第三章 ~『はじめての同棲生活』~


 豪邸を後にした杉田たちが自宅に辿り着いた頃には夜の帳が落ちていた。タワーマンションのエレベーターに乗り込んだ二人は、暗闇で輝く街並みの夜景を眺めていた。


「随分と立派なマンションにお住まいですね」

「豪邸に住んでいる、お前がそれを言うのか……」


 エレベーターが最上階に辿り着き、赤絨毯の廊下を進む。部屋の前まで辿り着くと、桜木は大きく呼吸する。


「いきなり深呼吸したりして、どうしたんだよ」

「これから杉田くんのお家にお邪魔するのかと思うと、緊張してしまって」

「随分と可愛らしい反応だな」

「し、仕方ないでしょう。なにせ男性のお宅にお邪魔するのは初めての経験なのですから」

「え、初めてなのか?」

「当たり前です!」

「そ、そうか……初めてか……」


 竹岡の家に行ったことがないのであれば、二人の関係はあまり進展していないのかもしれない。理性では彼女の幸せを願いながらも、心の底に眠っている未練が彼の口角を釣り上げてしまう。


「心の準備ができました。行きましょうか」

「ああ」


 覚悟を決めた桜木と共に自宅の扉を開けると、待ち構えていたかのようにクラッカーが鳴らされる。犯人はすぐに判明する。玄関で待機していた梅月の仕業だった。


「我が家へようこそ、桜木さん♪」

「大袈裟な歓迎だな」

「学園一の美少女が我が家に来てくれたのよ。これでも足りないくらいよ。ささ、中に入って頂戴♪」

「お邪魔します」


 派手な歓迎が桜木の緊張と遠慮を解いたのか、いつもの調子を取り戻す。梅月に先導されて、廊下の突き当りにある客間へと案内される。


 純和風の客間には畳の匂いが満ち、木彫りの机と箪笥が風情を演出していた。住むために必要最低限の家具は揃えられており、暮らすのに不自由することはなさそうである。


「ここが桜木さんの部屋よ。トイレや浴室は後で案内するわね。自分の家だと思って、寛いで頂戴。持ってきた荷物の整理が大変そうなら手伝うから遠慮しないでね♪」

「お心遣いありがとうございます。たくさんの荷物ではありませんから。お気持ちだけ受け取っておきます」

「私は夕飯を作らないといけないから。助けが必要ならいつでも呼んでね」


 梅月が客間を後にしたことで、二人だけが残される。緊張で背中に冷たい汗が流れた。


「俺の手伝いもいらないよな?」

「はい。片づける荷物には下着も含まれていますから」

「そ、そうか……」

「変な想像をしたら怒りますよ」

「お、俺は硬派だぞ。そんなことするかよ」

「でも教室でエッチなラノベを読んでいるではありませんか」

「あれは二次元だからオッケーなの」

「ふふふ、杉田くんの硬派の基準は面白いですね」


 クスクスと笑う桜木。楽しそうに笑う彼女を見ているだけで、こちらの口元にも自然と笑みが浮かんでしまう。


「邪魔しちゃ悪いし、俺は部屋に戻るよ。また後でな」

「はい。また後でお話しましょう♪」

「お、おう」


 名残惜しげに客間を後にして、自室に戻ると、待ち構えるように梅月がベッドに腰かけていた。


「おかえりなさい、桜木さんとのお話はもういいの?」

「ツキちゃん……夕飯の準備はいいのかよ?」

「ご飯が炊き終わるのを待っている最中だからいいのよ。それよりも感想を聞かせて頂戴」

「感想?」

「とぼけないでよ。桜木さんと一緒に暮らせて嬉しいでしょ?」

「――――ッ」

「図星ね。もしかして復讐は必要なくなった?」

「……いいや、復讐はするさ。そして俺の価値を認めさせてやるんだ」


 桜木を超えるラノベ作家になることで、存在価値を再認識させ、自分を捨てたことを後悔させてみせる。この誓いは変わらないし、夢を諦めることもない。


「稔はもう少し素直になるべきね」

