第9話 父と娘(こ)


 今日は久しぶりに本宅を訪ねた麗華は、父法蔵院正胤ほうぞういんまさたねと会食している。麗華は正胤の一人娘で、母親は既に他界しており父と娘の二人家族だ。


 今二人のいる部屋は、縁側を挟んで日本庭園に面したイグサの香りの漂う青畳あおだたみが敷かれた八畳ほどの和室である。いまは障子しょうじを閉めているため庭の様子は見えないが、日本庭園の中にある池の中には見事な錦鯉にしきごいが何匹も泳いでおり、池の脇の鹿威しししおどしが時おりいい音を立てている。


 部屋の中にいるのは座椅子に座る和装の正胤と、洋装の麗華の親娘おやこの二人だけで、法蔵院家の筆頭執事の横山と次席執事で麗華付の代田しろたの二人はともにふすまを隔てた隣室で控えている。


「麗華、槍の鍛錬の方はどうだ? 代田の話だとこのところだいぶ上達しているようだが」


「先日、負けはしましたが、代田に空気投げを出させるところまでいきました」


「ほう、代田が空気投げを。麗華は去年の秋から急に槍の腕前を上げたからな。暮れに『一穿いっせん』を教えたと思えばすぐに自分のものにしてしまうし驚いたぞ。法蔵院流槍術の免許皆伝を与えたのも無駄ではなかったようだ。その歳でそこまできたのならこの先が楽しみだ」


「ありがとうございます」


「ところで、麗華。お前のおかげで大神おおかみ造船だけでなく中核の商船日本まで潤う。よくやってくれた。グループ会議でも役員連中が絶賛してたぞ。褒美に何か欲しいものがあれば言ってみなさい」


「それでしたら、お父さまが大事にしている大千鳥十文字槍おおちどりじゅうもんじやりをくださいませんか」


「そういえば、前々からあの槍が欲しいと言っていたな。わかった、一度研ぎに出して、お前のところに届けさせよう。大事にしてくれよ」


「ありがとうございます。もちろん大事にします」


「横山、聞いていただろう。そのようにしてくれ、麗華への譲渡じょうと手続きも忘れるなよ」


「かしこまりました」


 隣室で控える横山から返事がある。


「最近、麗華はアギラカナの一条特別補佐官とも懇意こんいにさせてもらっているそうじゃないか。わしもあの方には何かの会合で一度しかお会いしたことはないが、一条さんは見かけと中身がまるで違う人だな。一見何も考えていないように見えるが、結局彼女の意見が全て通ってしまう。凄いもんだ。ちょっと前までただの製品検査員だったとはな。そうそう、麗華、一条さんから名刺を頂いたそうだがいま持っていたら見せてくれないか」


「これです。材質は一見紙に見えますがどうも違うようです」


 そう言って一条の名刺を父親に手渡す。


「おそらく、この名刺を持っている民間人は世界中でお前だけだと思うぞ」


「えっ、そうなんですか?」


「そうだ。それほどすごいことなんだ。この名刺は、少し預からせてくれ。うちの研究所で材質を分析したいそうだ。

 なにはともあれこれからはアギラカナの時代だ。そのアギラカナにしっかり渡りをつけてくれた麗華のおかげでグループも安泰だ。この調子なら、お前が高校を卒業する再来年の春にはわたしも引退した方がよさそうだな」


「お父さま、ご冗談を。まだまだお父さまは第一戦で働いてくださいね。そういえば、一条さんは言質げんちを与えるような方ではありませんが、やはり、ローカル空港からの月便をアギラカナでは考えているようです。ローカル空港への法蔵院グループからの直接介入は難しいでしょうが連絡道路や宿泊施設などの周辺のインフラ整備なども結構なビジネスになりませんか?」


