第48話 麗華月に行く7、無想琴音3
確かに、先日東京で迷子になった時には誰も助けてくれなかった。AMRでは琴音のスマホに搭載された救難アプリが使えないことを家人がひどく心配していたが、何のことはない、いまこうして半日もかからず目的地であるANLホテルの部屋に
『フフフ。私もやればできる子なのだ』
などとうれしくなった琴音だが、いざ、スーツケースと自分の手首を繋ぐ手錠を外そうと鍵を探したのだが見つからない。
もしや鍵はスーツケースの中では? と一瞬思い冷や汗をかいたのだが、よく考えたら、鍵を回さなければ閉まらない手錠なので、手錠の鍵がスーツケースの中にあるわけはないと思い至りホッとする琴音。
だからといって鍵が見つかったわけではないので困ったものである。
そのうち、尿意を催してきたため、重いスーツケースを運んで一緒にトイレに入り用をたす。
お尻を出したまま、便座の上に座って、『どこに鍵をしまったかなー?』などと思い返してみるものの全く思い出せない。幸いなことに、手錠が付いていてもスーツケースを開けることはできるので、不便ではあるが、致命傷ではない。それならいいか。さすがにこれではお風呂には入れないが、一日、二日我慢すればいいだけだ。
月の重力での飛び込みは試したかったが、スーツケースと一緒ではそれは断念するより仕方がない。
頭の中で、スーツケースと一緒にプールに飛び込む自分を想像したら何だかおかしくなってしまい、
「フフ、フフフフ」もはや余裕である。
少し上機嫌になった琴音はスーツケースと一緒にトイレを出て、ソファーに座り、これからの予定を考えるのだが、スーツケースと一緒ではプールには行けないし、月面車にも乗れないので、当面することがない。
ホテルの外に見物に出ることもスーツケース付きだと面倒だし、なによりホテルに無事に戻ってこられる自信もない。
夕食どきには、スーツケース付きでは席にもつけそうもないので、レストランは諦め少しお高くなるかもしれないが部屋に食事を届けてもらおうとか考えている。
座っていても仕方ないので、スーツケースから着替えを取り出そうと思いたち、手錠をはめたまま、ベッドの上にスーツケースを置いてみたものの、今度はスーツケースの鍵をどこに仕舞ったのかポケットの中を探したが見当たらない。普段の琴音はウエストポーチなどを身に着けて小物類を入れておくのだが今日はウエストポーチをしてこなかった。ハズである。
スーツケースの鍵はどこだったか?
あっ! 思い出した。大事な物は、なくしてはいけないと思い首から下げた
急いで、首のあたりをまさぐるも頼みの綱のネックレスがない。
関空で出発便ゲートに入る前、金属製品をまとめてトレイの上に乗っけて金属探知機を通ったことを思い出した。その時どこかに仕舞ったような。でもはっきりとは思い出せない。
困ったー。
幸い、クレジットカードなどの入った財布は上着の内ポケットにあったので、そこだけは安心だ。上着も財布と一緒に金物類とトレイに置いたはずなのだが上着と財布は無事だった。それだけは救いだったと思おう。しかし全く思い出せない。
あれこれ考えても思い出せないものは仕方がないので、部屋に置いてあったメニューを見て、夕食に何を注文するのか考えることにした。一人で旅行に出た時は、もう少し迷ってから
部屋の中にあった日本語放送のテレビをつけてある程度時間をつぶし、少し早いが夕食をとろうと注文することにした。
届けてもらった夕食は琴音にすれば奮発してそれなりに豪勢な物だったので、大いに満足することができた。
さすがに気疲れした琴音は、そのままベッドで眠ってしまった。手錠が邪魔で最初のうちは気になって寝れなかったのだが、なんとかあれやこれやと手の位置を調整したところ、あまり手錠が気にならないようになり、眠ってしまった。もちろん琴音にとっても、スーツケースと手を繋いで寝たのは初めての経験だった。当たり前であるが、琴音の場合、今後二度目が発生する可能性を否定することはできない。
翌朝、琴音は、月までやって来てこのまま部屋の中で過ごすのはいかにも寂しいので、
帰国者などもスーツケースを持って、レストランで食事をすることもあるだろうと思い、自分も帰国者のつもりでレストランで食事をとることにした。朝の早いうちからなら他の人の迷惑になりにくいだろうし、どうせなら、屋上階のレストランで星空の下、食事をしようとキャスター付きのスーツケースをごろごろと転がしてエレベーターに乗り、最上階のレストランにやって来た。
「お一人さまですか?」
「はい」
「お荷物をお預かりしましょうか?」
「いえ、大事なものが入っていますので結構です」
大事な物も入っているのかもしれないが、実際預けることができないので断るしかない。ここで、無難な受け答えができたことに琴音はほっと一安心。
まだ朝が早かった関係で、すぐ席に案内され、朝食を頼むことができた。
席に案内してくれたボーイさんは琴音のスーツケースを特にいぶかしむことはなかったようだ。
席について、すぐにモーニングセットを頼み、ほっとして、頭上の星空を見上げると、青い地球が真上に見えた。良く見えるのだが、角度的には見づらい姿勢である。しばらく、月に来たことを再実感していたら、首が疲れてきた。
視線をおろしてレストランの中を見回すと、客の入りは3割程度。これなら、隣の席に客が来てスーツケースが迷惑をかけることもないだろう。
「あれ?」
男女二人が、うつむきながらレストランから出ていこうとしている。どこかで見たことがあるような雰囲気の二人だったが、月で知人に会う可能性はかなり低いだろうと思い、そのうちそのことは忘れてしまった。
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