「俺は十分に素直だと思うが……」

「稔が素直ねぇ……」

「なんだよ?」

「別にぃ~、何でもないわ」


 何か思うところがあるのか、梅月はニヤニヤと笑みを浮かべている。納得できないと追求しようとした瞬間、遠くから叫び声が届いた。


「今の叫び声、桜木さんよね」

「まさかストーカーが!」


 自室を飛び出した杉田は、桜木を助けなければとの一心で、客間へと駆けつける。緊急事態のため遠慮はしていられないと、勢い良く扉を開いた。


「桜木、無事かっ!」

「す、杉田くんッ!」

「あ、あれ……」


 扉の先にはストーカーの影はなく、ただ一人桜木が着替えをしている最中だった。白磁の肌に映えるような黒の下着姿は蠱惑的な魅力を放っている。


 やってしまったと、咄嗟に視線を逸らす。桜木も恥じらいで耳まで赤くなっていた。


「す、すまん。まさか着替え中とは!」

「い、いえ、わざとではないことくらい分かりますから……特別に許してあげます」

「そ、そうか……それにしても随分と大胆な下着をしているんだな……」

「~~~~ッ」

「悪かった。つい本音が……」

「ご、誤解しないでください。これは杉田くんの家にお泊りするから、そのための勝負用と申しますか……と、とにかく普段はこんな派手な下着ではありませんから!」


 視線を逸らしているため直接は見えないが、服を着る際の衣擦れ音に心臓が高鳴る。


「もう見ても大丈夫ですよ」


 視線を上にあげると、白のブラウスと赤のフレアスカートの私服姿に着替えていた。普段の制服姿とは違った雰囲気にドキリとさせられる。


「もしかして私の私服姿に見惚れちゃいましたか?」

「そ、それは……どうでもいいだろ。それよりも、どうして叫び声をあげたんだ?」

「実はクモさんを見つけてしまって。私の声にビックリしたのか、どこかへ行ってしまいましたが」

「ただの虫かよ。ストーカーだと心配した俺が馬鹿みたいだ」

「ふふふ、私のこと心配だったんですか?」

「そりゃ、守ってやると約束したからな」

「やっぱり杉田くんは優しい人ですね♪」

「――――ッ」


 優しいと褒められただけなのに顔が赤くなってしまう。そのことを悟られないように視線を桜木から逸らすと、タイミングよく、梅月が扉を開いた。


「桜木さん、大丈夫? もしかして虫でもいたのかしら?」

「ご明察です」

「それで稔が虫を退治したの?」

「いえ、私が叫んだ時にはもう逃げ出していました」

「あら、そうなの? 稔の大きな声が聞こえてきたから、てっきりラノベ主人公のように果敢に戦ったのかと思ったわ」

「確かに、ある意味ではラノベ主人公でしたね……」

「ある意味?」

「ツキちゃん、それ以上は聞かないでくれ」


 同級生の下着姿を覗いてしまったと従姉に知られるのはさすがに恥ずかしい。


「でもこの虫騒動は稔にとってラッキーだったわね……桜木さんとの距離が近づいたでしょ?」

「変な詮索はよしてくれ」

「詮索なんて酷い言いがかりね。私はただ……二人がまるで恋人のようだと思っただけよ」

「ツキちゃんは変な誤解をしているようだから、この際はっきり言っておくよ……俺と桜木が恋人になることはありえないから」

「――――ッ」


 桜木には竹岡という立派な恋人がいるのだ。変に希望を抱いても、待っているのは失恋の苦しみだけだ。


「杉田くんは私と恋人に間違えられると迷惑ですか?」


 桜木は瞳を涙で濡らし、上目遣いで訊ねる。


(桜木は俺のことが嫌いなはずだよな……ならこの質問はどういう意図だ?)


 桜木の表情から真意を探ろうとするも、その心を掴み取ることはできない。


(もしかして桜木は男としての俺を嫌悪していても、友達としては一緒にいたいと思っているのか?)


