第3話
「ねえ、皆川くんはサークルとかに入るつもりはあるのー?」
友仁と菰野の二人は学校のカフェテリアで一緒に昼食をとっていた。食事のあとに他愛もない話をしているときに、ふいに尋ねられたのである。
「興味はあるんだけど、どんなサークルがいいのか全然わからなくて。大学に入ったんだし、何かをやろうとは思うんだけど、何をしていいのか、何がしたいのかよくわからないままなんだ。もう知ってると思うけど、僕、本当はビジネスとか詳しくないんだ。キャラづくりのためについついやってしまったけど……」友仁は惨めな気分になりながら質問に答える。
「この間の飲み会のことは気にしてないよ。真面目だなあ~。そうだ! 良かったら、私が入ってるサークルがあるんだけど、見にこない?」
「もうサークル入ってたんだ。どんなサークルなの?」
「うーん、一言でいうのは難しいけど、いいところなのは保証するからさー。今から部室に行くんだけど一緒にくる?」
「え、いいの?」「もちろん!」
友仁は菰野に連れられて、友仁はサークルの部室へとやってきた。部室は入学式で渡された学内地図によれば「クラブハウス」と呼ばれる 建物の中にあった。外観は周囲の校舎に比べて、随分キレイだった。菰野の話によれば半年前に建てかえがあったらしい。
ノックをして、菰野と友仁は部屋の中に入る。
部屋の中には、男が一人いてパソコンで何かの作業をしていた。
「おはようございます。
「ああ、菰野か。おはよ。 そっちの子は?」岩瀬とよばれた男は友仁を見ながら訪ねた。
「はっ、はじめまして! 僕は皆川友仁です! 菰野さんの友達です!」と友仁は気合十分で答えた。
「元気のある子だね! 僕は岩瀬だ」と言いながら名刺を差し出した。名刺には「ライフスタイルコーディネートサークル〈ピースマイル〉」という肩書と名前、あとは電話番号やメールアドレス等の情報が記載されていた。
「うちのサークルに興味あるのかい?」と岩瀬は友仁に尋ねる。
「はい、一応。菰野さんからこのサークルのことを聞いて。具体的にどんなところなんですか?」
「そうだね、我らがサークル『ピースマイル』の目的を簡単に説明するなら、活動を通じて人生と社会を豊かにすることといえる」
「人生と社会を豊かに?」友仁が聞き返す。
「そうだな、例えばの話なんだけど、最近、学生の就職難にまつわるニュースが多いのは君も知っているだろう」
「テレビとかでやってますよね。若者の就職難とか、やむを得ずブラック企業に入ってしまう問題とか」
「そうそう。ズバリ聞こう、皆川くん。なぜそのような問題が起こっていると思う?」
「そうですね……景気が悪いからとか?」友仁は何か答えないとカッコ悪いような気がしたのでを無い知恵を絞って答えた。岩瀬はそれを聞いて少し笑う。
「そのとおり。理由はたくさんあるけど、景気が悪いのも大きな一因だ。しかしながら、多くの学生達が苦しんでいる中でも着実に成功している人たちもいるよね。それはどうしてだかわかるかい?」
友仁は必死になって考えたが、〈大学デビュー〉の一件で頭がいっぱいの友仁には答えが出せようはずもなかった。
「それはね、意識の高さとスタートダッシュの速さ、何より行動しているかどうかの違いさ。海外じゃ学生時代から就職に向けて活動するのは当たり前の話なんだけど、日本の大学生の大半は貴重な学生時代を遊んで暮らして、就職活動の段になって後悔するんだ。だから、僕たちは、そうならないように今のうちからビジネスの現場に入り込んで勉強して、即戦力となれるように頑張っているんだ」
「そんなことができるんですか?」
