第2話

友仁は完全に寝不足であった。バーからの帰り道にひらめいたことを形にするべく悪戦苦闘していると、いつの間にか徹夜をしてしまっていたからである。重い体を引きずりながら、遅刻寸前で教室に入り、席につく。友仁が初めて大学で受ける授業は〈入門ゼミ〉という、専攻する学問の概要について学ぶ授業だった。大学の数ある授業のなかで唯一の、固定制かつ少人数で受講する特殊なスタイルの授業である。会場に使う教室は二十人くらいでいっぱいになるような小さい部屋だった。すでに後ろの席がほとんど埋まっており、友仁は必然的に空いていた前の席に座ることになった。

 始業のベルが鳴るのと同時に入ってきたのは、穏やかそうな白髪の老教授だった。

 先生はご入学おめでとうございます、と業務的に言ったあと、出席の確認も兼ねて、自己紹介をしてほしいと言った。それから、最初は誰にしましょうかねえ、とスーパーで買う商品を選ぶような調子で言いながら教室内を見回した。そして、友仁と先生の目が合った。

「では、君からお願いします」

 はい! と友仁は元気よく返事をして、立ち上がる。

「皆さん、はじめまして。皆川友仁です。趣味は読書です。読む本は特にビジネス関係ですね。海外移住とか投資とか経営とかマネジメントとかめっちゃ興味あります。好きな言葉は〈一度きりの人生、自分らしく生きる〉です。ネットマーケティングの研究のために各種SNSやってます。以上です。ご静聴ありがとうございました」

 友仁は席に付きながら、心の中でガッツポーズをした。

〈よし、原稿どおり言えた! 徹夜で考えた甲斐があったよ!〉

 バーからの帰り道、友仁は思った。友達を作るにはすごいやつのふりをすればよいのだ、と。昴に名前のことを尋ねられただけで怒りだしてしまったのは、自分に自信がなく不安だったからである。言い方を変えると「友仁って名前の癖に友仁がいないのかよ」と言われてしまったときに、何も言い返せなくて悲しい思いをするのが嫌だったのである。この「自信のなさ」こそが灰色の日々の根幹である、と思った友仁は、家に帰るなり、徹夜で〈自分をすごい奴だと周囲に思わせるためのウソ〉の作成と暗記をして朝を迎えたのである。

 先生や他の生徒たちの反応は薄かったのだが、友仁はそれにすら気づかないくらい悦に入っていて、表情は〈満足げ〉を通り越して〈ドヤ顔〉と化していた。

 教室のドアが開かれて、誰かが入ってきた。

「遅れてすみません……受講生の藤枝昴です」

 友仁は席から転げ落ちそうになった。あまりにも想定外な人物の登場に、パニックを起こしそうになる。

〈なんで昴がここに!?〉

 友仁考案の〈ウソをつく作戦〉は周囲にいるのが自分を知らない人間だけのときに成立するものであり、自分の真実を知っている昴がいるのはかなりの不都合だった。授業が終わってからキツく口止めをせねばなるまいと思いながら、現状は昴が余計なことを口にしないよう祈るしかできず、胃が溶けそうになりながら授業の終わりを待った。先ほどまでの〈ドヤ顔〉はすっかり〈デスマスク〉に変貌していた。

 終業のチャイムが鳴るとともに、友仁は即座に席を立ち、昴の首根っこを捕まえて教室の外へ連れ出す。そして、大きな校舎の影で薄暗く、うらぶれた雰囲気が漂っている場所までやってきた。