 『完璧超人桜ちゃんの恋』で杉田は気持ちの悪いオタクとして描かれていた。あれは恋人として諦めて欲しいというメッセージだけが込められており、友情まで捨てたいとは考えていなかったのかもしれない。


(だけど俺の存在が竹岡に要らぬ誤解を与えるかもしれない。桜木の幸せを願うなら、心を鬼にして、はっきり言うべきだ)


「桜木と恋人に間違えられるのは……迷惑だッ!」

「や、やっぱり、そうですよね……っ……えへへ、知っていたことなのに、改めて聞かされるとショックですね……ッ」

「さ、桜木……」


 この場にいては情に流されそうになる。竹岡との幸せを成就させるために、一人客間を飛び出して自室へと戻る。誰もいない部屋で椅子に腰かけると、頭を抱えて、天井を見上げる。蛍光灯の光が瞳に熱を持たせた。


「心が痛ええっ!」


 桜木の幸せのためとはいえ、酷いことをしたと罪悪感がチクリと刺さる。何か気を紛らわせる方法はないかと視線を巡らせ、パソコンに目が合う。


「辛い時こそ執筆だな」


 現実から逃げるように文章編集ソフトを立ち上げる。しかし執筆中の作品はラブコメシーンに突入したところで止まっている。罪悪感で苦い感情に包まれている彼では、甘々の恋愛描写を書くことができなかった。


「書きたいのに書けないのがこんなにも辛いだなんてな」


 意欲はあるのに動かない手に歯痒さを感じてしまう。キーボードの前で指が宙に浮き、静かな時間だけが流れる。


 パソコンの駆動音だけが鳴る世界。だからこそ部屋の扉を叩くノック音はいつもより強く響いた。梅月が訪ねてきたのかと、扉へ注意を向けると、予想外の人物の声が聞こえてきた。


「私です。杉田くん、中にいますよね」

「桜木ッ」

「中に失礼してもよろしいですか?」

「構わないが……」

「では失礼しますね」


 扉を開けて部屋に足を踏み入れた桜木は、キョロキョロと興味深げに視線を巡らせた。


「ここが杉田くんの部屋ですか?」

「本棚にいっぱいのラノベで引いたか?」

「いえいえ、私の部屋にもたくさんありますから。うん。私は好きな部屋です」


 桜木は躊躇うことなく、ベッドに腰掛けると、枕元に置かれている写真を手に取る。


「この写真、私と一緒に動物園へ遊びに行ったときに撮影したモノですね。あなたの家にもあるではないですか?」

「そ、それは、その……」

「さっきは私と恋人に間違えられて迷惑だと言っていましたが、もしかして照れ隠しなのではないですか?」

「~~~~ッ」

「何も言い返さないということは図星ですね?」

「そ、そんなことあるかよ。俺は桜木のことなんか……いや、そんなことより、さっきまで泣きそうな顔をしていたくせに、随分元気になったな。何かあったのか?」

「梅月先生に慰めてもらったんです」

「ツキちゃんに!?」


 いったいどう慰めれば、こんなにも元気が回復するというのか。詳しく聞きたいが、墓穴を掘りそうな予感を覚えたので、訊ねることができなかった。


「ふふふ、それにしても動物園は楽しかったですね♪」

「パンダが可愛かったよな」

「そういえば、私のことも可愛いと言った人がいましたよね」

「あ、あれは気の迷いだ」

「へぇ~、気の迷いですか」

「そうだとも。それに言い返させてもらうが、誰かさんは俺の手を握ってきただろ。あれこそ俺のことが好きだからじゃないのか?」

「あ、あれも気の迷いですッ」


 桜木は強がってみせるものの、恥ずかしさで頬が赤くなっていた。初々しい反応に口にした杉田まで気まずさを覚える。場の雰囲気を変えるために別の話題を探す。


「そういえばさ、『完璧超人桜ちゃんの恋』の特別編シナリオはどうするんだ?」

「同棲する話にしようと思います」

「まさか俺との実体験をモデルに話を作るつもりか?」

「ストーカーに苦しめられるだけなんて悔しいですからね。この苦難を作品の参考資料にしたいと思います」

「転んでもタダでは起きないな……やっぱり凄い奴だよ、桜木は」


 正体不明のストーカーに狙われているのだ。怖くないはずがない。それにも関わらず気丈に振舞い、ラノベにも活かそうとしている。改めて、彼女がプロのラノベ作家なのだと実感させられた。