「できるさ! 現に僕と菰野、それにピースマイルのメンバーたちはやっているよ。ここだけの話なんだけど、君には教えよう。僕はあるベンチャー企業のCEOとコネクションがあってね。それで、僕たちはその会社のビジネスに参加させてもらってるんだ!」
「ええ! すごいじゃないですか! 学生兼ビジネスマンということですね?」
「その通り! 君は飲み込みがいいね」岩瀬は拍手をした。
「……でも、学生をやりながらビジネスするって大変でしょうね」
「学業との両立も大丈夫さ。それに頑張り次第では最先端のプロジェクトに携われる可能性もある」
「なんだかすごいですね。でも僕みたいな奴がそんな大それたことをできるとは到底思えないです。だって、勉強はからっきし、顔がいいわけでもない。何よりも、僕は友達いないし、キャラづくりのためにウソをついたし……」
自分で言っておきながら、友仁はどんどん卑屈になってきた。自分なんかに生きてる価値はあるのか、ここに拳銃があったら迷いなく頭を打ち抜くだろうな、とまで考えだしたとき、菰野が机を思いっきり叩いた。
「皆川くん、そんなこと言ったらダメだよ! 皆川くんは立派だよ!」
「慰めてくれてありがとう。菰野さんはやさしいね」
「慰めなんかじゃない! 私、知ってるよ。皆川くんが自分を変えようと必死になって努力してるの。君は立派な人だよ、だから自分なんか、なんて言っちゃダメ!」
「でもダメなんだ! いくら努力したって無駄さ、これまでだって精一杯やってきた。でもさ、僕の努力なんて実らない。才能も運も僕にはないんだ」
友仁は不貞腐れて黙りこんだ。今すぐにでも泣き出しそうだったが、菰野の前では泣くまいと唇を噛んで必死に堪えた。
「〈宝くじは買わなきゃ当たらない〉って言葉知ってる?」菰野が言う。
友仁は黙って首を横に振る。
「皆川くんの気持ち、私にはよくわかるよ。前の飲み会のときに少しだけ話しかもしれないけど、昔は私も皆川くんと同じように苦しんでた。自分の内気でウジウジした性格と、太ってたのがコンプレックスで、自分なんかダメだって思ってた。」
菰野は話を続ける。
「高校のとき、すごく仲の良かった友達がいてね。その子がすごい子なの。みんなに虐められてたんだけど、それでも自分の生き方にすごく自信持ってて、その子と一緒にいると自分なんか大したことないなあ、って思わされちゃって。その子みたいになりたくて、色々頑張ったんだけど、何も変わらなくてさ。挫けそうになったとき、このサークルの人たちと知り合って、みんなと一緒に頑張るうちに、私、自分を好きになれた。明るい性格になって、身体もスリムになってさ。そう、自分を変えることができたの!」
菰野が息を整えてから、さらに続ける。
「だから、皆川くんも諦めないで! バッターボックスに立たなきゃホームランは打てないんだよ。例え、千回空振りしても、千一回目はもしかしたら打てるかもしれない。だから、今まで自分が頑張ってきたことを無駄にしちゃダメ! 」
友仁は顔をあげた。菰野が息を弾ませ顔を紅潮させている。
「でも、僕はウソをついた。自分がよく見られたいがためにね。こんなやつ幸せになる権利なんてない」
「それならウソをホントにしちゃえば良いんだよ! そうすれば誰も文句なんて言えない! 私、信じてるから! 皆川くんなら絶対にできるよ!」
友仁は心の底から感動していた。今まで他人にここまで優しい言葉をかけてもらった経験がなかったからだった。応援してくれる人がいるというのはこんなに素晴らしいのか、と思うと心の中に小さな光が差し込んできて、活力が湧いてきた。
「うおおおお!」
と、叫んで友仁は椅子から跳ね起きると「ありがとう、菰野さん。僕やってみるよ! もう諦めたりなんかしない!」と言った。
