第17話 ソーラー・クルーズ役員会


 話は中間試験初日までさかのぼる。


 麗華は午前中の中間試験を終え、一度屋敷に戻り昼食をとった後、一条に渡すための梅干しクッキーを用意し、それからソーラー・クルーズのオフィスの入った高層ビルにリムジンで乗り付けた。ソーラー・クルーズが数フロアを占有するその高層ビルは法蔵院グループの主要会社である法蔵院不動地所の所有ビルである。


 ソーラー・クルーズの社長室に立ち寄りいったん荷物を置いた後、役員会議室に入った麗華は机の上に置かれたレジュメをめくりながら考えている。


 アギラカナはこれまで一切の取引を円で決済している。このまま、日本―アギラカナ間の円経済が拡大していけばどうなるのだろうか。アギラカナは円の基軸化でも狙っているのだろうか。資源のほとんどを海外からの輸入に頼っていた日本だが、ここにきて徐々に輸入先が海外からアギラカナに切り替わってきている。石油などの地下資源関連の長期契約が終われば食料を除いたほとんどの資源がアギラカナからの輸入になるだろう。何でも作れそうなアギラカナだ、将来的には食料もどうなるかはわからない。


 主要資源の輸入先が単一国家であるということは国家戦略上問題があるのだろうが、何を今さらである。首都東京の上空100キロにアギラカナの巨大宇宙船が浮かんでいるのだ。仮に、その宇宙船を撃ち落とすことができたとしても、推定数億トンともいわれている宇宙船が地上に落ちてくれば、それだけで日本は壊滅する。


 諸外国もいずれは資源不足に陥るのだろうが、そうなった場合日本経由でアギラカナから資源を輸入することになるのだろうか? もしそんなことになれば、円の基軸化も現実味を帯びてくる。



 今日のソーラー・クルーズ役員会は普段顔を出さない代表取締役副社長の一条佐江が出席するということで、社長の麗華以外の役員はかなり緊張しているようだ。


 一条はただの雇われ役員と違い、ソーラー・クルーズの51%の株を所有するアギラカナを代表しており、彼女の一存で、社長以下役員の解任がに可能なのだ。ソーラー・クルーズは株式を公開していない会社なので、役員解任に関して上場会社のように一般株主への丁寧な説明も不要なことも大きい。


 今日の役員会では最初に大神造船でのクルーズ宇宙船の内装工事の進捗しんちょく状況についての説明が担当役員からあった。それに関連して、一条が現在内装工事中のクルーズ宇宙船の名称を旅客宇宙船ASUCAアスカとしたいと主張したため、わざわざ一条の提案した船の名称などで誰も反対するわけもなくそのまま船名が決定してしまった。


 なぜASUCAなのかの一条からの説明がその場ではなかったので、役員会の後麗華が一条に名前の由来を直接尋ねたところ、今はまっているアニメの主人公がアスカというのだそうだ。昨年秋から始まったそのアニメは第3クールを迎えており、第4クールの製作も決定しているらしい。実はそのアニメの主なスポンサーは法蔵院グループなのだが、さすがの麗華もそこまでは知らない。


 ガクッときた麗華ではあるが、なんとなくカッコ良さそうな名前なのでそれもまたいいかと思いなおした。その後、人事的には親会社の商船日本の各国支社のセールスが行った太陽系クルーズチケットの適正価格帯の調査結果の発表などがあった。


 太陽系クルーズは、日本国の主要国際港から太陽系を9泊10日かけて1周する予定で調整しており、そのチケットの販売価格を決定するため、売り出し前に顧客が考える適正価格の調査を行ったわけである。


 日本国内の調査結果は、1人当たり300万円から500万円。欧米では3000万円から3億円と大きな隔たりがあった。今のところ、クルーズ宇宙船の航行に関するハード面は全てアギラカナが責任を持つため1航海のコストが乗客1人当たり30万円から50万円とかなり低く抑えられている。そのためチケット価格を顧客の考える最低金額の300万円にしても十二分に利益が出る。


 チケットの価格について、アギラカナを代表する一条が中心価格帯を150万とするよう発言したため、一部の役員から外国人については価格を上げてもいいのではとの意見が出たが、中心価格帯については、アギラカナの山田代表から国内外を区別することなく極力下げるようにとの指示であるとして、一条が意見を変えることはなかったが、超富裕層を対象としてクルーズ船内でのショッピングモールを強化していくことになった。


 また、海外からの乗客の利便性を考えドル決済を可能にしたいとの意見についてもアギラカナの強い意向で全て円決済することになった。さらに外国人枠は月のAMRへのチケット販売と同じく全乗客数の2割。その中に国別枠を非公開で設けることなどが一条の主張通り決まっていった。


 見た目、のほほんとしてそこらのOLに見える一条なのだが背の低い彼女に目を細めながらじっと下から見つめられると、たいていの役員は冷や汗をかいて自分の意見を引いてしまうようだ。


 最後に、一条からアギラカナによる、クルーズ宇宙船の運航に対する支援体制の説明があった。それによると、航行不能になることはまずないクルーズ宇宙船だが、そうなった場合は、直ちにアギラカナから救援艦が駆け付けクルーズ宇宙船を地球までえい航するそうだ。また、船内での保安のためアギラカナから警備員が派遣され、その人員で対処できないような事態が発生した場合、アギラカナから応援要員が速やかにクルーズ宇宙船に送られるとのことだった。


 一条にとってのソーラー・クルーズ役員会とは、会議ではなくアギラカナの意向、すなわち代表者である山田圭一の意向を単に伝える場所に過ぎない。アギラカナの意向を会議で議論しても無意味だからだ。


 同等の人間が複数いるのなら会議も意味があるかもしれないが、上位者が一人いるならば、上意下達じょういかたつで十分で会議など不要と思っている。アギラカナにとっても一条にとっても会社の運営上の問題など関心はない。一条の上手いところは、アギラカナの意思の中にさらりと自分の主義主張を違和感なく織り交ぜてしまうことである。


 麗華は役員会では特に発言することなく、一条を尊敬の目で見ている。将来法蔵院グループを率いていかなくてはならない麗華なのだが、一条にかなり感化されてしまっているようだ。相手はあの一条なのだ、これでいいのか?



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