第7話 知らない天井だ


 一条が店から去った後、麗華が自宅へのお土産用に彼女が食べていたシャーベットを人数分買ってフルーツパーラーを出ると、店の前に迎えのリムジンが停まっていた。いつの間にか店の面した通りから違法駐車の車がいなくなっている。おそらく警察などにも顔の聞く代田しろたが手配したのだろう。


 車に乗り込むと、ゆっくりとリムジンが狭い通りを進んで行く。法蔵院グループ総帥の父親からの今回の宿題もいい成績で評価されることだろう。思わず麗華の口元からみがこぼれる。


 麗華が気持ちよく後ろの座席で父親への報告内容を思い浮かべてにこにこしていたところ、車が急に停まった。前方の路上で、四、五人のチンピラに高校生くらいに見える若い男が囲まれてうずくまっている。


「代田!」


「はい、お嬢さま」


 代田が大型車から降り立ち前方のチンピラたちの方に急ぐ。チンピラの一人がその気配で近づいて来る代田に気付き、若い男を足蹴あしげにしている仲間のチンピラに知らせた。


「ヤバそうなおっさんがこっちに来る」


 チンピラたちも代田がただものではないと感じたらしく、一斉に逃げ散っていった。


 チンピラたちにボコられて気を失ったらしい若い男は、顔が膨れ上がり手足にも擦り傷や切り傷がある。これでは内臓にも異常があるかもしれない。少なくとも検査は必要そうだ。若い男の腫れあがった顔をよく見ると代田には見覚えがあった。


「お嬢さま、この気絶している青年は、先日雨の中で校門で出会った白鳥学園の生徒です。いかがいたしましょうか?」


 今は車を降り、脇に立つ麗華に傷だらけの高校生の処遇しょぐうを聞く。


「彼でしたか。白鳥の生徒では放ってはおけないし、早く医者に見せたほうがよさそうね。うちに連れて帰りましょう」


 こうして、男子高校生は代田にお姫さまだっこされたままリムジンに乗せられ、彼女の屋敷に運びこまれた。代田に抱きかかえられた時、男子高校生は気絶から覚めるかと思われたが、彼にとっては幸いなことに、麗華の屋敷に運び込まれるまで気絶から覚めることはなかった。


 男子生徒の身元は、先日の代田の指示により既に調査済みで、名前は爺咲花太郎(やざきはなたろう)。白鳥学園1年B組。1年生ながら剣道部のホープ。家庭はかなり複雑なようで、今どき珍しい苦学生だが学費は1年分納入済みだった。今は実質一人暮らしをしており、剣道部の部活の後、毎日遅くまでバイトをしている。





 爺咲花太郎は自問する。


『チンピラと乱闘になって多勢に無勢で寄ってたかっての暴行を受けていたはずだが、自分は今ベッドの上に寝ている。病院に担ぎ込まれたのだろうか? 西日の差す窓の外は庭園のようだし、部屋の調度ちょうどを見るにどうもここは病院ではなさそうだ』


 バイト先に向かう途中、花太郎はチンピラに絡まれていた若い女性を見るに見かねて助けたまではいいが、その後チンピラが仲間を呼んで大立ち回りのすえボコられてしまった。


 うずくまったところを何度も蹴られて苦痛のため意識が遠のいて行く中で最後にチンピラとは違う誰かの声を聞いたような気がしたのだがはっきりとは思い出せない。今はベッドの上で下着姿で寝かされているのだが、体中のあちこちに絆創膏が貼られ、何個所か包帯も巻かれている。


「知らない天井だ」


 言って見たいセリフだが言ってしまうと一人でも赤面してしまう。花太郎のいるのは麗華の屋敷の離れにある8畳ほどの寝室だ。


 トントン、ドアがノックされ、中からの返事を待たずにドアが開かれた。


「起きてたようね。そりゃあ知らない天井でしょうとも」


 部屋に入って来たのはどこか見覚えのある若い女の人で、その口元が笑っている。バカなことを言うんじゃなかった。耳たぶが熱くなるのが自分でも分かる。恥ずかしー。だが言ってしまったものはどうしようもない。


