第三章 ~『脱衣所のストーカー』~


「負けました!」


 格闘ゲームを始めてから百戦目の決着がつく。その結果、杉田に百連勝の記録が刻まれ、さすがの桜木も実力差を噛み締めるしかなかった。


「結局一度も勝てませんでしたね……さすがは喧嘩自慢の元不良さんです」

「完璧超人の桜木もゲームの腕では俺に劣るようだな」

「いつか絶対に勝ってみせます」

「精進することだな」


 ゲームで敗れたことが悔しいのか、桜木は頬を膨らませる。だが何か思うところでもあるのか、杉田をジッと見つめた。


「そういえば杉田くんはどうして不良になったのですか?」

「気になるか?」

「ならないと言えば嘘になります」

「実はな、俺は不良になんてなる気はなかったんだ。むしろ逆、理不尽と戦うヒーローになりたかったのさ」


 幼少の頃から世界には理不尽が溢れていると気づいていた。弱者は虐げられ、強者は栄える。そんな世の中を少しでも良くしたいというのが、始まりの感情だった。


「それがどうしてまた不良少年に?」

「正義ってなんだと思う?」

「う~ん、優しい事でしょうか?」

「子供の頃の俺は悪を殴るのが正義だと勘違いしていたんだよ。だから繁華街で屯している目につく悪人を成敗して回ったのさ。一人、また一人と喧嘩を繰り返すと、俺に従う舎弟が増えていった。そして気づくと町一番の不良少年になっていたのさ」


 矛盾するようだが、杉田にとって喧嘩とは正義の執行だった。だが世間はそう評価してくれない。正義のために戦ったのに、気づくと手の付けられない荒くれ者というレッテルを張られていた。


「おかげで親戚たちからは嫌われるし、教師からは鼻つまみモノだ。散々な人生だよ」

「ですが杉田くんのおかげで救われた人もいたのでしょ」

「まぁな……例えばほら、竹坊って覚えているか? 金髪ピアスの桜木に声をかけたやつ」

「もちろん覚えていますよ」

「あいつとの出会いもそうだ。悪党どもにリンチを受けているところを助けたのがキッカケだった」

「ふふふ、それでは竹坊さんはさぞかし杉田くんに感謝しているでしょうね」

「慕ってくれていたな。俺もあいつのことは親友だと思っていた」


 不良を止めてから会うことはなくなったが、どこかで元気にしていることを祈っていた。杉田の過去を聞いて満足したのか、桜木はゆっくりと立ち上がる。壁時計の時刻は夜の十一時を指していた。


「もう夜も遅いですし、お風呂に入ってきますね」

「浴室の場所は分かるのか?」

「はい。先ほど梅月先生に教えてもらいましたから……覗くのは駄目ですからね」

「覗くかッ!」

「ふふふ、冗談ですよ。杉田くんがそんなことをする人ではないと、信頼していますから」


 桜木は小悪魔のような笑みを残して部屋を後にする。一人残された杉田はベッドに横たわり、天井を見上げる。


「あいつとのゲームは楽しかったな……もし付き合えれば、こんな毎日になるのかな……いや、こんなことを考えていては駄目だな」


 もしもの話を否定するように首を横に振る。桜木には竹岡がいるのだから、恋人になれたらと夢想しても虚しさが残るだけだ。


「そうさ。俺には二次元がいるんだ。三次元の女なんか――」


 桜木の事を意識するのは止めようと寝返りを打つ。白い壁をジッと見つめていると、不意に女性の叫ぶ声が聞こえてきた。


「またかよ!」


 声の主を聞き間違えるはずもない。ベッドから起き上がると、桜木がいるはずの浴室へと急ぐ。


「桜木、三秒やる。まだ脱衣所で着替えていたら教えてくれ」


 もしストーカーが襲ってきたのなら躊躇っている場合ではないが、前回のように虫に驚いただけの可能性もある。


 心の中で三秒数えるが、桜木からの返事は返ってこない。覚悟を決めて、脱衣所の扉を開けるが桜木含め誰もいなかった。


 なら桜木は浴室の中にいるはずだと、樹脂パネルの扉に視線を向ける。半透過のパネルは扉を開けなくともシルエットから人影を判別できる。ふくよかな胸とキュっとしまった腰のくびれから、人影が桜木のモノだと分かる。


