第24話 全日本女子剣道選手権
「今日から教科書の85ページの『平家物語』だ」
教室の生徒たちがぱらぱらと教科書をめくる音がする。その音がやむのを待って、あやめが自分で冒頭部分を読み始める。
「
「はい。では、爺咲(やざき)、窓の外がずいぶん気になるようだが、ここを口語訳してみろ」
「はい。『祇園精舎という寺で鳴らされる鐘の音には、世の中が変化していく響きが含まれている。お釈迦さまがその木の下で亡くなったという2本並んだ沙羅の木の花の色は、今は盛んな者も必ず衰えてゆく世の道理を表している。権勢を誇っていた人も長くは続かない。まるで春の夜の夢のようだ。どんなに勢があろうとも最後には滅びてしまう。風に吹かれる塵と同じだ』」
「よし。この冒頭部分は有名な一節なのでみんなちゃんと覚えておくように」
教室の生徒たちは、すらすらと平家物語の冒頭を
「それと爺咲、今のは実にいい現代語訳だったが、これからは古文は
「はい。気を付けます」
……
キーンコーン、カーンコーン、……
「今日はここまで」
「起立、礼」
放課後の部活時間。六道あやめは剣道場で、竹刀を打ち合っている剣道部員たちを見ながら考えている。
『猛き者もつひにはほろびぬ』か。
7月に入れば、全日本女子剣道選手権の予選が始まる。それまでに、何としても法蔵院麗華を剣道部に欲しい。彼女の実力はおそらく自分より上だ。法蔵院麗華ならば、無想琴音をたおし全日本女子剣道選手権を制することも夢ではない。高校男子の県大会なら個人の部でいい線いけそうな花太郎でさえ一撃だ。
理事長や校長から、法蔵院麗華にかまうことは一切禁止されているが何とかできないか。話によると、彼女は法蔵院流槍術の免許皆伝の腕前で、自宅の稽古場で毎日槍の稽古をしているそうだ。それなら、剣道部で部活をしなくとも十分腕前は維持できる。名前だけ剣道部員になってもらい試合だけ出てもらえばいいのだが、なんとかできないだろうか? 何かいい手はないか?
直接話して頼んでみるか? 最近読み始めた『三国志』、劉備が孔明を軍師として招くにあたり行ったとされる『
「爺咲(やざき)、もっと踏み込めー!」
「おい、そこ。場外じゃないんだから相手が転んだらちゃんとどめを打ち込め! ぼーっと見てちゃだめだ!」
「声が出てないぞ、もっとちゃんと声を出して」
剣道4段は伊達ではない。考え事をしていてもちゃんと見るべきものは見ているのである。
翌朝、始業後の校門で麗華がやってくるのをじっと待ち受ける六道あやめ。自分の受け持ちのクラスは自習させている。あやめの剣道にかける意気込みは授業にかける意気込みをはるかに超えているのだ。
時刻が9時少し前になったところで黒塗りのリムジンが校門前に停まり、法蔵院麗華がいつも連れている黒い執事服を着たおじさんが車から降りて後ろから回り込みリムジンのドアを開けると、麗華が現れた。
すぐにあやめが麗華の元に駆け寄り、用件を切り出す。
「法蔵院さんに頼みがあるのだが」
「六道先生、おはようございます。それでわたしに頼みとは何でしょうか?」
「ぶしつけで申し訳ない。実は、7月から始まる全日本女子剣道選手権の予選に出てもらえないだろうか? 法蔵院さんなら必ず予選を突破して本選でもきっと上位、優勝まで狙えると思うのだがどうだろう」
「過分な評価ありがとうございます。わたしも六道先生の頼みですのでお受けしてもよろしいのですが」
「おお、そうか、それはありがたい」
「いえ、そのお話をお受けしたいのはやまやまですが、全日本女子剣道選手権の予選出場資格はたしか剣道二段以上、年令は今年の4月1日時点で満18歳以上ではなかったですか? 六道先生、わたしは剣道の段位はおろか級もとっていませんし、まだ16歳ですよ」
あちゃー。まさに、あちゃーである。これからすぐに麗華が初段をとっても二段になるためには規則で最低1年かかる。出場資格を失念していた六道あやめだった。呆け顔のあやめに軽く頭を下げて麗華が校舎に向かって去ってゆく。今は秋ではないが木枯らしがピューとあやめの胸の中で通り過ぎて行った。その時代田が何を思っていたかは定かではない。
当日の剣道部の部活は異様に気合の入った六道あやめの声で部員たちが震え上がったそうだ。
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