「なあ? なあ? 何も言ってないよな? 頼む、〈言ってない〉って言ってくれよ! お願いだから!」

 友仁は顔を真っ青にして、昴の肩を揺さぶりながら問い詰める。

「何の話だよ。そもそも質問してんのかお願いしてんのかどっちなんだ。つーか、揺さぶるのやめてくれ……」昴が真っ青な顔で懇願する。

「吐け! いいから、吐けよ!」

 昴はオロロロロロロ、と吐いた。

「汚っえ! 何吐いてんだこの人!」友仁はすんでのところで吐瀉物をかわしたあたりには異臭が漂っている。

「お前が吐け、つったんだろうが! 俺は揺さぶるのやめろって言ったろ、こちとら二日酔いでまだ気持ち悪いんだよ!」昴が口の端を汚したまま怒る。

「吐くものが違う!」

「そもそもだ……お前誰だよ?」 昴が口元をポケットから出したティッシュで拭いながら言う。

「昨日会ったところでしょ! もう忘れたんですか!」

「あ~。そういやなんか会ったような……。」

〈普通、昨日の出来事を忘れるか?〉

 友仁はイライラしてきた。

「思い出したぞ! そうだ、皆川友仁だ! 〈友人のいないユージン〉じゃねえか!」

「嫌な覚え方しないでください! それなら忘れられたほうがマシです!」

「それより、一体どうしたんだ、さっきの自己紹介は? 経営だかビジネス書だか何だか知らねえけどよ、お前にそんな趣味あったのか?」

 バッチリ聞かれてしまってるじゃん! 強行突破するかと思い、友仁は平静を装ってこう言った。

「そうです、ありますよ。言ってなかったですけどね」

「ほう、そうかい。じゃあ、みんなに言いふらして回るか。無理やりゲロ吐かされたしな」

「すみませんでした! 勘弁してください! お願いします! 何でもするんで!」友仁は土下座してまで懇願した。

「バラすの早えな! ったく、冗談だっつーのに……あ、じゃあ、言わない代わりに地面の掃除頼むわ」

「ありがとうございまーす!」友仁は掃除道具を借りに走った。そして、生涯のうちで他人の吐瀉物の掃除を引き受けて、相手に礼をいうことなんて何回あるだろうか、と思った。できればこれっきりにしてほしい、とも。

 

「ここタバコ吸っていいんですか?」

 借りてきた道具で地面を掃除しながら、友仁はベンチに腰掛けてタバコを吸っている昴に問う。

「喫煙所って書いてあるぞ。あと、敬語はいらん。俺のほうが歳上だけど、学年は一緒だしな」昴が、火のついたタバコで指し示した先には〈喫煙所〉と書いたボロボロの看板が立っている。

「……じゃあ、敬語使うのやめるよ。ところで、君は大学生だったのか?」

「なんだよ、文句あんのかよ」

「いや、そうじゃなくって。なんていうのか……意外だったんだよ。君はハードボイルドが好きで、そうなりたいんだよね? ハードボイルドと大学生ってなんか全く方向性が違う気がするんだけど、どんな理由で大学に入ったのさ?」友仁は先日、バーで交わした話を思い出しながら言った。

「ジャックは言ったぜ〈目に見えるものだけに騙されてると痛い目にあう〉ってな。俺にも色々事情があんだよ。ハードボイルドが好きだったら大学に入っちゃダメなのか?」

 キザなうえに、質問に対してまともに答えない昴を友仁は腹立たしく思う。

「そうとは言ってないよ。あ、もしかして、就職とか、将来を考えて? 真面目なんだね」二日酔いでも授業に出るのだから、昴という男は外見や嗜好に反して、根は真面目なのかもしれないと、友仁は推測する。

「就職とか、そんなんじゃねえよ。大体、就職のこと気にしてこの大学の文系に入る奴なんているのか? 頭悪いので有名のなのによ……」

 じゃあ何さ、と友仁が訪ねようとしたときだった。背後からおーい、と誰かが呼びかけてくるのが聞こえた。振り返ると、誰かが手を振りながら近づいてくる。

「よかったー、こんなところにいたんだ。探したよー。君たちってさっきの入門ゼミにいた人たちだよねー?」

 やってきたのはロングの茶髪、紺色のパーカーに、黒いスキニージーンズ姿の女子だった。

「そうだけど、あなたは誰?」友仁が答える。

菰野こもの利紗りさって言うのー。さっき同じ授業受けてたんだけど、覚えてないー?」

 語尾を所々で伸ばす癖のある彼女のことを友仁は全く覚えていなかった。先ほどは昴の件で精一杯であり、それどころではなかったのだ。昴も身に覚えがないようで、首を横に振っている。