菰野は口を押さえて、涙を流している。
「そうだよ!君なら絶対できるさ!」岩瀬は友仁の手をとって嬉しそうに言った。
「そこでだ、皆川君、耳よりな情報があるんだ。今度、我々のプロジェクトの一貫として五月の連休に、一週間のビジネス研修合宿があるからおいでよ!」
「うわあ! それは参加したい、です……けどお金はかかるんですよね?」
「たしかに参加費はかかる。本当は五万円ね。でも友仁くん、君のように立ち上がり、運命を変えようとする人物を放っておくわけにはいかない、だから特別に安く行けるように計らうよ!」
「ええっ、いいんですか?」
「もちろんさ! この合宿にはさっき話した企業のトップの方がいらっしゃって、直々に特別セミナーをして下さるんだ! こんな話、なかなかないよ。君にやっと訪れたビッグチャンスさ! 君のようにこれから何かを始めようとする、いわば同志たちが集まるんだ。きっと友達もできると思うよ! こんな話、なかなかないよ。君にやっと訪れたビッグチャンスさ!」
「ぜひ、参加させてください!」
「そうこなくっちゃ。じゃあ、連絡先、教えてよ。詳細はまた連絡するから」
「よろしくお願いします! がんばります!」
「うん! そうそう、この話は他の人には内緒だよ。皆川くんだからこそ、この話を持ちかけたけど、こんな美味しい話を聞いたらみんな飛びついてくるからね」
「もちろん内緒にします! 不束者の僕ですが、よろしくお願いします!」友仁は一も二もなく即答した。
「歓迎するよ! これからはいつでも僕たちの部室に遊びに来たまえ!」
それからというもの、友仁は毎日、ピースマイルに入り浸って、菰野や岩瀬をはじめとしたメンバーたちと交流を深めていた。
話を聞けば、ピースマイルのメンバーたちは友仁と同じく、友達に恵まれなかった人達が多いようだった。共通の体験、とりわけ同じ苦難を味わった者同士がお互いに仲良くなるのは時間がかからなかった。
友仁が話せば仲間が笑い、仲間が話せば友仁が笑う。友仁の心は喜びに満ちていた。ついに僕にも人生の転機がやってきたのだ。今までの灰色の生活は、これから迎える輝かしい未来のための試練であったのかもしれない。そんな風にさえ思えた。
ビジネス合宿が翌日に迫った日のことだった。友仁がピースマイルの活動の帰りに学内を歩いていると、急に後ろから腰を強く蹴っ飛ばされた。あべえ、と声をあげて転ぶ。振り向くと、そこには険しい顔をした昴が立っていた。
「ちょっと話がある、喫煙所までついて来やがれ」
抵抗むなしく、腕をつかまれた友仁は、強引に喫煙所へ引っ張られていく。
相変わらず、喫煙所は日当たりが悪く、うらぶれた雰囲気が漂っていて、ピースマイルの部室を天国とするなら、ここは地獄のようだと友仁は思った。
「話って何だよ、僕は忙しいんだ」合宿が楽しみで気分がウキウキしていたところに水を差された友仁は、腹立たし気に昴に尋ねる。
「お前さん、近頃、菰野たちと随分仲がいいみてえじゃねえか」昴はコートのポケットからタバコを取り出して火をつける。
「少なくとも君よりはね」
「てめえがどうなろうが知ったこっちゃねえが、一応言っとく。菰野に関わるのはよせ」
「なんでだよ。あ、もしかして寂しいから妬いてるのか? なんだよ、仲良くしたいなら、正直にいえばいいのに」
「んな訳ねえだろ、頭がパーなのかテメエは。いいか、菰野のやつは怪しいんだよ」
昴が火のついたタバコで友仁を指す。
「怪しいだって? それを言うなら君のほうがよっぽど怪しいぞ」
「失敬な。この俺のどこが怪しいんだよ」