「こちらの方でもその情報は掴んでいる。そろそろ、うちも動き出さんとな」


 にんまり笑う正胤まさたね。既に法蔵院グループは動きだしているようだ。


「さすがはお父さまですね。……あらこの筑前煮ちくぜんに、おいしい」


「そうだろう。秋田の大舘おおだてから取り寄せた地鶏じどりを使っているらしい。たけのこは京都の乙訓おとくにのもんだ。筍のしゅんは過ぎているがまだまだいけるな。お前のところにも分けてやろうか」


「うれしい。わたしも、ちょうど料理の勉強を始めようと思っていたところでしたの」


「ほう、誰か食べさせたい相手でもできたか?」


「お父さま、わかります? フフフ」


「ハハハ。それは良かった。友達もほとんどいないお前を好いてくれる男がいるなら大事にしろよ」


「ええ、お父さまに言われなくても大千鳥十文字槍おおちどりじゅうもんじやりくらいには大事にしますわ」


 娘の返答に鷹揚にうなずく父正胤まさたね


 筆頭執事の横山と次席執事の代田、両名では槍と同じくらいとはどの程度大事にするのか見当もつかないような返答をするお嬢さま。しかし、彼女の父親にはそれで伝わったらしい。


「アギラカナのおかげで国内景気も上向いて来ているのはいいが少々過熱気味かもしれんな。このところ債券相場も弱含んでおるし、マーケットに押される形で、日銀が近いうちに金利を上げるやもしれん」


「いいことじゃありませんか。金利に負けるような企業は所詮そこまでの企業でしょう。金利が上がって円高に振れたとしても、今のように内需が強ければあまり影響はないでしょうし、預金金利が上昇して富裕層の財布のひもも緩むんじゃないですか。政府としても国債の借り換えコストが幾分か上昇してもアギラカナが円決済で資源を融通し続けてくれるのなら何も問題ないんじゃありませんか」


「麗華、よく見ている。いろいろ勉強してもらおうとお前に別宅を構えさせたのだが、正解だったみたいだな」


「フフフ。お父さま、お世辞はよしてください」


「ところで、うちの情報部門が掴んだ話なのだが、どうやらS国はアギラカナのいうのせいで自国領土と主張する例の島への補給が出来なくなったようだ。食料の補給も出来ないようなので守備隊を引き揚げなければ全滅の可能性もあるそうだ。しかし、今のあの国の政権では守備隊を撤退させる判断はできないだろうな」


「政権のために守備隊を見殺しにするということですか?」


「おそらくな。守備隊が全滅する前にはどのみち情報は洩れるだろうから今の政権はもたんだろうな」


「またロウソク民主主義ですか?」


「そうだな、ロウソクの先は昔のように軍事政権だろうな」


「お父さま、うちのシンクタンクはどう見てるんですか?」


「9割がた今言ったことが半年以内に起こると予想している。既にうちのグループはあの国から撤退を終えているからこれ以上の損失はない。どうせなら株のカラ売りで撤退にかかった費用をいくらか取り返したいところだがあの国では大掛かりなカラ売りが規制されているからな。

 通貨もマイナーすぎてシナリオが分かっていてもはした金しか儲からん。最初からお前の言っていたようにあの国に関わらなければよかったよ」


「お勉強代くらいで済んで良かったじゃありませんかお父さま。これからは集中と選択。つまらないことは忘れてこれからはアギラカナで大きく儲けていきましょう」


「そうだな。お前の言う通りだ。フフフ。ハハハハ」


「ホホホホ」


 仲の良い親娘おやこではあるが、はたから見ると、これではまるで悪代官と悪徳御用商人である。




【補足説明】

 アギラカナのいう対抗措置

 日本国が他国から攻撃(軍事的攻撃のみでなく攻撃と受け取れる行為全般)を受けた場合、アギラカナへの攻撃とみなし、アギラカナがで何らかの対抗措置をとるという全世界に対する宣言(アギラカナによる対日本国片務的へんむてき防衛宣言)に基づいた措置。

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