「ごめん、緊張してて覚えてないんだ」友仁は本当とウソの間のような回答をした。

「えー、残念ー。でも私は君のこと覚えてるよ。ビジネスとかに関心あるって言ってた皆川君だよね?」

 友仁はギクッとしながら「え? うん!そうだよ!」と答える。昴が視界の端で笑いをこらえているのが見えて、友仁は悔しさでグギギ、と歯噛みする。

「それで何か用か? 菰野さんよ」と昴が言った。

「実は今日のゼミのメンバーで親睦会を開こう、って話になってねー。二人とも、授業が終わってすぐに教室から出て行ってしまったから聞いてなかったでしょー。だから君たちも参加するかどうかを聞こうと思って探してたの」

 友仁にとっては願ってもないチャンスだった。友人をつくるチャンスが到来したのだ。

「参加します! 皆川です!」

「オッケー。それから向こうの彼は?」と言って菰野は昴のほうに顔を向けた。

「こんなやつと一緒にってのは、気が乗らねえが、わざわざ探してくれていたからな。参加させてもらうとするよ」

 こんな奴、とは失礼な、と友仁は昴をにらみつける。

「ハハハ。面白いね。二人とも。じゃあ、詳細は追って伝えるから連絡先教えてよー」菰野はポケットから携帯を取り出す。そして友仁は菰野の手にボロボロになったミサンガが巻いてあるのを目にした。 

「そのミサンガ、大事にしてるんだね」

「そうなの。昔作ったんだー。切れたときに願いが叶うっていうからまだ外してないの」

 どれどれ、と昴がミサンガをのぞき込んで、「がっ!」と言ったきり黙り込んだ。

「どうした、昴?」昴のほうを見ると、真っ青な顔で固まっている。

「か、かかかか、カメムシ」

 昴の来ているコートの袖に五角形の茶色い虫が止まっている。虫はゆっくりと尻のほうを上げた姿勢をとった。そして、強烈な臭いが立ち込める。

「ぎゃああああああ!」昴は悲鳴をあげて彼方へと逃げ去った。友仁と菰野もドタバタと逃げ出す。

 現場から離れた場所に来て「大丈夫ー?」と菰野が心配そうに言った。

「なんとか……。そうだ、昴の連絡先聞いてないよね。飲み会の件は僕から昴に伝えときます」

「ありがと、お願いねー。……それはそうと、あの子は大丈夫かなー?」

「心配ありません。アイツはバカなんで、少なくとも死んだりはしてないと思います」

 菰野はそれならいいけど、と釈然としない感じで帰っていった。友仁も徹夜の疲れが一気に回ってきてフラフラしだしたので家に帰ることにした。昴の安否を少しだけ心配しながら。

 

 菰野に会った日から三日後、ゼミの親睦会が行われた。会場は大学の近所の安価がウリの全国チェーンの居酒屋だった。席は座敷で、掘りごたつ式のテーブルがある部屋だった。参加者は友仁と昴と菰野を合わせて十五人だった。ゼミは確か二十人ほどの生徒がいたから、ほとんどのゼミ生が参加していることになる。

 菰野は参加者が揃ったのを確認すると、こう言った。

「みんな、今日は集まってくれてありがとー。これから一年間よろしくね。今日はみんなで楽しく騒いで、いい思い出作ろうね! それじゃ、みんな飲み物は持ったー?」

 菰野は周囲に呼びかける。飲み物といっても、みんな未成年なのでソフトドリンクである。だが、昴だけはウイスキーの入ったグラスを掲げていた。友仁は「酒は頼むな、空気読めよ!」とたしなめてやろうかと思ったが、くだらない口論をするのは面倒だと思い、やめておいた。

「では、乾杯ー!」菰野の音頭で、親睦会が始まった。

 開宴から一時間が経過し、盛り上がりがピークに達したころには友仁はすっかり沈黙していた。

 始まってすぐは友仁もインターネットでため込んだ「飲み会でウケる人」の知識を総動員して、みんなの取り皿に料理を配ったり、飲み物の追加を聞いてみたり、などの活動に勤しんだ。狙いは人に話しかけるきっかけを作るためである。おかげで、なんとか同席している人たちに話しかけることはできたのだが、肝心の話がうまくいかなかった。友仁には面白い話の持ちネタなどなかったし、何もないところから話を広げる話術なんて尚更なかった。趣味の話をしようにも、無趣味とくれば話題が底を尽きるのはすぐだった。

