第15話 梅干しクッキー


 剣道部の部活を終えアパートの自室に帰った花太郎。制服を着替えアルバイトに行く準備をしていると今日も昨日と同じ時間にチャイムが鳴った。


 ドアを開けてみると、昨日の言葉通り夕食の重箱を届けてくれた麗華の使用人の女性が今日も包みを抱えて立っている。


爺咲やざきさま、麗華お嬢さまからのお届け物です。それと重箱を受け取りにまいりました」


 花太郎は、差し出された包みを受け取り、昨日の重箱は洗わずそのまま返せと言われているので、気にはなるもののそのまま返却した。


「ありがとうございます。法蔵院さんにはよろしくお伝えください」



 今日は何が届けられたのかと、それなりに重たい包みを開けると、一枚のメモ書きと、梅干しの乗った分厚い円盤が入っていた。


 メモ書きには、『爺咲やざきくんへ、料理を作ってあげたいのだけれど、もう少し練習が必要そうなので、代わりにこのクッキーをどうぞ。作ってから時間が経ったので硬くなってるかもしれないから食べるときは歯を傷めないよう気をつけてね。麗華』


 梅干しの乗っかった円盤はどうやらクッキーだったようだ。なぜに梅干し? しかもクッキーが厚いうえメモ書きに書かれていたように硬くてとても素手では割れそうにないし、台所にある小ぶりの包丁では刃がたちそうにない。


 仕方ないので直径30センチほどあるクッキーを壁に斜めに立てかけ、中学の修学旅行のとき北海道で買った『洞爺湖とうやこ』と書かれた木刀でたたき割ることにした。軽く木刀でそのクッキーを叩いてみると、クッキーとは思えないようなカン、カンといい音がする。そのせいで、梅干しがクッキーから何個か外れて落ちてしまった。


 高そうな梅干しなので落ちたものをお皿に取っておく。焦げ目の付いた梅干しからいい匂いが漂って来た。


 これから木刀でクッキーを叩き割るときに梅干しが飛び散らないようにまだクッキーにくっ付いている梅干しもクッキーから外してお皿に取っておいた。花太郎は何気にマメなのである。


 準備が整ったので、木刀を斜めに振り下ろす。


 カッキーン。


 相手がお菓子とは思えない高質のいい音が響いたのだがかどの方が少し砕けただけで本体はびくともしていない。これではクッキーならぬカッキーンだ。


 今の音で、安普請やすぶしんのこのアパートの中で今時分いまじぶん大きな音を立てるのは近所迷惑だと気付き、行楽用のビニールシートと麗華謹製きんせい円盤型クッキー、それに木刀を持ってアパートの裏手の駐車場に行くことにした。


 駐車場のコンクリートブロックの塀にかかるようにアスファルトの路面の上にビニールシートを敷いて、その上に斜めにクッキーを立てかけ木刀を振りかぶり思いっきり振り下ろす。


 ガコ!


 今度はいいあんばいにクッキーが割れたようだ。さっそくシートの真ん中に割れたクッキーを集めるようにシートを丸めアパートに帰ろうとしたのだが。


 キキキキー。


 ライトを点けた自転車に乗ったお巡りさんがちょうど通りがかった。お巡りさんにとって、夕方木刀を持って駐車場にたたずむ青少年を誰何すいかするのは当然なのだうが、される方は当然と思っていないわけで、つい逃げ出したくなる。


 花太郎は10日ほど前に起こった事件を思い出す。花咲か爺さんと花太郎にとっての禁句を連呼する同級生と口喧嘩をしたその日。花太郎は部活を終え下校したのだが、自宅アパートへの道すがら、他校の女子高生に絡んでいるチャラそうな男がいたので注意したところ、その注意された男が逆上し、花太郎に殴りかかって来た。


 腰の入っていないテレフォンパンチを軽くかわしたところそのチャラ男は足をもつれさせ体勢を崩してすっころび、アスファルトの道路に手をついたところ方向が悪かったのか手首を折ってしまった。その手首を折って泡を吹いている男の顔をよく見ると、その日学校で口喧嘩をした相手だった。


 誰が呼んだのかすぐに救急車がやって来てその同級生を運んで行ったのだが、花太郎は通りがかった警察官に呼び止められ事情を訊かれた。その時は運よく、周りで見ていた人や助けた女子高生が証言してくれたおかげですぐに解放されたので事なきを得た。


 しかし翌日花太郎が昼間の仕返しにその男子生徒を襲ったのではないかという噂がどこからか流れてしまい、今まで以上に教室に居づらくなってしまった。


 結果的に教室の中の一番後ろの窓際席という特等席をゲットしたのだから良しとしている現状である。もしも、花太郎のクラスに剣道部の部員が一人でもいれば話はずいぶん変わったのだろうが残念なことに花太郎のクラスの剣道部の部員は花太郎一人である。


 今回は、お巡りさんに、これこれしかじかと言いながら、ビニールシートの中の叩き合わせると金属音のするクッキーの残骸を見せながら説明することで、なんとか事なきを得た。


 やはり、何事にも運の良い麗華と比べると花太郎の運はそれほどではないらしい。


 部屋に帰るとそろそろアルバイトに出かけなくてはいけない時間だ。クッキーの残骸を一塊りつまんで口に入れてみる。


 ガキッ。ゴリ、ゴリ。食べてみると注意された通り歯が痛くなるほど硬くとてもお菓子を食べているような音がしないのだがけっこうおいしい。


 梅干しのくっ付いていた場所が少し窪んで梅干しの色でうす赤くなっているところからいい匂いと酸味と薄い塩味がする。癖になる味というのだろうか。もう一塊りのクッキーを反対側のポケットに突っ込んでアルバイトに向かう花太郎だった。




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