第22話 無想琴音


 無想琴音(むそうことね)、無想館大学3年。関西を拠点とする無想グループ総帥、無想権兵衛の長女で上に兄が一人いる。


 神道無想流杖術(しんどうむそうりゅうじょうじゅつ)の免許皆伝の腕前を持つ杖術の達人なのだが、麗華と違い身近に杖術の練習相手がおらず、やむなく4年前から剣道を本格的に始め、一昨年、昨年と全日本女子剣道選手権で六道あやめを決勝で破り2連覇を遂げている。


 いずれも決まり手は籠手で二本連取しての優勝だ。神道無想流杖術とは剣術を破ることのみに特化した技術なのだ。剣道などに後れを取ることはないと以前より思っていたが、やはり思った通りの結果となり琴音は満足している。


 しかし、神道無想流杖術は法蔵院麗華の法蔵院流槍術とは全くと言っていいほど相性が悪い。まず間合いが違う。次に普通の直槍(すやり)ならやりようがあるが、相手が十文字槍の使い手の場合、枝刃(えだは)の付いた槍の穂先が、突き出される前方からだけでなく、槍の引きに合わせて後方からも襲ってくるのだ。軽くいなすだけで防げた突きが、大きく槍の穂先をそらさなくてはならなくなり、それが隙を生む。二撃三撃とかわし続けていると隙はやがて致命的なほころびとなり勝敗が決してしまうのだ。


 琴音は、幼いころの麗華を知っているだけで、これまで麗華の槍さばきを直接目にしたことはない。仮にも法蔵院流槍術の免許皆伝を受けていると伝え聞く麗華が相当な使い手に成長していることは間違いないし、琴音の杖術であれ苦戦するだろうことは予想される。


 とはいえ、お互いがお互いの得物をもって対峙たいじすることはまずないし、お互いが竹刀をもって剣道で対峙たいじするならば、負けることはないと考えている。そういった想像は今のところ無意味なのだが、そのくらい琴音は麗華を意識しているのだ。


 無想グループと法蔵院グループが特段仲が悪いという訳ではないし、琴音は子供のころ親同士の付き合いで何度か麗華と一緒に過ごしたこともある。しかし無想グループがこのところの法蔵院グループのアギラカナへのアプローチの成功により押され気味であるのは事実である。


 無想グループの働きもありなんとか関西にもアギラカナの核融合発電所の建設にこぎつけることができたのだがいまさら感もある。麗華と違い琴音の場合、そういったグループにまつわることは兄が対応してくれているので、気楽な学生生活を送ることができているがそのことを意識していないわけではない。



 その、無想琴音であるが、噂のアギラカナ大使館の実物を一目見ようと連休を利用し新幹線で久しぶりに関西から東京に出てきたのだ。


 琴音は様々な個人収入のある麗華と違い、親に大学3年のこの齢でも養ってもらっており、当然小遣いも親から貰っている。


 子供のころから金銭について厳しくしつけられていたため、むだな出費や贅沢は極力避ける癖がついており、今日も、東京駅からタクシーに乗れば簡単にアギラカナ大使館の近くまで行けるところを都営バスに乗って大使館の近くまで行くことにした。まあ、遊びで新幹線に乗って東京に来るくらいだから琴音の金銭感覚もお嬢さま仕様には違いないだろう。


 無くさないようにと首にかけた紐に吊るしたスマホの地図アプリを見ながら、東京駅からバスに乗るところまでは琴音の認識上、順調そうに思えたのだがバスがなかなか目的地につかない、というより何だか目的地から遠ざかっているようだ。


 気が付くと、バスは終点の池袋駅についてしまった。もはや、頭の中にはスマホの地図アプリを利用するという考えはふっ飛んでしまっている。


 バスを降りて道行く人にアギラカナ大使館の場所を聞くと怪訝けげんな顔をされるし、聞かれた方も何と答えたらよいか困るだろう。晴美はるみに建設されたアギラカナ大使館はあっちの方と言えばあっちの方、ずっと向こうと言えばずっと向こうなのだ。


 どうしようかと周りを見渡すと、地下鉄丸の内線の池袋駅が地下にあるらしい。それに乗れば、振り出しの東京駅に戻れる。素直にJRの山の手線で東京駅に戻ればいいのだがそれが思いつかず、つい目に入ったものに飛びついてしまうのが琴音である、


 琴音としては、知らない街での地下鉄は相当な冒険なのだが勇気を出して挑戦することにした。まさに挑戦。さして複雑でもない池袋の地下道で迷いに迷ったあげく、何とか丸の内線の改札を見つけた琴音は、無事東京方面行きの丸の内線に乗り込むことが出来た。丸の内線池袋駅から発車する地下鉄は全部東京方面行きなので失敗しなかっただけともいう。


 すっかり気疲れした琴音が地下鉄の電車の席に座っていると程よい振動が心地よい。ポニーテールに後ろでまとめた黒髪を揺らしながらついうつらうつら居眠りしてしまった。


「しんじゅくー。しんじゅくー」


 どうやら寝過ごしてしまったようだ。あわてて電車から飛び降りた琴音。すでに持っていた手荷物はどこかにいってしまって今は手ぶらだ。反対側の電車を待てば東京に戻れるのだが動転してしまいその考えに至らなかった。


 改札を出て何とか地上に出ようと彷徨さまよう琴音。すぐ後ろを振り向けば地上に直行するエレベーターがあるのだが気付けない。ぐったりした琴音はついにギブアップした。


 そう、神道無想流杖術免許皆伝、無想琴音は極度の方向音痴であり、その方向音痴に起因するある種のパニック障害も合わせ持っていたのだ。新宿駅の地下で遭難しそうになった琴音からの救難信号を受けた無想家の執事がはるばる関西から羽田まで旅客機に乗り、そこから新宿までタクシーで駆け付けた時には、琴音はぐったりやつれていた。ちなみに、琴音の首から下げたスマホにはタップするだけで無想家に位置情報を付けて救難信号を送るアプリがインストールされている。


 東京怖い。東京怖い。東京怖い。……


 無想家の執事に無事救出された琴音は、近くのシティーホテルに1泊することになり、その日を反省しながら次の日を迎えた。仕事を何もかも放り投げて琴音の為に東京までやって来た執事は、持参した旅行用具の入った小型のキャリーバッグを琴音に渡し、当日中に関西に帰っている。


 タクシー使おう。これが昨日の失敗から導き出された琴音の結論である。最初からそうしておけば問題なかったのだろうが人は失敗から学ぶもの。しかし琴音の持つスマホに救難アプリがインストールされていることからも分かるように今回のような迷子からの遭難もどきは過去に何度も起きている。


 古人曰く、


『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』


 経験からも学べない無想琴音はいったい何者なのだろうか。



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