第28話 プール開き


 今日は一部の生徒が待ちに待ったプール開きだ。


 麗華の自宅にはプールはないが、父親のいる本宅の温水プールをいつでも利用できるのでプール開きをそんなに楽しみにしていたわけではない。本宅のプールは屋内プールだったこともありここ1年利用していなかった。室内では味わえない青空の下の水泳は好みではある。


 白鳥高校のプールは広さだと一般的な25メートルプールなのだが深いところでは水深が2メートルを超えるのでそこでは立ち泳ぎしなくてはならない。それなりに危険ではあるので体育教師が生徒たちにプールでの注意事項を伝え、そのあと準備運動をみんなで行っているところだ。


 麗華は青空の元で思い切り泳ぎたいという意味で今日の体育の実技に参加している。無論、日々体を鍛えて常在戦場の気構えの麗華にとって準備運動など不要なので、他の生徒に少し遅れてシャワーを浴び、プールサイドに入るなり準備運動をしている生徒たちを尻目にそのままプールに飛び込んでしまった。上がった水しぶきが陽の光の中できらきらと輝いている。


 白鳥学園の女生徒たちの着るスクール水着は紺色のオーソドックスなものだが、麗華の着ている水着だけは白いワンピースなのだ。この1年間で身体的成長はなかったようで去年着ていた水着と同じサイズの水着を麗華は今年も着ている。プールでの麗華は長い黒髪は邪魔にならないように白色のスイミングキャップの中に器用に丸めて入れ、長時間水中にいるつもりなのでゴーグルをつけている。


 プールの片側の1レーンがコースロープで仕切られていて、そこで潜水したまま25メートルを行き来している女子生徒がいる。法蔵院麗華だ。彼女は潜水したまま息継ぎなしで去年までは50メートル泳ぐことが出来たのだが、今年は調子が良いらしく二往復、100メートル泳げるようになったようだ。体感的にはもう少しいけそうではある。


 クロールもやればできるのだろうが、文字通り這うように進むところが嫌いだし、見た目が見た目なバタフライや平泳ぎは試す気もしない。背泳ぎは見た目優雅なので何度か泳いでみたが、一度前を横切った人にぶつかって以来背泳ぎもやめている。要するに麗華は潜水しかしないのだ。しかし速い。25メートルおきにプールの壁を蹴ると言っても、100メートルを潜水したまま60秒を切るのだ。

 プールの底をそのスピードで突き進む麗華はまさに気泡を発しない旧海軍の酸素魚雷である。


 専用レーンを音もたてずに二往復、100メートルを泳ぎ切るたびに浮き上がり呼吸をするのだが、すぐにまた泳ぎ始める。たまに、プールの底の辺りを上を向いて泳いでいるものだから見慣れない人はそれを見るとぎょっとするかもしれない。


 麗華がいい気分で水中を泳いでいると、クラスメートたちは、休憩に入ったらしい。皆一斉にプールから上がり始めた。


 水の中から上がっていく生徒たちの中に一人の男子生徒が取り残され、両手両足をだらんと伸ばして水中を漂っている。溺れて気を失っているようだ。水中で素早くそちらに方向転換した麗華は、その生徒の脇に腕を入れてプールの端まで抱えて泳ぎ、


「山田くんがおぼれていました。すぐに引き上げてください」


 教師や生徒たちが大騒ぎで山田(仮)くんをプールからに引き上げている間に素早くプールから上がった麗華が、ゴーグルを白いスイミングキャップの上にずらし、水滴を水着から垂らしながら大きな声でプールの外で待機していた代田を呼ぶ。


「代田! 山田くんがおぼれて息をしてないの」

 

「すぐに参ります」


 体育教師と生徒たちが見守る中、出来る執事が暑苦しい黒の執事服を着て、プールのフェンスを乗り越え山田(仮)くんの脇に跳び下りた。


「トウ!」


 戦隊もののヒーローならばここで決めポーズなのだろうが、代田は執事だ。磨き抜かれた黒い革靴をかちりと合わせ、直立姿勢をとる。しかしいかに代田とはいえ、プールの外で待機しているのは恰好が恰好なだけに暑かったのだろう。オールバックの髪と額にうっすらとかいた汗を白いハンカチで拭いている。寝かされている山田(仮)くんを一瞥し状況をすぐに把握した彼は、素早く行動に移った。


「キャー!」


 女子生徒たちから黄色い悲鳴が上がる。そう、代田は、山田(仮)くんに対しいささかの躊躇もなくマウスツーマウスで人工呼吸を始めたのだ。四、五回と口から空気を送り込んだ後山田(仮)くんが水を口から吐き出したので、今度は馬乗りになって心臓マッサージを始めた。


「お嬢様、もう大丈夫です」


 山田(仮)くんが蘇生し意識を取り戻したようだ。この言葉を聞いたクラスメートたちから拍手が起こった。なんとか大事に至らなくてほっとする麗華。今回の溺者救助の立役者は無論麗華なのだが、なぜか代田が英雄になってしまった。それもまたいいかと思う麗華だった。


 女子生徒たちが、代田のマウスツーマウスで騒いでいる間、水から上がった麗華を見つめる男子生徒たちの視線が熱い。普段の麗華なら男子生徒たちのこの視線は不快に思うのだろうが先日のおわん型推進キャンペーンを思い出しやはり自分の考えは間違っていなかったと自信を深めたのだった。


 上品な おわん型こそ 至福かな


「代田、あなた、なんだかマウスツーマウス慣れてたわよね。相手が男なのにためらいなく始めたのには驚いたわ。もしかして、男だから良かったの?」


「いえ、できれば女性の方が」


「そりゃそうよね。それでも頑張ったてことか。さすがは代田ね」


「執事のたしなみですので」


 できる執事にとって、マウスツーマウスなどただのたしなみなのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る