 友仁がまごまごしているうちに、近くの人たちは友仁以外の人との会話に夢中になった。料理の取り分けや飲み物の注文もおのおのが好きにやるようになり、取り分け係もお役御免になった。

 そんなわけで、友仁は孤立、貝のように黙り込むしかなかった。バーで昴に名前のことを尋ねられた時と同じく、忌まわしき灰色の日々が蘇った。暗黒面に飲み込まれないために、みんなの様子を観察することに決めた。

 下座のほうでは、菰野が活躍していた。会話の中心になって盛り上げつつも、人に絶妙なタイミングで話を振り、控えめな人もすんなり話の輪に入れて、人同士をつないでいる。しかも、同時に料理の取り分けや飲み物の注文もこなしている。友仁は素直に感心した。自分の理想の人物像を体現していたからである。何とかして、菰野たちの会話に入りたかったが、移動するにしても、今の席からでは少し遠かった。それに、もし、会話に割り入って、場の空気を壊してしまうようなことがあれば菰野さんに迷惑をかけてしまうかもしれないと不安になってなかなか腰があげられなかった。

 友仁がそんな算段とも遠慮ともいえないことをしていると、テーブルの向かい側から、ギャハハハ、と笑い声が聞こえた。声の主は昴だった。黒いスーツに黒ネクタイという、喪服のような恰好をしている。昴がトレンチコートを脱いでいるところを見るのは初めてだったが〈どうせあれもジャックとか言う奴の影響だろうな〉と思って、別段に驚きはしなかった。一体、どれだけ酒を飲んだのか知らないが、すっかり顔を赤くして、隣の席の人と会話しながら馬鹿笑いしている。祭りの声に呼び寄せられた天照大御神あまてらすおおみかみのごとく、友仁は心の岩室から顔をのぞかせて昴の様子を探った。

「それでよぉ、どうして俺がウイスキーを愛してるかって? それはジャックが――」

「は、はぁ」

「俺が思うにジャックの魅力は――」

「そうなんですね、へぇ」

 なんだ、昴が一方的に絡んでいるだけじゃないか、と友仁はあきれ返った。これなら黙ってるほうがマシだな、と友仁は盗み聞きを中断する。

「おつかれさま、皆川くん。楽しんでるー?」

 いつの間にか隣に来ていた菰野が、友仁に声をかける。

「わ、菰野さん、おつかれさま」友仁はびっくりして、そう返事するのが精一杯だった。

「よかった、元気そうで。皆川くん、元気なさそうだから心配だったのー」

「そ、そうかな。そう見える?」友仁は自分の落ち込みが表に出ていたのを恥じると同時に、〈菰野が自分を見てくれていた〉という気持ちがせめぎ合って無性にドキドキしてきた。