サークルの勧誘をしてくる女の子より、仮想パーティーでもないのに探偵みたいな恰好をしてる奴のほうを怪しいと感じるのは自然な感覚ではないだろうか、と友仁は思う。昴の怪しい部分を挙げ連ねてやろうかと思ったが、あまりに数が多くあきらめた。
「じゃあ聞くけど、菰野さんのどこが怪しいのさ」
「この間の飲み会の時だ。俺は菰野が店の廊下で電話しているのを偶然に立ち聞きしたんだ。その内容が胡散臭えったらありゃしねえ。やれ、準備ができただの、幹部がどうのってな。あいつ、やべえ奴らとつるんでるんじゃねえのか」
「それで、トイレから帰ってきたとき君の様子が変だったのか」
「それもそうだが、あの時は飲みすぎて、気持ち悪くなっちまって、ゲr……」
「わかったから言わんでよろしい。ていうか、懲りろよ。飲みすぎんな」汚い話をしやがって、と友仁は不快に思う。
「多分、その電話の内容だけど、菰野さんの入ってるサークルの話だよ。準備っていうのはサークルのイベントか何かの準備のことで、幹部っていうのはサークルの幹部のことでしょ。残念だけど、君が想像してるようなことじゃない」
「てめえは呑気だな。自分に危機が迫ってるってのによ」昴は灰皿でタバコを乱雑にもみ消す。
「だって、僕の話の辻褄が合うんだからしょうがないじゃん」友仁はわざとヘラヘラ笑いながら答えた。
「笑い事じゃねえよ。ともかく、菰野と関わるのはよせ!」昴が食って掛かる。
「君が菰野さんを疑ってるからそう思うんだろ。あんまり人を悪くいうなよ」友仁の一言に昴が黙り込んだ。その様を見て友仁はざまあみろ、言い負かしてやったぞ、と内心でガッツポーズをとる。
すると、昴が両手を挙げて、降参のようなポーズをとってからこう言った。
「そうだな、友仁。すまんかった。人を悪く言うのはよくないな。だって菰野はお前の好きな人だもんな」
友仁は思い寄らぬコメントに、ウッ、みたいな変な声が出た。
「前の飲み会の時から怪しいとは思ってたんだが、その通りか。菰野を視姦しまくってやがったもんな。話してるときの顔なんて、まるでエロビデオを選んでるおっさんの顔みてえにやらしかったぜ」昴が友仁のほうを見てニヤニヤしている。
「断じて違う! それに視姦とか言うなよ、人聞きの悪い!」友仁は思わず、声を荒げた。
「ムキになるとは〈その通りです〉と言ってるようなもんだろ」
昴は笑いながら、新たにタバコを取り出して、火をつけた。
友仁は言いくるめたはずの相手に、反撃を食らったのが悔しくて仕方なかった。
「いいか。僕の決心は固いぞ。お前に何を言われても、僕は菰野さんのサークルに入る。だから、邪魔しないでくれ!」
「頑固な奴だな。いいさ、勝手にしろよ。その代わり、どうなっても知らねえぞ。 てめえの泣きっ面を一服キメながら拝むとさせてもらおう」
「もういい! お前みたいなニコチン中毒者は肺が真っ黒になってくたばれ!」
全くもって不愉快な奴だ、と友仁はプリプリ怒りながら喫煙所を去った。
家に帰って、翌日のビジネス合宿の準備をしていた友仁のもとに菰野から着信があり、昴との喧嘩のしたことを話したところ「それって、嫉妬してるんだよ。だから話さないほうがいいって言ったのにー」と電話の向こうから菰野の尖った声が聞こえてきた。
「ごめん、君への誤解を解きたかったんだ」
電話で会話しているにもかかわらず、友仁は頭を下げながら謝る。
「まあ、私は気にしてないよ。それより、明日からのビジネス研修の合宿、頑張ってね~」
「もちろんさ! 必ずやり遂げて見せる」
「皆川くんみたいに頑張ってる人、私は好きだよ。それじゃあね~」友仁も菰野に、じゃあね、といって電話を切る。
……たしかに聞いたよな、僕みたいな人が好きだって? よーし、やるぞ! 頑張るぞ! 菰野さんのためにも!
