第12話

 トイレから出てきて、すぐに親戚の誰かとすれ違った。相手は一瞬、ぎょっとしたようだったが、俺は無視して自分の部屋へと急ぐ。寒いのもあったが、親父たちの不穏な言葉のほうが、気になってしまった。

 山神様に差し出す、という言葉から、ニエとは贄のことだろう、と察しがつく。

 俺を生贄にしてどうしようというのか、この土地の風習か何かなのか、それすらわからない状態で、大人しくここにいるほど、馬鹿ではない。


 部屋に戻り、すぐに着替える。今は降ってはいないけれど、外は雪で覆われていた。正直、この格好で逃げ出しても、凍死する可能性が頭をちらつく。

 でも、ここにはいたくない。

 着替えの入ったバッグを手にとると、静かに襖を開ける。まだ、座敷のほうでは盛り上がっているようだ。

 ミシリミシリと廊下が軋むが、たぶん、あの人たちの耳には入っていないだろう。廊下の先に灯りが見えるが、そこを通らずに土間の方へと足を向ける。

 スニーカーで来たのは失敗だった。すでに濡れているせいで冷たい。目の端に古ぼけた黒い長靴が目に入った。少し小さめなようだが、冷たいスニーカーに比べればマシだ。

 できるだけ音をたてないように、引き戸の鍵を開け、ゆっくりと引き戸をひく。冷たい風が入ってくるが、そんなことを気にしていられない。すでに、いつ気付かれてもおかしくはないのだ。

 ゆっくりと戸を閉めようとしていると、部屋の奥の方のざわめきが大きくなった。


『おい、おめぇんとこの……』

『なんだと』

『……探せ、見つけ出したら……』


 最後の言葉は恐ろしくて、聞く気になれずにすぐに戸を閉めた。

 雪灯りのせいで真っ暗なはずなのに、目に見える風景。何事もなければ、ただ美しいだけだったろうに。

 俺は、足早にこの屋敷の外へと抜け出した。


                *   *   *

 

 どこを歩いて、どこに向かっているのか、今の俺にはわからなかった。

 先程までは降っていなかった雪が、チラチラと舞い降りてきて、徐々に吹雪へと変わっていく。目の前が真っ白な世界に変わっていっても、俺は前に進むしかない。


『晴真~』

『晴信く~ん』

『どこだ~。どこいっただ~』


 後ろから俺の名を呼ぶ声が追いかけてくる。


 ――あいつらに捕まったら、生贄にされる。


 それがどんな生贄かはわからないが、嫌な想像しか浮かばない。

 気が付くと、大きな石造りの古びた鳥居の前に出た。大きな木々に囲まれているようで、本殿に向かっていく参道は、あまり雪が積もっていない。

 大きな本殿に隠れることができるかもしれないと思って近寄ってみたが、しっかりと鍵がかかっているようで、中には入れなかった。


『晴真~』


 声が近くなっている気がする。

 慌てて本殿の裏側へと向かう。するとそこには何かが雪に埋もれているように、ぽこりと立っていた。小さな木なのか、石灯籠なのか。それが何なのかまではわからなかったが、俺はその裏側へと目を向けた。

 そこには、畳一畳ほどの大きさの池、なのだろうか。綺麗な水をたたえている。こんな寒さで凍らないのには、何か理由があるのだろうか。

 追いかけられているというのに、どうしてもその池に吸い寄せられる。

 俺は、ジャリジャリと足音をたてながら、池のそばにしゃがみこむ。底はすごく浅く、手をついたら俺の手首が埋まるくらいしかない。


「冷たくない」


 温泉でも湧いているんだろうか。そんなことを考えていた時。


「晴真!」


 聞きたくない親父の怒鳴り声が聞こえた。俺がゆっくりと振り返ろうとした時。


「えっ」


 黒い手のようなものが、俺の首に巻き付き、俺を思い切り引き倒した。

 ざぶんっと水しぶきを上げ倒れ込む俺。浅い池のはずなのに、顔は完全に池の中に入ってしまっている。俺はなんとか、起き上がろうとジタバタしているのに、焦りのせいか、まったく立上れない。息がどんどん苦しくなって、朦朧としてきた。


「晴真っ!?」


 最後に聞こえたのは、俺を助けようとしてるのか、親父の悲鳴のような声で呼ばれた、俺の名前だった。


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