「うん。もしかして、人見知りしちゃうタイプだったりするのー?」

「そう。なんか緊張しちゃうんだ」

 菰野が何かを探すようにあたりを見回してから「じゃあ、私と話そうよー」と言った。

「菰野さんは幹事だし、迷惑かけちゃマズイよ」

「いいのいいの。みんな楽しそうにしてるから。私が出る幕でもなさそうだしねー」

「じゃあ、お願いしても、いいですか。菰野さん」

「はい。今から、敬語は禁止。私たち同級生じゃん」

 そう言って、菰野は微笑みかける。友仁は顔が熱くなって、胸がきゅう、と締まるような感覚がした。苦しいのだけれど、心地良い。この感覚はもしかして。

〈一目ぼれってやつなのか!〉

 友仁の普段は冴えない脳みそが、とてつもない速さで回転して言葉を紡がせる。

「菰野さんはすごいよ。向こうの席で、みんなが盛り上がってた。人を喜ばせるのがとても上手なんだね」

「ありがとー。そういってくれると嬉しいよ」

「本当にすごいと思うんだ。――僕には人を喜ばせるなんて、到底できないや」

「皆川くん、そんなことないよ! 大丈夫だって! もっと自分に自信を持たなきゃダメだよー。私も昔は内気でウジウジした感じの子だったんだから」

「そうなの!? とてもそうは見えない!」友仁は少しオーバーに答えた。

「うん。でもある出来事がきっかけで、私、変われたんだ」

 何があったの、と僕が聞こうとしたとき、菰野の携帯が、けたたましい着信音をたてた。

「ごめん、電話に出てくるねー」と、言い残して足早に菰野は部屋の外へと出ていった。

 せっかく、菰野さんと話すいい機会だったのに! 会話を中断させた電話を友仁は恨めしく思う。

「残念だったねえ、童貞くんよぉ。愛しの幹事ちゃんは出ていっちゃったな」

 下卑た笑みを浮かべた昴が、タバコを片手に友仁の隣に座る。

「違う、何言ってるんだお前は!」友仁は童貞であったので、言い返すせずに、ただ唇を噛んだ。

「ほらほら。顔が真っ赤だぜ」昴はニタニタしながら、タバコで友仁を指しつつ、からかってきた。太い指に挟まれたタバコは錯覚で随分と細く見えた。

「僕はいたって平常だ! ていうか、赤いのはお前の顔のほうだろ! 人をとやかく言う前に、自分のツラ見てから言え!」

「わかったよ、童貞様のご用名とあらば仕方ねえな。トイレの鏡で自分のツラを拝んでくるとするか。もし、赤くなかったら、お前には罰ゲームをしてもらうか」

「やるわけないだろ。なんで僕が」

「ノリの悪い奴だな。これだから童貞は……」昴は手で〈やれやれ〉のポーズを取る。

「うるせえ。お前の方こそ、どうなんだよ」

「俺が童貞なわけあるか」と、あっさりと答えた昴は席を立った。

「バカな、証拠を見せい!」と、友仁は、なぜか時代劇の人物のような口調で言ったが、無視された。

 それにしても昴の奴め。あんなにハッキリと「童貞じゃない」と言い切るとは、まさか非童貞なのか。本当だったら僕はあいつにマウントを取られ続けるじゃないか。そんなの最悪だ! しかし、あんなやつに恋人がいて、あまつさえ大人な関係になっていたとは思いがたいぞ。なぜだ、なぜなんだ。あ、もしかすると、お酒に酔っていたからかもしれないな。お酒に酔うと記憶が曖昧になったり、気が大きくなる人がいるって保健体育の時間に習ったっけ、多分それだ! 

 友仁がくだらない物思いに耽っているうちに、昴が部屋に戻ってきた。しかし、表情が暗く、心ここにあらずといった様子だった。

「どうしたの? なんか元気ないけど」

 友仁がそう訪ねても、ああ、とか、ふむ、などど曖昧な返事を返すばかりで、いま一つ要領をえない。

 だが、突然「友仁、今から俺がやることを許せ。なぜならこれは約束した罰ゲームだからだ。俺の顔は赤くない」と神妙な顔で昴が言う。そして、スクッと立ち上がると、手でメガホンを作って叫ぶ。

「みんな聞けー! コイツ、皆川友仁はおまけに友達がいねえし童貞だー! 友達欲しさに自己紹介でウソをついてだぞー! ビジネスとか全く関心がねえし、SNSとかやってねーぞ! 重要なことだから繰り返す、コイツには友達がいないぞー!」

「狂ってんのかコイツ!」友仁が慌てて静止したが、時すでに遅し。部屋の空気がお通夜と化していた。

「違う、違うんです。コイツ、酔ってて!」部屋中の人間が友仁から目をそらしていて、菰野もいたたまれないような顔をしている。昴だけが一人、やりきった感のあふれる表情でタバコを吸っていた。

 そこに、店員がやってきて、座席の時間の終了を告げた。皆、逃げるように店の外へ出ていく。

 退出のドタバタのなかで、友仁は石像のように固まっていた。


 親睦会が〈色々な意味〉で終わったあと、友仁は昴の肩を担ぎながら夜道をへとへとになって歩いていた。

「本当は他の人にしようと思っていたんだけど、終電などの関係で家が歩いて帰れる距離にある君にしか頼めないの~。よりにもよって、の人選なんだけどお願いしてもいいかな?」