友仁のテンションは絶頂に達して、無意味にベッドに飛び込んだりしているうちに、朝日が登りだしていた。
ピースマイルの「ビジネス研修合宿」の会場は山奥のペンションだった。道中のことはよく覚えていない。何せ、ちっとも眠っておらず、バスの中では大半眠っていたからである。だが、大勢に影響はない。目を覚ましたところで、山の中を走るバスの車窓から見えるものといえば森か、くたびれた材木置き場ぐらいであったからだ。
「やあ、良く来てくれた」
友仁がバスから降りたところで、会場に先回りした岩瀬と菰野が待っていた。二人が着用しているピースマイルのロゴマークの入ったジャケットを着ていた。尋ねたところによると、スタッフに支給される制服らしかった。
「今日が皆川君の人生の変わる日だよ。頑張ってね」菰野が友仁に微笑みかけて、友仁はデレデレと頭を掻いた。
友仁たち参加者一行は、ペンションの奥にある「メインホール」と呼ばれている部屋に向かった。演説をするような舞台と聴講席が何列も並んでいる部屋で、まるで大学の教室のようだった。すでに大勢の人が座っている。
部屋は独特の緊張感に満たされていた。もしかすると、ここにいる人たちも僕と同じように今の自分を変えたくてここに来たのではないか。だとすれば嬉しい。僕たちはすでに同じ苦しみを持つ仲間なんじゃないか、友仁はそんな風に思った。
友仁が席に着くと、横に座っていた同い年ぐらいの男子が話しかけてきた。自分と同じ参加者らしい。
「ねえ、今から始まる勉強会、楽しみだね。一緒に頑張ろう!」
彼は胸の前でガッツポーズをつくりながらそう言った。
「う、うん! 頑張ろうね!」友仁はぎこちなくガッツポーズを作って返した。
そうこうしているうちに、派手なスーツに、尖った革靴という出で立ちをしたツーブロックヘアの小奇麗な男が入ってきた。
「ようこそ皆さん、はじめまして! 私、この度のセミナーの特別講師を務めさせていただきます、株式会社トップデライトのCEO、
「名刺代わりに、今からこちらの映像をご覧いただきたい!」
泉は岩瀬と菰野に指示を出した。すると、部屋が暗転、スクリーンが降りてきた。
プロジェクターで映し出された画面には、荘厳な音楽とともにきらびやかな映像で社長の半生が映し出された。
高校時代は運動部でレギュラーとして活躍したのち、現役で超難関大学に合格し、卒業後にアメリカで企業、そして挫折、しかし一発逆転の大成長! 現在では名だたる一流企業の重役と親密な関係を築くまでに至った。手掛けるビジネスは現在進行系で拡大の一途をたどり続けている……。
映像の内容をまとめるとそのような内容であった。三時間に渡る長尺の作品であったが、友仁にとってはあっという間の出来事のように感ぜられた。
再び部屋が明るくなって、泉が語りだす。
「ご静聴いただきありがとうございます! それでは、早速、セミナーを始めていこうと思うのですが、最初に皆さんにお聞きしたいことがあります」
それから、泉はたっぷりと間を置いてから言った。
「皆さんに夢はありますか?」
会場が少しざわめく。泉はさらに続ける。
「私には夢があります。どんな夢か。それは、私の夢を実現する活動を通じ、社会に貢献することでした。そして、私はその夢を叶え、今もなお、その夢の果てを目指し、歩み続けているのです! さて、皆さん、世の中には〈じんざい〉という言葉がありますが、それは〈人〉に〈材料〉と書いた〈人材〉です。 しかし、私のいう〈じんざい〉は人という字に〈財産〉と書いて〈人財〉なのです。つまり、社会にとっての財産となるような人を育てるのです。私は会社を興し、そこで多数の優秀な〈人財〉を育てあげました。彼らは世界中でこの瞬間も活躍を続けています。このセミナーが完了する頃には必ずや皆さんも〈人財〉と呼ばれる人間に成長しているでしょう!」
泉が話し終えたとき、参加者とスタッフから再び万雷の拍手が起こった。友仁もただただ、泉の話に感激していた。
「さて、それでは早速、セミナーをはじめます。私が今日、この会場に来たとき非常に残念なことがありました。それは私が挨拶したにもかかわらず、皆さん、誰一人として挨拶を返してくれませんでしたね。そんな体たらくでは何をしても成功はしません。ビジネスパーソンにとって、挨拶はとても重要です。まずは、挨拶の練習からです。皆さん、立ってください」
それから泉はつま先は四十五度、背筋を伸ばし、少しアゴを引けなどと、細かく注文をつけた。
