第79話

 俺は今、トイレに籠っている。

 ノドルドン商会のお姉さん(ライラさんというらしい)が、領主のお迎えとかいう人の相手をしてくれている間、ちょっとお腹の調子が悪い、という体でトイレに籠っている。

 エアーの話だと、へリウスはすぐにでも来そうな感じだったのに、そろそろ30分くらい経ちそうなんだけれど、まだ誰もトイレに呼びに来ない。


「時間、かかりすぎない?」

『……他の精霊の話じゃ、なんか変なのに絡まれてるっぽい?』

「変なのって?」

『いやぁ、なんかファンみたいな連中』

「えぇぇぇ~」


 ――そんな奴らの相手してる場合じゃないってーのっ!


 思いっきり叫びたい俺だったが、なんとかこらえた。

 まだかまだか、と思ってたら、外がざわつき始めた。


「来た? 来た?」

『あー、いや。来たのは領主の方だな』


 ドンドンドンドンッ


『ハルとやらっ、いいかげん、出てこいっ』


 いきなり、凄い勢いでドアを叩きまくってきた。なんで名前知ってるんだよっ。


『出てこないなら、ドアを壊すまでだ』


 さ、さいてーだなっ! 

 マジで下痢だったらどうするんだよっ! 下痢じゃないけどっ!

 頑張って、お腹を下している人になりきる俺。


「お、お腹痛いから無理……」

『チッ、下痢止めの薬はやらなかったのか』

『………』


 ドアの向こうで誰かと話しているらしい。納得はいかないものの、もう少し様子を見る気になったのか、偉そうな声の男が『とりあえず、落ち着いたら出てこいっ』とだけ言って離れていった。


「助かった……のか?」

『まだいるよ、それも店の中。お茶出して待たせてるっぽい』

「くそっ、もう、トイレの窓から抜けて逃げるか」

『ハルじゃ登れないって』


 呆れたようにエアーに言われて、俺も頭を抱える。


『お、狼獣人が来た……なんか、強そうだぞ』

「そりゃそうだ、へリウスだぞ!」

『店の方からじゃなくて、裏口から来たみたいだ……アーロンとも合流したようだぞ』

「よしっ!」


 エアーの実況中継に、俺も胸がドキドキする。

 俺はトイレからいつでも飛び出せるように、ドアの前にへばりつく。足音が聞こえないか、耳をそばだてるけれど、いつまでたっても聞こえてこない。


 まだ? まだ? まだ?


 コン、コン、コンッ


 いきなりのノックに、固まる。視線をエアーに向けると、ニマッと笑って頷いた。


「へリウス!」


 ドアを開けたと同時に、目の前にいた人に抱きつく。


「待たせたな」


 すでに懐かしい声になってしまったへリウスの声に、俺はバッと見上げる。

 困ったような、嬉しいような、なんともいえない顔のへリウスがいた。


「待たせすぎだぞっ!」


 ポカポカとへリウスの胸を叩くが、俺程度の力じゃ、効きもしない。

 悔しさなのか、嬉しさなのか、つい、ポロポロと涙が出てきてしまった。

 中身は18才(もう19才になるか)の男子なのに、情けない。


「悪かった、本当に、悪かったな」


 そう言ってギュッと抱きしめられて、ホッとした俺だったのだけれど。


「へリウス様、お早く、裏口から」


 アーロンの少し焦った声が聞こえてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る