ねこじゃらし(7/8)
「あっ、イガちゃんと前川さんは隣りがいいね」と、柏木が席を替えた。
窓ガラスの中では、遠くのマンションが明かりを灯し始めている。
二郎がテレビのスイッチを点けると、ニュースキャスターが地図の描かれたフリップを掲げ、画像は群青の海に切り替わった。
「ひどい事故だね……」
さっきまでとは違うトーンで柏木がつぶやく。
「結構、日本人も乗ってたんだろ」
リモコンで音声のボリュームを上げながら二郎が応える。
「絶望的だよね。飛行機事故は生存の確率がものすごく低いんだってさ」
そう言ってティーカップに触れた柏木の前で、五十嵐は液状のミルクをスプーンで溶かしている。
「でも、飛行機って車より安全っていうじゃない?」
ガラステーブルにブランドもののチョコレート菓子を置いて、彩香が誰とはなしに問いかけた。
「事故の確率は低いけど、事故に遭ったら、まず助からないんだよ。例えは悪いけど、宝くじみたいなもん」
柏木が少しだけ語気を強めた。
「宝くじに当たるのはうれしいけど、飛行機事故は嫌だな。それに、車は自分で運転できるけど、飛行機はそうじゃないもんね」
言い終えてからチャンネルを替える二郎の隣りで、彩香が表情を曇らせ、フレーバーティーの甘い香りと痛ましいニュース映像が五人の酔いを冷ましていく。
放送局はどこも飛行機事故を伝えていた。
隣り合う五十嵐と陽子は、テレビ画面を見つめたまま口を開かない。
報道番組は「生存者二名発見!」のテロップを入れた状態で、乗客の名前を映した。ブルー地に白い文字は、陽子が今朝見たものよりも小さく、八人が記されている。カタカナの羅列と年齢を表す数字だけ。姓名が順に読み上げられると、間を置かずに別の名前に切り替わったーーと、その瞬間、陽子が「あっ」と声を漏らした。
「なに、なに?」
口元のティーカップを止めて、彩香が聞き返す。
画面は再び上空からの映像になり、オレンジ色のゴムボートが海面に浮かぶ物体に近づき、ロングショットのカメラが救助船を捉えた。波がなく、湖のように平らな海だ。
「……知り合いと同じ名前の人がいたの」
弱々しい声で陽子が伝える。
「年は?」
「 一緒だったみたいけど……同級生だから」
「プンの同級生?なんて名前の人?」
「山中」と、小声で陽子は答えた。「潤一」までの発声をためらい、唇をすぼめる。
「まさかぁ……その人に連絡つく友達はいないの?」
あり得ないと言い聞かせる感じで彩香が訊き、「他人だよ」と柏木が言い放ってトイレに立つ。室内が一人減っただけで、陽子はとても不安な気持ちになった。
エアコンが室温を保っているのに両腕に鳥肌が立つ。「捨てた男」は、携帯のメモリーにはいないが、番号はしっかり覚えている。
「同性同名の人って、たくさんいるからね」
カップをソーサーに慎重に置いて二郎が言った。相手を包み込む感じの穏やかな声だ。
「……それに、飛行機の乗客名簿って、意外にアテにならないんだよね」
食べ終えたチョコレート菓子の包装を小さく丸めながら、五十嵐が続けた。
夜が風を連れてきたのか、ベランダの物干竿のハンガーが揺れ、突然に、救急車のサイレンが部屋を駆けていく。窓を閉めているので微かな音だが、不穏な空気をもたらすには十分だった。
「いやー、いいトイレだねぇ。さすが新築新築」
柏木が上機嫌で戻ってきた。
「トイレなんて、どこの家も一緒でしょ。せっかくなら、お風呂にでも入ってく?背中でも流しましょうか?」
ポットの紅茶を陽子のカップに注いで、彩香が自分の発言に声を出して笑う。
(8/8へ続く)
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