第三章 ~『桜木の寝言』~


 脱衣所前の廊下で護衛をしていた杉田は、桜木が出てくるのを待つ間、思考を巡らせていた。


(それにしてもストーカーはどうやって桜木の居場所を知ったんだろうな?)


 桜木のマンションに侵入されたならともかく、ここは梅月と杉田の住むマンションだ。


(尾行されたのか? 人の気配は感じなかったし、遠くから監視されていたのか?)


 盗撮写真も遠距離から望遠レンズで撮影されていた。今回も同じように遠くからシャッターチャンスを伺っていたのかもしれない。


(待てよ、これって犯人を絞る手がかりにならないか)


 遠距離からの撮影は魔法のようにどこからでも撮影できるわけではない。必ず撮影場所の確保が必要だ。


(校門前で桜木の泣き顔を盗撮した写真、アングルを考えると二階より上でないと無理だ。一年生は犯人から除外できるかもな)


 もちろん抜け穴はたくさんある。だが一年生が普段寄り付かない場所に行けば人目に付くし、わざわざリスクを犯してまで高い場所を選ぶ理由がない。


(竹岡は確か一年だよな……あいつが犯人候補から外れたと聞けば桜木は喜ぶかな?)


 疑問を浮かべるものの、すぐに頭を振って否定する。そもそも恋人をストーキングの犯人候補とみなすことがオカシイのだ。


 馬鹿げた発想だと自嘲する笑みを浮かべていると、脱衣所の扉が開かれる。湯上りで白い肌が紅潮している桜木が現れた。


「ボディガード、ご苦労様です」

「結局、ストーカーは現れなかったな」

「杉田くんが守ってくれていたおかげですね」


 感謝で微笑む桜木を部屋まで送っていく。彼の影に隠れるように歩く彼女は、気丈に見えても恐怖で怯えていた。


「客間に到着しちゃいましたね……」

「鍵をかけて寝ろよな」


 護衛としての自分の役目を果たしたと立ち去ろうとする。しかし桜木は彼の服の裾をちょこんと掴んで離そうとしなかった。


「あ、あの……一緒に寝てくれませんか?」

「はぁ?」

「や、やはり、駄目でしょうか……」

「駄目ではないけど……いいのか?」

「お願いします!」


 恋人がいる相手と一緒に寝ることに抵抗はあったが、桜木が手を震わせていることに気づき、首を縦に振る。


(何も浮気するわけじゃないんだ。桜木を守るために一緒に寝るだけだ)


 自分に言い聞かせるように心の中で都合の良い言い訳を口にする。案内されるがままに、客間へと足を踏み入れる。


「布団は一つしかないよな?」

「は、はい」

「なら俺は床で寝るよ」

「いけません! 風邪をひいちゃいます!」

「でも女の子を床に寝かせるのは男として許されないだろ」

「で、でしたら一緒の布団で寝ませんか?」


 精一杯の勇気を振り絞ったのか、桜木の喉は震えていた。その勇気を無下にすることはできない。


「忘れているかもしれないが、俺も男だぞ」

「杉田くんは寝込みを襲うような人ではありませんから」


 桜木は信頼を証明するように彼の手を引いて、二人で一緒に布団の中に入る。顔を横に向けると、彼女と視線が交差する。間近で見れば見るほど、整った顔をしていると意識させられた。


「なんだか恥ずかしいですね」

「ま、まぁな」


 息遣いの聞こえる距離はどうしても互いの存在を意識してしまう。風呂上りの石鹸の匂いが暗闇の中で存在感を強調していた。


「なぁ、桜木……って寝たのかよ」


 ストーカー騒ぎや急な引っ越しで疲れていたのか、布団に入ってから瞬く間に、寝息を立てながら目を閉じていた。


「俺も寝るか」


 顔を上へ向け、天井を見上げる。隣に美少女が寝ていることを除けば、何の変哲もない光景が広がっているだけだ。


 意識しないように注意して、眠りに付こうと目を閉じた。そんな時である。腕に柔らかな感触が伝わる。寝ぼけた彼女が彼の腕に抱きついてきたのである。


「ったく、俺を抱き枕とでも思っているのかよ」


 五感で感じる桜木の体温と匂いが強くなる。スヤスヤと眠っている彼女を起こすのは可哀そうだと抱き枕に徹するが、動かずにいると、より強く抱きしめてくるのだった。


「完璧超人の桜木も寝相だけは悪いんだな」


 寝言を漏らしながら眠る桜木。また彼女の知らなかった一面を知れたと何だか嬉しくなる。しかし続くように発せられた寝言で幸せな気分が台無しになる。


「……っ……好き……」


 きっと竹岡に向けられた言葉だと、悲しみで胸が痛くなる。辛いことは寝て忘れるに限ると、桜木を意識したままに、瞼を閉じるのだった。


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