 菰野が昴の送迎を友仁に依頼してきたのだ。昴の行動によって面目を丸つぶしにされた友仁としては嫌で仕方なかったが、少しでも菰野にいい印象を与えたいと思って、承諾した。

 本当のところを言えば、友仁は怒り心頭で、今すぐに昴をボコボコにして夜道に置き去りにしてやりたいと思っていた。しかし、暴力は犯罪であるし、何より〈惚れてしまった女の子〉からの依頼だったので実行に移しはなかった。

 昴は酒臭いうえに喧しく、友仁は非常に難儀していた。住まいはどうやら大学の近所のアパートであり、昴はそこで一人暮らしをしているらしい。たったこれだけの情報を聞き出すのにも随分と苦労した。それも、家はどこだ、という友仁からの質問にも答えず『ジャック・ジョーンズの危険な夜』について熱弁し続けていたからである。

 やっとの思いで昴の住むアパートに着いて、昴を背負って階段をへとへと昇り、倒れこむようにして部屋に入った。スイッチを押して、明かりをつけたとき、友仁は、げえっ、と声を上げた。

 六畳一間の部屋の中は散らかり放題だった。段ボールがそこら中に山積しており、部屋の真ん中に鎮座するちゃぶ台の上には吸い殻が山盛りになった灰皿、百円ライター、マッチ、ビールの空き缶、コンビニ弁当の空き箱、大学のパンフレット、などが散乱していた。床に敷かれた布団も起きたときのままグシャグシャになっていて、その上にブルーの縞柄の寝間着が乱雑に脱ぎ捨てられていた。

 なんて汚い部屋なんだ、と、友仁はぼやきながら、布団の上に昴を寝かせると、すぐに窓を開けてタバコ臭い空気を入れ替え、床に落ちていたコンビニのビニール袋を片手に、空き缶、弁当殻、ティッシュなどの〈完全にゴミ〉と思しきモノを片付けた。

「おい、昴、起きてんのか」

 友仁がそう呼びかけると昴は「うーん、フラフラする。水くれ、水」と寝ぼけたような声で言った。

 友仁は台所に置いてあったマグカップに水を入れて持ってきた。

 昴は布団の上でだるそうに起き上がると、うつろな目で水を飲み、それからまた横になった。

「悪ぃけど、もう寝るわ、俺。送ってくれてありがとよ。やっぱお前、いい奴なんだな」

「勘違いすんな馬鹿野郎! 全ては菰野さんのためであって、お前なんか知らん! 僕はもう帰るからな。あと、部屋はちゃんと片づけとけ」

「うるへー」と、呂律の回らない口調でそう言うと、昴は寝息をたてはじめた。

 さあ帰ろう、と友仁が玄関に向かったとき、靴箱の上に写真が置いてあることに気が付いた。寄り添い合った二人の人物の笑顔がアップで写されている写真だった。

 片方は顔の傷から昴だとわかる。少し昔の写真のようで、このころの昴は髪を肩くらいまで伸ばしていたらしい。男のくせに髪なんか伸ばしてチャラチャラしやがってこのヤロウが、と、友仁は昔気質な怒りを覚えていたが、おそらく短髪でも難癖をつけていただろう。もう片方の太った女の子は知らない子だった。しかし、どこかで見覚えのあるような顔をしていた。友仁は誰かに似てるんだけど、と少し考えたが、関心はすぐに二人の関係へと逸れてしまった。

 一緒に写っている女の子と昴はどんな関係なのかを問い質そうとしたが、昴は、グオー、といびきを立てて眠りこけていた。

「まさか、昴のやつ、本当に童貞じゃなかったのか!? 写真の子は恋人で、すでによろしくやっちゃってたのか!?」友仁はショックを受けながら、昴の家を出ていく。

 あんな奴に恋人がいるなんて! 世の中の不公平さを呪う友仁の怒りは、春の夜空を焼き尽くさんばかりに燃え上がっていた。

 

 飲み会の翌日だった。友仁は例のうらぶれた喫煙所に昴を呼び出した。

「昴くん、昨晩は本当にありがとう! 僕は童貞で友人がいないということがみんなによく伝わったね! ウソは見事にバレました! ヤッター! そして僕の友達作りは無事失敗して〈華の大学生ライフ〉も閉幕ですね! こうして僕は、一生お友達ができないまま孤独のうちに一生を終えるのでした。めでたしめでたし……じゃねーよ! ふざけやがって、この野郎! どうしてあんなことを! 一体何のために!」

