は上がるはずなのだが。

「・・・・・・」

 と、数秒、思考を巡らせて思いつく。

「じゃあ先輩、恥ずかしいことはしなくていいので、食べるだけ食べてください。パンばかりというのも栄養が偏りますよ?」

 パンばかりの生活に卵焼きを一つ加えたくらいじゃ栄養素に関してなんら解決しないが、『自分の身体のことを気遣ってくれている』というアピールをして夏生が手を出しやすく誘導する。

 すると夏生は案の定、せっかくの好意を無碍にするのも悪いとも思ったのか、

「じゃあ、一つだけ」

 と言って手を伸ばす。指で卵焼きを摘まむとそれをそのまま口へ運んだ。

「・・・・・・ん、美味い」

 その夏生の感想にちょっと自慢したくもなるが、その衝動をぐっと堪える。さとりはカバンの中からウェットティッシュを取りだし夏生に差し出した。

「どうぞ、先輩。これで手拭いてください」

 笑顔で言いながら渡し、『女子力が高くて気遣いもできる女の子』というイメージを夏生に植え付ける。

 まさに完璧な計画だった。

「どやっ」

「ん?」

「いえ、こっちの話です」

「それにしてもその歳でちゃんと料理できるのは凄いんじゃないか? いないだろ、同い年に自分で弁当作って持ってくるやつ」

「そんなことありませんよ。趣味でやってる子もいるんじゃないですかね。でもま、あたしの場合は仕方なく、最初は必要に迫られてって感じだったんですけど。うち、お母さんいないんで」

 自分と家族にならないか、と誘われ、夏生はさとりのことをどこまで考えただろう。

 当然、さとりの家庭環境について多少は考えを巡らせたに違いない。

 なにか特別で複雑な事情でもあるのか、家族仲が悪いのか、そもそも家族が身近にいないのか――。

「お母さん、死んじゃったんですよね。中学二年の半ばくらいだったから、一年半くらい前ですかねぇ」

 そして様々な答えの中で、きっとさとりの母親についての境遇は最悪の部類に入るものだ。夏生もきっとその答えに辿り着いていた。だからなにも言えず視線を泳がせている。

「急に倒れて、そのときにはもう手遅れで。病気でした。・・・・・・まあ、そんなこんなで家事全般はその頃からずっとやってるんです」

「・・・・・・悪い」

「別に先輩が謝ることなくないですか? それに、先輩も同じですから。あたしと。お互い様、っていうのは少し違いますかね」

 雰囲気を暗くするつもりはなかったが、家族を失ったもの同士、やはりこういう話になるとどうしても思うところがあり黙り込んでしまう。

 沈黙の向こうからは昼休みの喧騒が聞こえてくるが、さとりと夏生は黙々と食べ続けた。

 あの時の悲しみや寂しさは今でも忘れられない。だからこうして家族を求めている。できることなら直ぐにでも忘れたいものだ。

 だがだからこそ、同じように家族を失った夏生だからこそ、彼が今感じている気持ちも理解できる。

 要は改めて夏生が理解すればいい。

 家族の良さ、その温かみ。なくしてしまった日常を思い出し、それを夏生が求めてくれれば、それは夏生が家族を求めているということだ。

 だから夏生に思い出させればいい。

(そうすればきっと、先輩はあたしと家族になってくれる――)

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