1-5

 シン、と静まりかえる住宅地の中を、さとりは一人で歩いていた。

 本当ならこの時間は昼間に連絡を取ったあのガラの悪い男たちの相手をして、一晩中ホテルに籠もっている予定だった。

 しかしお節介な先輩に助けられ、話をして、とりあえずそんな気はもうなくなった。

(瀧夏生・・・・・・先輩・・・・・・)

 おかしな人だった。なんの見返りもなく、危険を冒して見ず知らずのただの後輩を助け、ちゃんと最後まで話を聞いてくれた、おかしいけど優しい先輩だ。

(あの人となら、良い家族になれますかねぇ?)

 ファミレスで夏生に言った言葉は本気だ。返事はその場ではもらえなかったが、もしも夏生が了承してくれるのなら、適当な相手に身体を許して子供を作る必要はない。

 そして――。

「・・・・・・」

 さとりはとある一軒家の前に立つ。さとりの家。崎森家だ。カバンから鍵を取り出して家の中に入った。

 家の中は外と同様に静まりかえっていて、まるで無人のようだ。しかしこの家に住人はいる。リビングからは明かりが漏れているし、足下には靴が揃えられている。耳を澄ませば僅かにテレビの音が聞こえていた。

 さとりも靴を脱いでリビングへと向かう。

 リビングに通じるドアを明けるとカチャリと乾いた音が鳴って、それがやけに大きく響いた。だからテレビの音があっても聞こえたはずだ。

「・・・・・・ただいま、真一郎さん」

「・・・・・・・・・・・・あぁ」

 ソファに腰掛け、コンビニ弁当を食べているのはスーツ姿の四十代くらいの男だ。テレビから視線を外すことなく答えた男――崎森真一郎の横顔は、誰が見てもわかるくらいに疲労が溜まっているように見えた。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 そして、それ以降、二人の間に会話はない。

 無言のままドアを閉め、さとりは階段を上がって自分の部屋へ戻った。

 真っ暗な部屋にカバンを放り投げ、制服の上着を椅子の背もたれ乱暴にかけると、着替えることなくベッドに横になった。

 光のない部屋で目を閉じると、いろいろな事を思い出す。

 見ず知らずの男に身体を許そうとしたこと、それを助けられ、叱られ、優しさをくれた人のこと、そして家族とは、父親とは名ばかりのその日唯一の目すら合わせない会話のこと。

「・・・・・・びっくりしてたな、先輩」

 ファミレスで自分が放った言葉。

 自分と家族になってみないかという言葉。

 それを聞いた夏生は驚き、言葉を失い、固まっていた。

 でもそれは夏生にとっても悪い提案ではないはずだ。

 なぜなら夏生にも家族はいない。三年前からずっと一人で生きてきたのなら、一人でいることの辛さや寂しさを十分に理解している。その痛みが耐えがたいものであることをその身をもって知っている。

 夏生だって求めているはずだ。

 家族を。人の温もりを。なんてことのない団欒を。

 それこそ、死が二人を別つまで、決して離れることがない存在を。

 だからこそ夏生を選んだ。夏生と家族になることを望んだ。

 団欒と温もりを思い出し家族を得れば、夏生はそれを二度と手放したりはしないだろう。そしてそれはさとりだって同じだ。互いが互いを手放さない。求め続け、ずっと寄り添い合う。

 そういう家族を、得ることができる。

「今はきっと、思い出せないだけですよねぇ、先輩?」

 だったら思い出させてあげよう。

 家族を。その温もりを。団欒を。

 なんてことのない、そこら辺の家庭を覗けばどこにでも転がっているようなありふれたものを。

 それが、いかに大事なものなのかを。

 そしてなるのだ、今度こそ。

 ちゃんとした、家族に。

 大きな幸せなんていらない。

 どれだけ小さくても構わないから、ロウソクの火のような温もりでも構わないから、でもちゃんとそこにある、確かな幸せを――。

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