1-3
学校が終わってから二十時までが夏生のバイトの時間だ。
タイムカードをきり、まだ残っている社員に挨拶をしてバイト先を後にした。都心から離れたこの街のこの時間帯はすでに人通りがまばらだ。人工の明かりよりも夜の暗闇と星の淡い光のほうこそ存在感が増すように思う。
夏生の住むマンションは住宅地の一角に建っている。そこへ戻る一番の近道は駅の裏側を通って行くことで、夏生は慣れた道程をマンションへと向かって歩いた。
田舎とはいえ駅にはまだ人の姿がある。残業帰りの会社員や遊びに出ている若者、よく見れば学生服を着たまま歩いている者もいる。
(てか、あれうちの制服じゃん)
視界に入ったのは夏生と同じ学校の制服を纏った女子の姿だった。特別それが珍しいというわけじゃない。ただ同じ学校だから、という些細な理由で少しだけ意識が向いたに過ぎない。
自然と視線が制服から顔へと移動する。
「・・・・・・あれ」
普段ならなんら気にすることなんてしない。だが夏生はその少女の顔に見覚えがあった。視界に捉えたのは、今日の昼休みに屋上を訪れた少女だ。自分でも思っていた以上にはっきりと印象に残っていたらしい。
いつしか夏生は足を止めてその少女へ視線を固定していた。
なにをしているのだろう。多大な興味があるわけではないが、多少の好奇心は刺激される。だからなんとなく、少しの間、彼女のことを見つめた。時間にしてきっと三十秒も経っていない。
だがその三十秒の間に事態は動いた。
少女に若い男が話しかけた。それも一人じゃなく三人だ。三人の男はこの田舎にはあまり似つかわしくない派手な格好をしている。髪も染め、ピアスに着崩した服。誰がどう見ても好んで関わりになりたいとは思わない人種だ。
男たちは囲むように少女の周りに立つ。そしてなにやら気安い感じで彼女に話しかけたり、肩に触れたりしている。だが少女はほとんど表情を変えることなくそれに答え、いくつか言葉を交わすと三人について歩いて行った。
彼女らが向かった先にあるのは、ホテル街。
駅の裏にはビジネスホテルが数軒建っている。そしてその道をさらに奥へと進んでいくと、今度はラブホテルの外観が見えてくる。まさか、とは思ったが、少女は男たちに連れられて奥の細い道へと姿を消した。
「おいおい」
思わず声が出る。
その先に男と行く意味は、高校生ならわかっているはずだ。
(もしかして、無理矢理?)
遠目だったのではっきりしたことはわからないが、少女と男たちには面識はなさそうだった。顔を合わせてからも、歩き出してからも男は三人で彼女を囲むようにしていたし、一人はずっと肩に手を置いていた。これは彼女が逃げられないようにするためではないだろうか。
「・・・・・・」
そう考えると一気に不安が押し寄せる。
名前も知らない、今日初めて顔を見た少女だ。助けてやる義理なんてない。向こうは夏生の顔さえ知らないだろう。でもだからといって同じ学校の後輩がガラの悪い男たちに寄ってたかっていいようにされてしまうのは可哀想だし忍びない。
(今ならまだ間に合うか?)
正直、自分でもガラにもないことを考えていると思う。
でも彼女の瞳には親近感を覚えてしまったのだ。ああ、そうだ。夏生が自分一人で勝手にそんなものを感じているだけだ。彼女からしたら勝手に親近感を抱かれて迷惑かもしれない。
でも一度芽生えた気持ちは簡単には消えてくれない。気づいたら、彼女らの姿を追って走っていた。
路地を抜け、煌びやかなで羞恥心を煽る建物の群れの中に跳び込む。こんな場所にいる学生を見つけるのは思っていたよりも遙かに簡単だった。相変わらず男に周りを囲まれたまま、少女は一件のホテルに連れ込まれるところだった。
「――ちょーっと待てぇぇぇっ!」
声を張り上げると男たちの視線が同時に夏生に集まる。邪魔するな、という意思が明確に伝わってくるその視線に、正直なことをいえばビビってしまったが、ここで足を止めたらなんのためにこんな場所へ来たのかわからない。
駆け寄るスピードを落とさないようにして夏生は男たちの前に立つ。
「なんだおま――」
「いやねこいつ俺の知り合いなんですよね同じ学校でほら同じ制服だから勘弁してくれないかなーってねだいたいお兄さんたちも女子高生に手を出すとかバレたらマズいっしょしかも三人でとかだからそういうことでお互いになにも見なかったということにして終わりにしましょうそうしましょうそれじゃあ!」
と、息継ぎもなしに一気にまくし立てると夏生は彼女の手を引いて全力で走った。
夏生のマシンガントークに毒気を抜かれたのか、男たちの反応は一瞬遅れてその隙に包囲網を抜け出し、走り出すことができた。
「あっ、待てお前!」
後ろから声が追いかけてくる。しかし夏生は少女の手を引いたまま路地へ入り、ビジネスホテル街へと戻ると近くのホテルへと身を隠してやり過ごした。物陰から男たちの姿が見えなくなったことを確認し、
「・・・・・・あーっと、大丈夫だった?」
いきなり男たちに囲まれてホテルに連れ込まれそうになって、きっと怖かっただろうと思う。だからなるべくやさしく声をかけた。だが、少女は半目で夏生を見据えながら言った。
「いや、あれは合意のうえだったんですけどねぇ?」
思考が停止する。合意のうえだった? どういうことだ。
「・・・・・・ああ、彼氏とか」
と、口にしてすぐに自分の考えを否定する。相手は三人だ。彼氏であるはずがない。いや・・・・・・そういうことも、もしかしたらあるのかもしれないが・・・・・・。
「違います。さっき初めて会った人ですよ」
少女は淡々と否定する。
(じゃあなにか、この女、初対面の相手と合意のうえでラブホに入ろうとしてたってことかよ)
正直に言って、戦慄した。そして気づく。これが噂で聞く、援助交際というやつなのか、と。夏生の知っている情報では、援助交際はもっと年上の、中年男性を相手に行われるものだと思っていたため、まるで予想外の答えだったのだ。
いやまあ、相手が若かろうが中年だろうが老人だろうが、今の答えに夏生は驚愕していただろうが。
「お前、初めてあった男と・・・・・・」
「そうですけど」
相変わらず少女は事務的に答えてくる。
「・・・・・・えと、なんで?」
そんなことを訊くのはいくらなんでもデリカシーがないとは思う。しかし心の底からの疑問だったためについ口から飛び出てしまった。
目の前の少女は後輩。今年入学の一年生。先月まではまだ中学生だったのだ。そんな少女が援助交際を行うという事実に夏生は打ちのめされた。援助交際なんて都会の、それも極々一部の、高校生活でスレてきた女子がやるものだと思っていた。それが偏見だとしても、夏生の中ではそれが真実だった。
だが見るからに少女は援助交際なんてものとはほど遠いように見える。髪も染めてないし、ピアスもしていないし、派手な化粧もしていないし制服だってキッチリと着ている。どちらかと言わずとも、真面目な生徒という雰囲気なのに。
「なんで?」
少女は夏生の言葉を繰り返す。そして一泊置き、表情を大して変えることもなく平然と、淡々と、口にした。
「あたし、家族が欲しいんですよね」
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