第三章 ~『仮の恋人関係の復活』~


『視点変更:桜木サイド』


 杉田から部屋を追い出された桜木は客間へと戻っていた。自宅から持ってきた記念写真を鞄から取り出し、ジッと睨めっこしている。


「この写真のように杉田くんにはいつでも笑顔でいて欲しいです」


 動物園で撮影した写真には、桜木の隣に輝かしい笑みを浮かべる杉田が立っていた。この笑顔を守りたい。でなければ自分が身を引いた意味がなくなってしまう。


「恋人さんはどのような人なのでしょうか?」


 一方的に利用されて、純情を踏みにじられたと杉田は語っていた。悪い女に騙されているのかもしれない。だが屋上で抱き合っていた二人は、まるで家族のように親しげだったし、自分を捨ててまで選んだ女性が悪女だったとは認めたくない。


「桜木さん、ちょっといいかしら」

「梅月先生……」


 傷心の桜木は一人で悩みたい気分だったので、部屋に入れるのを断ろうとする。しかし梅月は彼女の返事を待ってくれなかった。


「駄目と言っても入るわよ。いいわね?」

「は、はい。入ってください!」

「なら失礼するわね」


 強引に扉を開けた梅月は、焦燥と驚愕を滲ませるように、額に汗を浮かべている。杉田の怒鳴り声を耳にして、何か起きたのだと心配で駆けつけてくれたのだと察する。


「杉田くんとの会話を聞いていたのですね?」

「あんなに大きい声だもの。聞く気がなくても聞こえるわ。それより何が起きたの?」

「……たいした話ではありませんよ。ただちょっと喧嘩をしてしまって。折角先生にアドバイスを頂いたのに……心配させてすいません」

「おかしいわね。私の読みでは稔は桜木さんに未練があるものとばかり……」

「もういいんです……私も杉田くんに未練なんてありませんから……」


 もちろん嘘であるが、杉田には恋人がいるのだから諦めるほかない。


「ふぅ、これは計画に変更が必要かしらね」

「計画?」

「こっちの話よ。それよりどうして喧嘩したの?」

「実は……杉田くんには恋人がいるようなのです」

「えええっ! 稔に恋人!?」

「はい。ですが杉田くんは恋人との関係が上手くいっていないようなのです。それで助言したのですが、その言葉が逆鱗に触れてしまったようで……」

「あ、あのね、桜木さん。あなたは勘違いしているわ。稔に恋人なんているはずがないもの」

「いえ、いますとも。私は確信していますから」


 抱き合っている光景まで目撃したのだ。誤解するはずがない。


「ふぅ、百歩譲って、稔に恋人がいたとしましょう。桜木さんは稔が別の人と幸せになってもいいの?」

「そ、それは……私に未練はありませんから……」

「でも稔に幸せにはなって欲しいのよね?」

「はい。杉田くんには色々とお世話になりましたから」

「なら桜木さんが協力してあげなさい」

「協力ですか……」

「稔が恋人と上手くいかない理由はなんだと思う?」

「オタク……だからでしょうか?」

「もっと根本的な問題よ。稔はね、女性との交際経験が足りていないのよ!」

「ですがその程度のことで……」

「大事な問題よ。経験がないから女性をエスコートできないし、揉めた時の解決方法も分からないの。特に高校生なんて多感な時期だから、ちょっとしたことで喧嘩になるわ。素人に爆弾処理をさせているようなものよ」

「つまり恋愛経験さえ積ませてあげれば、彼の抱える問題が解決すると?」

「おそらくね。そしてそのためにはあなたの協力が必要よ」

「まさか……仮の恋人関係ですか?」

「前回は作品の参考資料として、今回は稔が幸せになるために。協力してくれないかしら?」


 喉から手が出るほどに魅力的な提案だった。再び彼との甘い恋人生活を楽しめるなら、どれほどに幸せだろうか。だが素直に首を縦に振るわけにはいかない。


「仮とはいえ恋人関係になれば、要らぬ誤解を与えるかもしれません」

「心配しすぎよ。仮の関係でしかないのだから、一緒に遊びに行ったりするだけでしょ。そんなの普通の女友達とでもするわよ。ましてや最近の進んだ高校生なら友人同士でキスも珍しくないわ」