爺咲花太郎やざきはなたろうくん、わたしの名前は法蔵院麗華。きみと同じ白鳥学園生徒、2年生よ。きみがチンピラにのされているところにたまたま通りかかったので、見るに見かねてうちに連れて来たの。お医者さまに見せたところ内臓には異常はないそうよ。良かったわね。顔や手足の傷も2、3日もあれば良くなるらしいわ。

 あなた、うらやましいほど頑丈なのね。痛み止めはもうすぐ切れると思うから少し我慢しなさいね。その方が直りが早いそうよ。包帯や絆創膏は明日まで取らないでね。それとうちでは脳の異常は検査できないからおかしなところがあるようなら自分で脳の検査に行くのよ」


 さらりとした長い黒髪を軽く横になで上げながら事情を説明する麗華。学園一の才媛さいえんかつ美少女。しかも、日本有数の財閥、法蔵院グループの次期総帥が内定していると言われている麗華だ。自分とは全く住む世界が違う人に助けてもらったことに戸惑うが、感謝はしている。

 長いまつ毛に切れ長の目、噂通りの美人な彼女を見上げる咲太郎、噂と違って法蔵院麗華は優しい人のようだ。


「法蔵院さん、ありがとうございます」


「下着姿でかしこまられて礼なんてされると笑っちゃうから。気にしないでいいのよ。ただのおせっかいだし、たいしたことじゃないもの。あなたのうちには連絡しようとしたのだけれど、連絡方法がなくて連絡できなかったそうよ。あなたの服に入っていた貴重品はそこのテーブルの上のトレイに置いてあるわ。残念だけど、あなたのスマホは壊れちゃってるみたい。簡単にだけど、あなたの着ていた服もつくろい終わったようだし、歩けるようになったら車で送ってあげるから、うちにいる使用人の誰かに言ってね」


 やはり、麗華とは全く住む世界が違うことを花太郎に実感させる彼女の言葉だった。




「お嬢さま、一人住まいの爺咲やざき君をうちに帰してよかったのですか? 彼はクラスメートの名前も覚えておられないお嬢さまが初めて名前を覚えた男子生徒ではありませんか」


 実際、麗華は入学以来誰一人としてちゃんと名前を覚えた生徒はいないのだ。本人によると限られた大脳のリソースを無駄な記憶に割きたくないということらしい。


「変わってる名前だから名前を憶えられただけよ。それに、彼をここに住まわせるわけにはいかないでしょう。あたりまえじゃない。それより、爺咲やざきくんのアルバイト先に連絡しておいてくれた?」


「はい、怪我けがで今日一日休むむね屋敷にもどってすぐに連絡しておきました。幸い先方はグループ会社の子会社でしたので問題は全くありません。ところで爺咲やざき君は今どき珍しい苦学生のようですが、法蔵院奨学財団から学費の援助をさせてはいかがですか」


「代田、それは違うでしょう。彼が自分で歩いていくための手助けならいいでしょうけど、金銭的な援助は失礼なことよ」


「お嬢さま、それを聞いて安心しました。やはり成長なさいましたな」


「代田も人を試すのね。まあいいわ。それと、うちの白鳥学園はアルバイト禁止だったわよね。代田なんとかならない?」


「白鳥学園の理事長に伝えて、生徒のアルバイトを解禁させるだけですが、次の理事会までは難しいと思います」


「それじゃあそうしておいて。理事会まであと1週間ぐらいでしょうから問題は起きないでしょ。

 それにしても彼の名前、字に書くと『花咲か爺さん』なのね。人の名前を笑うのは失礼だけど面白い名前。そうだ、今度爺咲やざきくんのところに桜の苗木でも送ってあげようかしら。きっと喜ばれるはず」


「お嬢さま、それはきっと嫌味いやみだととられますよ」


「あら、そうかしら。枯れた桜の木だったらさすがに嫌味だろうけど、ちゃんとした苗木よ」


「それでもです」


「それじゃあ、子犬ならどうかしら? ここ掘れ! って言ってくれたらうれしいでしょ」


「お嬢さま」


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