「では、始めましょう。私の後に続いて、復唱するように言ってください。おはようございます!」
「「「おはようございます!」」」
「まだまだ、声が小さいですよ!」
「「「おはようございます!」」」
「もっと声を出せるでしょう!」
「「「おはようございます!」」」
「いい加減にしろ!」
泉がパイプ椅子を蹴っ飛ばした。大きな音を立ててパイプ椅子が床に転がる。
「あなた方からはやる気が微塵も感じられない。だから今までの人生がうまくいかなかったんじゃないのか。本当にそんな体たらくでビジネスの世界を生き残れるとでも思っているのか!」
泉の怒声によって、場の空気が凍りついた。後ろの席のほうから、女性がすすり泣く声まで聞こえてきた。
友仁も泣きそうになっていた。
〈ひええ、想像していた百倍、いや千倍は厳しいぞ……。講師の人、怖すぎるよ、できるなら帰りたい、けど、そうしたら菰野さんに根性無しな奴だと思われるんだろうな、そうだな、もう少し、もう少し我慢するんだ、頑張るんだ、僕!〉
などと、友仁を歯を食いしばりながら自分で自分を励ましていた。その時、またまた後ろのほうの席から、ふざけんなよ! と怒鳴りながら、起立する人があった。
「うぜえ、なんだよ、このセミナー!」そう言い残した男の人は部屋を出ていく。
「私も帰ります」次は、女の子が泣きながら出ていった。彼女が先ほど、後ろのほうの席で泣いていた人かもしれないな、と友仁は推測する。
その後、幾人かが会場を出ていった。泉は険しい表情で退出していく人たちを睨みつけていた。
「もう、他にはいないか? やる気のない人は周囲の足を引っ張るのだから、この場には必要ないです」泉が重々しい口調で言う。
「そうすると、ここにはやる気のある者しかいない、と受け取っていいのですね?」
誰も反応しない。迂闊に「はい」とは言えない空気が漂っている。息苦しい沈黙。これからどうなってしまうのか、友仁には全く予想がつかなかった。
「はい、皆さん、おめでとうございます! あなた方は本当に素晴らしい。社会の『人財』になる資格のある方々です」
泉の表情は先ほどとはうって変わって、満遍の笑みである。声のトーンも穏やかになっていた。先ほどまでの泉が鬼であるとすれば、今の泉は慈愛に満ちた僧侶のようである。
「皆さんには少し怖い思いをさせてしまったかもしれません。先ほどは、皆さんの覚悟を少し試すために、一芝居打たせてもらったのです。私は今まで数々のセミナーを行ってきましたが、あなた方は歴代の参加者たちの中で随一、と言って良いです。途中で退出していった人たちのような、落伍者とは大違いです。彼らのようにすぐ物事から逃げ出してしまう人は、今後も不平不満や貧窮、絶望に満ちた人生を歩んでいくことになるでしょう」
泉の話を聞きながら、友仁は逃げ出さなくて本当に良かったと思っていた。
「では、皆さん。今一度、あいさつをしてみましょう。私の後に続いて復唱してください。おはようございます。」
「「「おはようございます!」」」
「実に、実に素晴らしい! 見違えるようですよ皆さん! やればできるじゃないですか!」泉は拍手をしながらそう言った。スタッフたちからも大きな拍手が上がった。友仁は込み上げてくる嬉しさのあまり泣いていた。泉がほめてくれたことによって、自分の灰色の過去が報われたような気がしたからだった。
その後、自分たちの夢についての話し合いがあったり、泉直伝の方法論についてのレクチャーがあったりした。友仁はその内容を一言一句書き漏らすものかと必死になって持ってきていたノートに書いた。
中でも友仁の印象に残ったプログラムは自分の夢について、お立ち台の上からスピーチをする、というものであった。友仁は〈友達をたくさん作って、恋人も欲しい〉と発表した。受け入れられなかったらどうしようと心配していたが、参加者たちから大きな拍手とともに〈頑張れ! 君なら行ける!〉〈いい顔してるよ!〉〈君の未来は明るいぞ!〉などの声援をもらえた。嬉しさのあまり、涙が出た。人に受け入れられる経験に乏しい友仁にとっては新鮮で強烈な感動であったのだ。
そして、時間はあっという間に過ぎていき、セミナーの一日目が終了する頃合いになった。
「皆さん、非常に向上心がお強い。そこで、この本をオススメします。読めば、明日からのセミナーの理解が、より深まるでしょう!」
泉が取り出したのは『人生成功のための三十の法則 ~ビジネスの神に愛された男の教え~』と題された本であった。