「次は杉田くんの番です。あなたはどのような話を作ろうとしているのですか?」

「桜木との実体験をモデルにするつもりだ」

「もしかして私も登場するんですか?」

「ああ」

「それは楽しみですね……でもヒロインはやっぱりあの人ですか?」


 あの人とは誰のことを指すのか。問わずとも杉田はその人物が梅月のことだと察する。


「もちろん登場する。メインヒロインになる予定だ」

「それはそうですよね……抱きしめあうほど仲が良いのですから……」

「どうしてそれを?」

「偶然、屋上で目撃してしまいまして……」

「それはマズイところを見られたな……」


 高校生の男子が従姉の胸の中で泣いていたと知られるのは、さすがに恥ずかしい。頬を掻いて誤魔化そうとすると、桜木も意図を察してくれる。


「下世話な話でしたね。話を戻しましょう。どんな物語か拝見してもよろしいですか?」

「それは……」

「『小説家を目指そう』でいずれ公開するのですよね。ならいま読まれても問題ないはずです」

「……まだ完結してないから途中で終わっても文句言うなよ」


 パソコン画面に小説を表示すると、桜木は隣から覗き込む。ストーリーは学園一の美少女にオタク男が憧れている場面からスタートする。


「このヒロインのモデルは私ですか?」

「想像に任せるよ」

「ふふふ、ハーフのお嬢様ですからね。ここまで同じでは言い逃れできませんよ♪」


 それからストーリーは怒涛の展開をみせる。共通のラノベ趣味から仲良くなった二人は動物園でデートの約束をする。


 オタク男はどのルートで回ればヒロインが喜んでくれるかを調査する。本番で失敗しないために、デートスポットのタピオカ屋を事前に訪れるなど、涙ぐましい努力が描写された。


「私たちがデートした時もタピオカ屋さんに行きましたよね。もしかして私とのデートの時も頑張ってくれたんですか?」

「それは……秘密だ」

「ふふふ、秘密ですか。それは残念ですね♪」


 展開が進み、デートの事前準備が終わる。次はとうとう本番のデートを残すのみの段階になって急に文章が途切れる。パソコン画面には空白ページが表示されていた。


「これで終わりですか?」

「ここから先はラブコメシーンが展開されていく予定だが、続きを書くことができなくてな」

「アイデアが思い浮かばないのですか?」

「書きたいものは決まっているんだ。だがどうしてもトラウマが邪魔してな」

「トラウマがあるのですか?」

「――――ッ」


 桜木の疑問は繊細な心を突き刺す刃だった。皮肉の一つでも言い返してやらなければと、頭を捻る。


「ほら、俺ってさ、恋人に気持ち悪いと馬鹿にされただろ。そのせいで甘いラブシーンが書けないトラウマに陥ったのさ。誰かさんのせいで困ったものだよ」

「恋人……やっぱり……」


 桜木は恋人という言葉を聞いた瞬間、先ほどまでの元気が嘘だったかのように、悲しみで口角を釣り下げる。


「で、でも……杉田くんのために……っ」

「ブツブツと独り言を漏らしてどうかしたのか?」

「あ、あの、杉田くん!」

「どうした、改まって?」

「杉田くんは恋人さんのことがまだ好きなのですよね……っ……な、なら、あなたの幸せのためにも仲直りすべきです!」

「そ、それは、俺だって……」

「そのためにも、まずはあなたが謝るべきです! 誠心誠意謝罪すれば、きっと恋人さんも分かってくれるはずです」

「それ本気で言っているのかよ……」


 自分と仲直りしたければ頭を下げろと要求している。そう解釈した杉田は怒りで眉間に皺を寄せる。


 『完璧超人桜ちゃんの恋』の作中で酷い扱いを受けた自分がなぜ頭を下げなければいけないのか。理不尽により我慢の限界に達した。


「俺も許せることと、許せないことがある。それ以上口にするなら、いくら桜木でも容赦しないぞ」

「私は正しいと思ったことを口にしているだけです。あなたの幸せのためにも謝るべきなのです。そうすればきっと仲直りできるのですから」

「誰が謝るものかっ! 俺はな、一方的に利用され、純情を踏みにじられたんだぞ」


 作品作りの資料として利用され、使い道がなくなればゴミのようにポイである。簡単に許せることではない。


「この部屋から出ていけ!」

「わ、分かりました……」


 怒鳴られた桜木は肩を落として部屋を後にするが、突き放された悲しみの色は表情に浮かんでいない。


「恋人に利用された……ですか……今度は私が杉田くんを守る番なのかもしれませんね……」


 誰もいない廊下で桜木は決意の言葉を口にする。大切な人の幸福のために、彼女は闘志の炎を燃やすのだった。


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