 友仁は非常に早口で、かつ大声でまくし立てた。二人きりの喫煙所に友仁の声が響き渡る。

「早口過ぎて聞き取れねーよ、頭痛えから勘弁してくれ」

 昴が耳をほじりながら、だるそうに言った。またしても二日酔い状態である。

「頭痛だと? 知るか! お前はあの冷ややかな飲み会の空気に気が付かなかったのか? おかげで僕の大学生活はもう終わりだ! 残りの四年間〈嘘つき童貞野郎〉のレッテルを貼られて、どこに行っても冷ややかな周囲の視線を向けられて、ずっとみじめに過ごすんだ……なにより、あれから菰野さんに連絡しても返事がかえってこないんだぞ! どうしてくれるんだ!」

 友仁は烈火のごとく怒っていたが、途中からは涙声になっていた。最終的には、わーん、と声を上げて泣いてしまった。

「大の男がピーピー泣くな!」昴が一喝する。

「男だって泣きたいときはあるさ!」友仁の涙は止まらない。

〈僕ってやつは、本当に不幸だ。大学に入ってまで、自分のやることなすこと、全部を邪魔される。僕はタニシにでもなったほうがいいんだ。押し黙って、田んぼでのんびり、スローライフ。あれ、でも、タニシって寄生虫に取り憑かれるんじゃなかったか。それは嫌だなあ……〉

 友仁が号泣しながら貝類への転生を思案していると、その様子を見かねたように昴が言った。

「――わかった、わかった! 俺が悪かったよ! お詫びと言っちゃなんだが、お前さんの『友達作り』に協力してやるよ」

「余計なお世話だ! 何もしなくていいから、金輪際、僕に関わるな!」

「関わるなって言うならそうするけどよ……ほんとにいいのか? 俺の見てる限りじゃ、お前に友達ができるのなんていつになるやらわからんぞ」

 友仁は言い返す事ができなかった。たしかに今後の作戦もアテも全く無いままであり、極めて勝率は低い。昴の言うことは的を射ていたのだ。

「昨日のことは謝る。本当にすまんかった。だから、モノは試しだと思って、俺に任せてくれ。お前に友達を作ってやる」

 昴は真剣な表情で僕にそう言った。

「ホントに大丈夫なんだろうな?」

「心配すんな!『友達作りの昴さん』と言えば俺のことよ!」

 じゃあ、昨日の飲み会で友達を作ってくれれば良かったじゃないか、と、友仁は腹立たしく思いつつも、昴のお詫びに乗っかろうと決めた。

 友仁は昴に連れられて大学の中庭にやってきた。時計塔の前にあるこの場所は学内で一番人通りが多く、賑やかな場所であった。

「お、あの女子に声かけてみるか」

「適当に決めてるんじゃないだろうな」と友仁が口を挟むと、「いいから見とけって」と、昴は自信満々の様子で答えた。その自信はどこから湧いてくるのだ、と友仁は昴の態度を疑問に思う。

 昴は大きく息を吸うと、通りすがりの女子生徒に呼び掛けた。

〈ヘイ! そこのキミ! 俺とお茶しない?〉

 声を掛けられた女子生徒は慌てて立ち去っていった。次はあの娘にしよう、と昴は間伐入れずに、別の女子に呼びかける。

〈ヤッホー! キミかわいいね! どこからきたの?〉

 この女子もあわてて逃げだした。

「もうやめろ!」友仁が怒鳴った。

「なんだよ、これからって時に」昴は頭を掻きながら迷惑そうに友仁を見た。

「僕は友達が欲しいとは言ったがナンパをしろとはいってない! お前に頼んだ僕がバカだった! 僕に許してもらうためにデマカセをいってたんだな! このウソつき!」

「ちがう! 今日はたまたまだ!」

「こんなやり方で友達ができるわけないだろ!」と、友仁は昴に突っかかる。

「うるせえ! 一人じゃマトモに声もかけられねえくせに! 大体、ウソついたり、細けえことでグチグチ言ってるから友達ができねえし童貞なんじゃねえのか? 俺のせいにしてんじゃねえ!」