「この本は私の作り出した、他の本には載っていないような珠玉のノウハウが凝縮された本です。通常の書店では売っていません。一万五千円で販売いたします! 買うか買わないかは自分次第です。少し、お高いですからね。ですが、世の中で成功している方々は皆、自己投資を惜しまないものです。皆さんのような優秀な方々がこのチャンスを見逃すはずがないんですが」と続けた。
すると、買います!と次々に挙手、本は次々と売れていった。友仁は一瞬財布の中を気にしてやめておこうかと思った。しかし、泉社長のような立派な方が、チャンスを逃すなと言っているだから、と思い切って購入を決断した。
友仁はわざと人が引いてから本を買いに行った。自分の熱い思いを泉に直接伝えたかったからだ。緊張で声を震わせながら、友仁は言う。
「泉社長! 僕、感動しました! 最初は怖い人だと思ったんですが、それは情熱の裏返しだったんですね!」
「ありがとう! 君は参加している人の中でも非常に輝いていたから、私の思いがわかってくれると思っていたよ! これからも頑張って!」泉はガッチリと友仁の手を握る。
〈僕の人生はこれから始まるんだ!〉
友仁は天にも登る気分だった。今まで生きてきて、これほどまでに楽しいと思える瞬間はなかったと胸を張って言えるほどだった。
合宿の二日目、参加者一同は朝の五時に起こされた。素早く身支度をさせられ、広場に集められると、何故か工事に使うようなスコップが各自に手配された。
「今日行う研修は、ある一流企業で実際に行われていることです。やることは簡単、皆さんには先ほどお渡ししたスコップを使って地面に穴を掘っていただきます。なぜ、このようなことをするのかを申し上げましょう。それは〈穴を掘る〉という行為によって、逆境を乗り越えるための精神力を身につけられるからです。だから一流企業でも取り入れられている。これは数々の科学的な研究によっても効果が証明されています。また土に触れるのは人間の精神に良い影響を与えます。農家の人たちが元気なのもそれが理由でしょうね。では早速始めてください」
各自が散り散りになって穴を掘り始めた。友仁も例によって、穴を掘る。最初のうちはサクサクと掘り進められていたのだが、そのうち石だらけの硬い地面にぶち当たり、掘るペースが落ちてきた。少し、休憩しようと思い友仁は穴の中で座り込んだとき、泉の声が聞こえてきた。
「そうだ、言い忘れていましたが、研修には点数がつけられています。優秀な人には特別な褒美が用意されています」
話を聞いた友仁は、再びスコップを握った。泥にまみれながら、友仁は一心不乱にスコップを動かして地面を穿つ。額に流れる汗が目に染みて、顔をしかめる。靴の中には土が入り、汗を吸った服が肌に張り付き、爪の隙間も土で真っ黒になっていて、非常に不快な気分になっていた。それでも友仁は必死になって穴を掘り続ける。
もうすでに人ひとり分がすっぽり入るくらいまで穴を掘り続けたあたりで、一度休憩が挟まった。各自にトレーに乗った食事が提供された。友仁は中身を見て気づいたのだが、肉類が一切入っていないのである
「皆さん、食事の中身を見て驚かれたかもしれません。そうです、魚などを含めても肉類が入っていませんよね。これも研修の一環なのです。ある企業では会社で提供される食事から肉類を取り除いたところ、生産性が大幅に向上した事例がありました。この合宿での食事はその事例に則っています。しかし、それだけでは寂しいですよね。そこで、先ほど私が話していた成績に基づき、成績がトップになった人には特別な食事が提供されます」と言いながら、泉は平たくて大きなダンボールの箱を持ってきた。蓋を開けると食欲を刺激する香りが周囲に立ち込める。
「おめでとうございます。こちらはトップになった人のご褒美はピザです! では私の前で食べて感想をお願いします」と泉は促す。
「美味しい! お腹が減っていたのでより美味しいです!」
「でしょう。皆さんも頑張ってくださいね」
周囲から羨望のため息があがった。友仁は心底、羨ましく思っていた。体を動かしたためか食べごたえのある料理を体が欲していたのだが、自分は食べられない。泣く泣く、薄味でパサパサの食事をピザだと自分に言い聞かせて食事を終える。
「では午後からは、掘った穴を埋めていただきます。これは自分の行いを自分で清算する訓練になり、精神的に好ましい効果が……」友仁の腹が、きゅううう、と情けない音を立てた。
