ねこじゃらし(8/8)

「そうそう、うちはお風呂が自慢でね。業者に別発注したんだ……ジェットバスは疲れが取れるよ。ホントに入っていく?」

言ったあと、ちょっとした自慢をごまかす感じで、二郎はチャンネルをCS放送に切り替えた。

名前の売れてきたお笑いコンビが、結婚したばかりの女優と、人生の勝ち組・負け組についてディスカッションしている。ツッコミ担当が女優の頭を小突き、スタッフの笑い声がテレビのスピーカーから飛び出してきた。

「人生に勝ちも負けもないよねぇ」と柏木。

「わたしは結婚してても負け組で、プンは結婚してなくても勝ち組よ。つまり、結婚は人生の勝ち負けに影響しないってこと」

「ま、勝ち負けは置いといて、飛行機事故で死にたくないね。勝っていたのに突然死とか、悲しすぎるよ」

凄惨なニュースを思い出して、二郎がため息をつく。

「イヤなニュースよね……プンの知り合いと同姓同名の人も犠牲になっちゃって。今日は、せっかくみんなが集まったのに」

彩香の言葉に陽子以外の全員がうなづき、リビングは会話をしばらく閉ざした。テレビ画面はコマーシャルに切り替わり、「いまがお得」の健康食品が紹介されていく。

突然、陽子の携帯電話が鳴った。プルルルルという低く鈍い音だ。

休日のこんな時間に誰だろう……訝しく思いながら陽子が手中にすると、持ち主を避けるみたいに着信を止めた。しかし、痕跡を残すかたちで、液晶画面には「着信アリ」の文字が表れている。番号は非通知だった。

「ヤマナカさんからだったりして……」

場の空気を温めるつもりで柏木が笑う。

「えー、恐い。それ、どういうこと?無事なことをみんなに知らせてるとか?」

言いながら、彩香がテレビのボリュームを一目盛り分だけ下げて、全員が申し合わせたように陽子の携帯電話に集中した。

巨大な錘が胸を押しつける感覚に陽子は囚われた。非通知の電話はめったにない。まさか本当に潤一からではないかーー心臓が飛び出しそうに高鳴り、乾いた舌先を紅茶で潤す。

「またかかってくるかしら……」

山中からの連絡を望む面持ちで彩香がつぶやく。

五秒十秒……着信はない。

スピーカーから再び笑い声がこぼれると、我慢比べに負けたみたいに彩香が立ち上がり、テレビの横のねこじゃらしをつまみ上げた。スポイトで落としたふうの水滴がカーペットを濡らしていく。

「ねぇ、これ懐かしいでしょ。昔は東京でもよく見かけたわ」

客人たちへの彩香の問いかけを受けて、「近くの空き地に生えてたんだ。雑草で処分される前に摘んできたんだ」と、二郎が補足する。

「ほらほら、お前はネコちゃんだぁ。くすぐったいだろ。くすぐったいだろ」

床に膝をついた彩香が陽子の首を穂先でこするのを見て、男たちが朗らかに笑う。

「エノコロ草でしょ?実家近くの土手にもいっぱい生えてたなぁ」

五十嵐がグラスに生けられたままの野草に触れて言う。

「エノコ……?ねこじゃらしよ、ねこじゃらし。ネコがじゃれて遊ぶ草。ほらほら、プンネコはこれとじゃれなさい!」

自分自身がネコさながらに体を丸め、彩香は陽子の首から顎を穂先でまさぐっていく。

「お前、やめなさいよ。プンさんがほんとにプンプン怒るぞ」

陽子は苦笑いを浮かべ、左右に動くねこじゃらしを捕まえた。

マッチ棒ほどの長さの穂先は、初めて空気以外のものに触れたかのように陽子の指先に抵抗し、上から下へ撫でつけられると、短い毛が反抗的な意思を持って、生まれたままの状態に戻ろうとした。真新しい絨毯の毛のように。金属の芯を中に保っているみたいに。

「ほーらほーら、お前はわがままなネコちゃんだぁ」

別の一本を加えて、両手を器用に動かしながら彩香が続ける。

二本のねこじゃらしが空中でくるくると輪を描き、陽子の心を追いかけた。


おわり


⬛単作短篇「ねこじゃらし」by TohruKOTAKIBASHI

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短篇小説「ねこじゃらし」 トオルKOTAK @KOTAK

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