「キ、キス! だ、駄目です。そんな不埒な真似できません!」

「何も桜木さんにキスしろと言ってないわ。以前していた仮交際を再開してくれればいいのよ」

「ですが……」

「それに誤解を与える心配をしているようだけど、このまま手助けしないで放置していると、破局する未来が訪れるだけよ。だから、ね、お願い! 稔を助けてあげて!」


 梅月は手を合わせて、小さく頭を下げる。彼女の言い分には説得力がある。杉田と恋人の仲は、彼の口ぶりから察するに破綻寸前だと伺える。救いの手を差し伸べなければ、二人は別れてしまうだろう。


「仕方ありませんね。杉田くんのためですから。仮の恋人関係になりましょう」

「桜木さん……ありがとう♪」

「その代わり、もし恋人さんに誤解されたら、先生も協力して弁明してくださいね」

「もちろんよ。その時は任せておきなさい」


 浮気を疑われても教師の梅月の証言があれば最悪の事態を避けることはできる。


(まったく、私は馬鹿な女ですね。好きな人が別の女性と幸せになるのを応援するなんて……)


 自嘲の笑みを零して、桜木はドアノブに手をかける。


「私、杉田くんと会ってきます」

「さっき喧嘩したばっかりでしょ。時間を置いたほうがよくないかしら?」

「善は急げといいますし、それに……杉田くんは話せば分かってくれる人ですから」


 客間を飛び出した桜木は杉田の自室へと向かう。扉の前まで辿り着き、ノックしようと手を振り上げるが、叩くことを思いとどまる。


(扉の前から話したいとお願いしても拒絶されるのがオチですね)


 許可を得ずに飛び込んでしまおうと覚悟を決めて、桜木はノックもせずに扉を開く。


「私決めたんです。あなたの――」

「さ、桜木ッ」


 扉の先では闖入者の登場に杉田が驚愕していた。同時に桜木も驚きで声をあげる。彼の服装はズボンこそ履いていたものの、上半身が裸だったからだ。傍に脱ぎ捨てた制服が置いてあったため、着替え中なのだと察する。


「ご、ごめんなさい」

「き、気にするな。俺もやったからお互い様だ」


 慣れた手つきで着替えを終えた杉田は、桜木に鋭い眼光を向ける。視線には怒りが含まれていた。


「やっぱり裸を見られたことを怒って……」

「それは怒ってない! 俺はさっき部屋から出て行けと伝えただろ。それなのに忠告を無視して部屋にやってきたことを怒っているんだ」

「ですが……どうしても杉田くんと会いたくて……」

「…………」

「駄目……ですか?」

「――――ッ」


 上目遣いで問うと、杉田は気恥ずかしそうに頭を掻く。


「クソッ、俺も甘いな……いいさ。許してやるよ」

「杉田くんのそういう優しいところが好きですよ♪」

「お世辞はいいから。何か用事があったんだろ。聞かせてくれよ」

「実は……」


 桜木はありのままを伝えることに躊躇する。杉田に恋愛経験を積ませるために仮の恋人関係を再開してほしいと願えば、彼の性格からすると余計なお世話だと断られるのがオチだ。


 別の理由がないかと頭を巡らせ、タイミング良く、問題を抱えていることを思い出す。


「実は……ストーカー対策を思いついたんです。ですがその方法には杉田くんの協力が必要不可欠なのです」

「俺の協力?」

「また……仮の恋人関係を再開してくれませんか?」


 恐る恐る願い出ると、杉田の眉間に皺が寄せられ、般若のような恐ろしい顔へと変わる。


「ひぃ、ご、ごめんなさい」

「悪い。怖がらせた……ただ俺の怒る理由も分かってくれ……桜木の提案はあまりにも最低だ」


 最低だとする杉田の言い分は正しい。彼には立派に愛し合う恋人がいるのだ。それにも関わらず仮の恋人関係を提案されたのだから不誠実だと怒るのも無理はない。


「ふぅ、最低は言い過ぎた。確かに恋人はストーカー対策に有効だ。だがなぜ俺なんだ? もっと適任な奴がいるだろ」

「杉田くん以上に適任な人なんていません」

「だが……そうか、あいつとは喧嘩中だったな」


 いったい誰のことを言っているのだろうか。桜木は候補者を思い浮かべるが、杉田一筋で生きてきた彼女に頼れる男性はいない。喧嘩している相手なら、百人以上の告白を断ってきたために心当たりがなくはないが、とても仮の恋人関係を提案できるような仲ではない。


「頼れる相手がいなくて困っているんだな?」

「は、はい」

「もし俺と恋人だと誤解されても文句言うなよ」

「杉田くん!」

「仮の恋人関係、復活してやるよ」


 渋々ながらも杉田から同意の言葉を引き出す。喜びを抑えきれずに、口元には小さな笑みが浮かぶのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る