「とんでもない奴だ! 謝罪するといっておいて、僕に逆ギレするなんて! どうしてお前みたいなやつに彼女がいるのか、僕には全くもって理解できないね!」

「彼女だと? 一体、何の話だよ!」

「今度はしらばっくれるつもりか! もういいよ! 金輪際、僕に関わるな! あと、童貞なのは関係ないだろ!」

 友仁はそう言い残して、昴を置き去り、中庭を立ち去った。

 

「はっはっは! 傑作だなそりゃ」友仁の話を聞いた忍の笑い声が店内に響く。

 近況報告が聞きたい、と忍に誘われて、友仁は因縁の始まりの店である「リトル・ロマンス」にやってきていた。万が一にでも昴に会いたくないからと、違う店にしようと提案したのだが、めぼしい店が他に無く、結局この店に落ち着いたのである。

「笑い事じゃないよ。ひどい目にあったんだから」友仁は先日の飲み会で昴が行った愚行を思い出して怒りに震えていた。

「落ち着けよ、友仁。大学なんて人が腐るほどいるんだ。少々ウソついたり、童貞だったりするやつなんてゴロゴロいるぜ。別に誰が傷ついたわけでもないんだから、気にすんなって」

「僕が言いたいのは、昴みたいなバカがいるのが問題だってことだよ!」

「俺は、昴ちゃんを面白い奴だと思うがな。さすが、俺の見込んだ奴だ」忍はタバコを咥えたまま腕を組んで誇らしげにしている。

「その〈見込んだ奴〉に、大事な甥っ子はえらい目に合わされてるの! あと、昴ちゃんって何さ?」

「最初にあった夜、二軒目のバーで俺は彼を昴ちゃん、と呼ぶことに決めたんだ。すっかり仲良くなったからな。連絡先も交換してちょいちょいやりとりしてんだよ」

「叔父さんは気楽でいいよ。巻き込まれる側は……」友仁は、はあー、と長いため息をつく。

「たしかにな。だが、たったそれだけの理由で昴ちゃんを悪い奴だと決めつけるのはどうかと思うぜ。何か事情があったのかしれないじゃないか」 

「事情ねえ。一体どんな事情があればあんなことをするんだか。ていうか、叔父さん、やけに昴の肩を持ちすぎじゃない?」友仁は忍を恨めしそうににらみつける。

「そんな怖い顔すんなって。広い心をもつことが良い友達を持つための秘訣だぜ。それにな、自分とは合わないだろうと思ってた奴が案外いい友達になったりするんだよな。俺にもそんな経験がある」

「その話、本当なの?」友仁は忍に疑わし気な視線を送った

「だから前にも言っただろ。俺がお前に嘘ついたことがあるかってな」

 そう言われると、友仁としても無いですとしか答えようがない。忍はグラスに入ったウイスキーを一口飲んでテーブルの上に置く。中の氷がカラン、と綺麗な音を立てる。

 何気なく、友仁が携帯を見ると、菰野からメールが入っていた。

 

〈友仁くん! 連絡遅くなっちゃってごめんね―。この間は飲み会に来てくれてありがとう。話もできて楽しかったね~。 最後のほうで、酔った藤枝くんが何か言ってみたいだけど、私は全く気にしてないよ。だから気にしちゃだめだぞー! P.S.良かったら、明日一緒に昼ご飯どうかな?〉

 

「やっっっっったあああああ!」友仁は飛び上がらんばかりに喜んだ。

「おわっ! どうした? 急にデカい声を出すな!」忍がビクっと体を震わせる。

「ごめんごめん。これ見てよ、おじさん! このあいだ行った親睦会の幹事の子から! すごく可愛い子でさ!」

 友仁は興奮しながら忍に携帯の画面を見せる。

「うおおお! やったじゃねえか友仁! 行け行け! お近づきになれってんだ、この野郎!」

 忍が友仁にヘッドロックをかけてじゃれつく。その光景を見ていた「リトル・ロマンス」のマスターは二人の席にそっと〈たまごボロロ♪〉を置いた。(続く)

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