一日のプログラムが終了した頃には夜の十一時を回っていた。必死になって頑張ってみたが結局は一番にはなれず、疲れだけがどんどん蓄積していき、もうクタクタになっていた。
宿泊する部屋は個室ではなく、四人の共同部屋だったが、やはりこれも、カリキュラムの一環である。コミュニケーション能力の向上のために共同生活を行うことになっていたのだ。とはいえ、皆が疲労困憊であったので部屋は寝息が立つばかりで静かだった。携帯電話はカリキュラムに集中するため、という理由からスタッフたちに預けるルールになっていたので手元にはない。あっても弄る元気もないのが実情だった。
しかし、そんな状況下でも友仁は努力しようとする意志を捨ててはいなかった。重い体を引きずるようにベッドから身を起こした友仁は、トイレに向かう。そして、手洗い場にある鏡で、自分を見つめながらつぶやく。
「僕は一番になれる僕は一番になれる僕は一番になれる僕は一番になれる僕は一番になれる僕は一番になれる僕は一番になれる僕は一番になれる僕は一番になれる僕は一番になれる僕は一番になれる僕は一番になれる」
座学の時間に聞いた泉の話を、友仁は忠実に実行していた。いわく、鏡に向かって自分の実現したいことをつぶやき続けると自己イメージが高まり、目標に近づくことができるらしかった。
〈僕はまさに今、変わりつつある!〉鏡の中では友仁の目が、飢えた獣のような鋭さを帯びつつあった。
合宿は続いていく。毎日、朝日が昇る前に目覚め、日付が変わる頃に眠る。穴掘りの翌日は集団行動訓練であった。協調性を身につける、という目的のもと参加者全員で集団行進を行うことになった。ただ行進するだけではなく、泉考案の〈夢実現の十カ条〉なる文章を大声で唱和しながらである。泉の許可が出るまで休憩は許されず、終わる頃には声を出せる者はいなくなっていた。
他にも、合格するまで休むことが許されないペーパーテスト、そのまた翌日は山の中での瞑想……といった内容のプログラムが行われていた。
プログラムの途中で泣き出したりする者もいたが、その際にはピースマイルのスタッフが取り囲み、大声で「頑張れ!」「逃げたらそこであなたの人生は終わりだよ!」「辛いのは君だけじゃない!」などと叱咤激励して、動けなくなれば引きずってでもカリキュラムの続行に至らせた。一日の終わりには参加者の間で奇妙な達成感と結束が生まれ、皆で肩を抱き合って自分たちを称え合うなどした。
研修に使用するテキストは全額が自腹購入であり、持ち合わせのない者は代金代わりのセミナーの手伝いの契約を組むことになっていた。友仁は持ち合わせが無かったので契約を組んだ。用紙には大量の免責事項が書かれていたが、細かくて複雑な文章を読んで考えるほどの力を失っていた友仁は言われるがままに署名をした。
合宿も後半に差し掛かろうとする四日目の夜。喉の渇きを覚えて目を覚ました友仁は、水を飲みに行こうとして、他の人を起こさぬよう気をつけながら、共同の寝室を出た。電気の消された暗い館内を歩いていると、エントランスの闇の中でコソコソと動いている四人ほどの人影を見つけた。
友仁は何事かと思い、距離を縮めて様子をうかがった。
「いいか、今から鍵を開けるからここからは何があっても全力で走って逃げるんだぞ」
「わかった、それで街についたら助けを呼ぶんだね」
「そうだ、はっきり言ってこの集団は異常だ。いくら頼んでも帰らせてもらえないんだ」
「もしかして、カルト集団ってやつかな?」
「よし、行くぞ。準備はいいな?」
最初は泥棒などの類かもしれないと思っていた友仁だったが、彼らの会話を聞いて事情を察した。彼らは合宿からの「脱走者」だった。
その時「誰だ!」と声がエントランスに響き渡り、脱走者たちと友仁は懐中電灯のまぶしい光で照らされた。ピースマイルのジャケットを着た男が歩み寄ってくる。見回りをしていたスタッフのようだった。
「何やってるんだ、お前たち」男の顔には怒りの表情が浮かんでいた。
「やばい逃げろ!」脱走者たちが一斉に外へ逃げ出した。友仁はパニックになって、一緒に逃げ出してしまった。
「脱走者が出たぞ! みんな追ってくれ!」背後でスタッフの叫ぶ声が聞こえた。
とんでもないことに巻き込まれてしまった! と友仁は激しく後悔したが、もう取り返しはつかない。(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます