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 校庭や体育館から部活の朝練の声が聞こえている時間。さとりはいつも他の生徒よりも一時間は早く登校している。しかしさとりがなにか部活動に所属しているということではなく、また、早朝学習に精を出したり、委員会活動に参加しているわけではない。

 ただ家にいたくない。それだけの理由でさとりは他の生徒よりも早くに登校しているのだ。

 昨晩はファミレスで夏生と話をしていたこともあり、家に帰ったのは遅かった。少なくとも、父親である真一郎が仕事を終えて帰宅するよりも遅い時間だったことは間違いない。

 だが真一郎とはあのリビングでの会話以外、一切の会話をあれからしていない。

 遅くなった理由を問い詰められることもなければ、頭ごなしに叱られるということすらないのだ。

 会話が、コミュニケーションがまったくない。それが崎森家の家族の在り方なのだ。

 そしてコミュニケーションがないのなら、常に一人でいるのなら、家にいる意味はない。家族と同じ屋根の下にいる意味はない。だからさとりは家にいる時間を可能な限り減らす。他の生徒よりも早い時間に登校するのはそのためだ。

 外とは違い静まりかえる下駄箱で靴を履き替える。なにかしたいことがあるわけでもないので、このまま教室に行ってホームルームまで時間を潰すのがさとりの日常だ。

「さてさて」

 しかし今日のさとりには別の目的があった。

 一年の下駄箱で靴を履き替えると、教室ではなく二年の下駄箱へ足を向ける。そして一組から順番に靴箱の名前を調べ始めた。

「先輩はどこのクラスなんですかねぇ」

 瀧夏生。

 昨日出会った、変わっているが優しい先輩のことを調べる。

 一つ一つの下駄箱を虱潰しに探していく。すると三分もしないうちに目的の名前を発見した。それから念のために同姓同名がいないことを確認するために全クラスの下駄箱を調べ、

「なるほど。先輩は二組、っと」

 無事に所属クラスの情報を得て、さとりは満足げに教室へと歩き出した。

「あ、さ、崎森!」

 と、一年の前の下駄箱を通り過ぎようとしたとき声をかけられた。その言葉に顔を向けると、そこには今まさに靴を履き替え終えたばかりのクラスメイトの男子の姿があった。

「おはよう、崎森!」

「ああ、うん。おはよう、高木」

「今日も早いな、崎森は」

 言うと、クラスメイトの少年――高木勇次が小走りでさとりの隣に並んだ。

「高木こそ、いつも早いね」

「えっ」

「なにか理由でもあるの?」

「え、そ、それは・・・・・・まあ・・・・・・」

 と、なにやら口ごもってチラチラとさとりを窺ってくる。

 さとりとしてはなんとなくそんなことを訊いてみただけなので、答えが返ってくることを期待していたわけじゃない。答えがないならないで、それ以上話を膨らませることもなかった。

「で、でも崎森、今日はいつもより少し遅くないか? いつもだったら俺が教室に行くともういるのに」

 部活組を除いてクラスで一番早くに登校しているのはさとりだ。そして次点が、この高木勇次だった。

 勇次もまたさとりと同様に部活にも委員会にも参加していない。だがどんな理由があるのか知らないが、いつもさとりが登校をした直後にこうして早朝登校をしている。

 部活で汗を流すこともなく、委員会で責任感を全うするでもなく、勉強に集中するでもなく、なにが目的で勇次がこんな時間に登校しているのかわからない。だがそれを聞いたところでさとりには関係のないことなので、特に深く突っ込んだりはしない。

「あー・・・・・・」

 勇次に言われて一瞬考える。別に正直に理由を話してしまってもいいのだが。

(・・・・・・どうせ、高木はあたしのことを変な女だって思ってるし、中学時代のことも知られてるし。というか、むしろ・・・・・・)

 さとりと勇次は高校からの知り合いではなく、以前にも同じ中学で三年間を共に過ごしていた。クラスも一緒で、当時は仲も良かった思い出がある。

 だが、そんな二人の関係は破綻した。

 さとりの、とある行動によって。

 だからこれ以上、変に思われても別に構わない。

「・・・・・・二年の、瀧夏生先輩って知ってる?」

「え・・・・・・? 瀧、先輩・・・・・・? って、誰?」

 突然の質問に勇次は困惑した表情を見せた。

 部活や委員会に積極的に参加していなければ、一年のこの時期に先輩の顔と名前なんて知らないのが普通だ。だから勇次のこの答えは想定内だ。さとりも初めからなにか情報を得られるなんて思ってはいない。ただクラスへ向かうまでも暇つぶし程度のつもりでそう訊いたに過ぎなかった。

「その先輩が、なに?」

「・・・・・・んー、別に、なんでもない」

 知らないなら知らないで問題ない。

 夏生のことがわからないのなら、これから知っていけばいい。

 誰に頼る必要もない。自分がこれから夏生に関わって、そして夏生のことを知り、夏生と家族になっていけばいいだけなのだから。

 その後も勇次はなにかを訊きたそうにさとりの横顔を窺っていたが、結局、なにも訊かれないままで教室に到着してそれぞれの席に腰を下ろした。

 一年の教室は三階にあり、窓際にあるさとりの席からは、校庭や校門を見下ろすことができる。

 窓の外からは変わらず朝練の活気ある声が響いていて、さとりはそれを聴きながら校門へと視線を向け続けた。

「あぁ、早く来ませんかねぇ、夏生先輩」

 求める人の姿を探しながら呟いたそんな言葉は、春の風に桜の花びらと一緒に運ばれてどこかへと消えていった。

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