「桜木、無事か?」

「助けに来てくれたのですね…っ……こ、怖かったですが、これで一安心ですね……」

「何が起きたんだ?」

「実は……長身の人影が脱衣所に現れたんです」

「長身ってことは男か?」

「確証はありませんが、杉田くんよりも高い身長でしたので、おそらくは……」

「そんな大男がストーカーなのか……」


 ベールの脱げた正体不明のストーカーは、恐ろしい敵だと判明した。だが同時に大きな手掛かりを残していった。高い身長の持ち主となると容疑者は絞られるからだ。


「顔はもちろん見てないよな?」

「はい。シルエットだけです」

「身長以外に何か特徴はなかったか?」

「恐怖で気が動転していたこともあり、それ以外の特徴は記憶に残っていません」

「……ストーカーは浴室の扉を開けようとしなかったのか?」

「はい……正体を知られることを恐れたのでしょうか?」

「可能性は高いな」


 ストーカーは見知らぬ第三者よりも知人との関係から発展するケースが多い。正体を隠すような動きを加味すると、顔見知りである可能性は限りなく高い。


(桜木の知り合いで俺より高身長か……真っ先に思いつくのは藤沢だが、あいつはストーカーなんてするような奴じゃない)


 自分のことをクズだと自称しているが根は良い奴なのだ。友人としての信頼から犯人でないと断言できる。


(他に俺の知る範囲だと……竹岡が高身長だと聞いたな。それに桜木が振ったサッカー部の山本って先輩も俺より背が高い……だが容疑者を犯人だと断定する決定打がない)


 推理をするためには証拠集めが必要なのだ。身長だけではどんな名探偵でも犯人に辿り着くことはできない。


「稔、また何か起きたの?」


 梅月が脱衣所に顔を出す。状況を掴むために視線を巡らせると、得心したと、笑みを浮かべる。


「桜木さんの裸を覗くなんて、稔もエッチになったわね」

「してねぇよ!」

「ふふふ、冗談よ。何が起きたのか教えて頂戴?」

「実は……ストーカーが現れたんだ」


 梅月に起きた出来事をありのままに説明する。犯人は警備の厳重なマンションに忍び込む大胆さと、大きな体躯を備えていること、そして顔見知りの可能性が高いことを語ると、恐怖を誤魔化すようにゴクリと息を呑んだ。


「それで桜木さんは無事なの!?」

「はい。杉田くんが守ってくれましたから」

「へぇ~稔もやるじゃない」

「俺は何もしてないさ。ここに来た時には犯人はもう逃げた後だったからな」


 だがいつまた危険な目に合うか分からない。ならやるべきことは一つだ。


「家にまで侵入してくるんだ。もう冗談では済まされない。警察に通報しよう」

「駄目よ」

「しかしだな」

「ストーカーはおそらく学生よ。なら事情を聞かずに警察に突き出すような真似はできないわ」

「だが放置もできないだろう」

「そのために稔がいるんじゃない。それに桜木さんも警察に通報されると困るでしょ?」

「大きなトラブルになれば、両親にも情報が伝わりますからね」

「ぐっ……」


 被害者である桜木が通報を拒否している以上、できることは何もない。ふぅと息を吐いて、覚悟を決める。


「脱衣所の前で張り込んでいるから、桜木は安心して風呂に入ってくれ」


 自分にできることは脅威から桜木を守ることだけだと、脱衣所前の廊下に移動する。そんな彼の背中に桜木は声をかけた。


「さっきは助けに来てくれて、ありがとうございました。まるで絵本の中の王子様のようでしたよ♪」

「ま、まぁ、役に立てたならよかったよ」


 桜木に感謝されて、意図せず口元に笑みが浮かぶ。樹脂パネル越しに、シルエットの人影も微笑んだような気がした。

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