刹那、立ち止まるリア充

みのあおば

刹那、立ち止まるリア充

「それでは授業を終わります。お疲れさまでした」

 今日の授業がすべて終わり、各々帰り支度を始める。とりあえず今日の帰りは寄るところがあるため、友人にも声をかけず、まっすぐに目的地へと自転車をこぎ出す。

 高校2年の秋。夏休みが明けて数週間たった今。僕、中川タツヤは、とある喫茶店に向かっていた。

 話は2週間ほど前にさかのぼる。


 4限の授業が終わった後の昼休み、僕は自分の席に座ったままぼーっとしていた。

 そろそろ次の教室に移動し始めようかと思っていたところ、女子生徒に声をかけられた。その子の名前は木下ユミ。隣のクラスだからよくは知らなかった。「5限が終わったら屋上階段に来てほしい」と言われた。 

 5限の授業が終わり、とりあえず言われた通りに屋上階段へと向かった。この学校の屋上は常に閉鎖されているため、屋上へ続くこの階段には普通は誰も来ない。

 一番上の踊り場にたどり着いてみると、案の定、そこには木下ユミの他には誰もいなかった。――これはもしかすると告白でもされるのか? と思った。

 互いの目が合ったとき、彼女は息を深く吸い、そして長く静かに吐いた。

 そして、落ち着いた様子で彼女は言った。

「あのさ、私と付き合ってくれない?」と。

 予想していたこととはいえ、息が詰まりそうになった。僕は、「え……、なんで?」と答えた。

 それに対して彼女は、「なんでって、その……。好きだから、私、タツヤ君のこと好きだから、付き合って、って言ったんだよ」と返してきた。

 彼女は自分を落ち着けるように浅くゆっくりと呼吸していた。

 何か言わなければならないと思った。

「あ、そうなんだ。いや、うん、嬉しいんだけど……まあ、その……」

 うまく反応できなかった。断ろうとしているようにも見える僕の態度は、彼女の表情をみるみる曇らせていった。そこで何とか釈明しようとした。

「いや、あの、別に断るっていうんじゃなくて」

「え? あ、じゃあ……」

「うん。だからその……付き、合う?」

 そうして僕らの交際が、なんか始まったのだった。


 学校近くの喫茶店に到着すると、どうやら彼女は先に来ているみたいだった。自転車をとめて店内に入る。

「ごめん、おまたせー」

「ううん。全然いいよ。私もだいたい今来たところだし」

「そっかー」

 今来たにしてはコーヒーの残量が少ない。本当は結構待っていたにもかかわらず、気を使ってくれているのだろう。優しいものだ。

「木下さんは、コーヒーは好きなの?」

「まあ、そこそこ」

「すごいなー、俺はコーヒー飲めないからさ。なんか羨ましいよ」

「え? 飲めないの? うそ!?」

 そんなに驚くことかな。

「じゃあなんで私、無理してコーヒー頼んだんだしー!」

 彼女の顔が苦そうにゆがむ。

「コーヒーそんなに好きじゃないの?」

「うん、あんまり。でも喫茶店だし、どうせタツヤ君も飲むだろうと思ったから、合わせたほうがいいかなって」

 コーヒーを苦そうに飲むところを僕に極力見られないように、早めに頼んで先に飲んでおいたということかな。

「でもその肝心の俺が飲めなかったってわけか」

「そうなのっ!」

 はははは、と笑いあう。

 ――うん? なんだこれ、結構楽しいな。もしかして、これがリア充というやつなのか? 女の子と付き合って、放課後楽しく笑っている。そうか、これはまさしくリア充なのだろう! 実際なってみると中々いいものだな。

 まあいいからウーロン茶でも頼もう。


 それから数週間後のある昼休み。教室。

「でさーユウスケ、この前彼女と一緒にカラオケ行って、帰りにゲーセン寄って、プリクラ撮って帰ったんだ」

「うわー、なんかリア充アピールしてくるやつがいる! 彼女できてから急に嫌な奴になったよな、タツヤ」

 今一緒に弁当を食べているのは友人の杉本ユウスケだ。

「ところでさ、この『進路志望調査書』ってやつ。もう提出したか?」

 そう言って彼は一枚の紙を取り出す。

「いや、まだだよ。でももうだいたい進路は決めてある」

「そうなのか。タツヤ、どこに行くんだよ?」

「学校は言わない。学部は文学部」

「文学部? あの、文学を研究する学部か」

 文学だけじゃないと思うけど、名前からはそう見えるか。

「ユウスケはどうするつもりなんだ?」

「俺は、薬学部か工学部かで迷ってるところ」

「なんでその二つなんだ?」

「だって今は就職難の時代だろ? とりあえず薬剤師の資格持っといたら何かと安心だし、工学部は就職率がいいらしいからな」

 ふーん、そうなのか。

「それよりタツヤはどう考えてるんだよ。文学部行って就職できるのか?」

「そりゃあまあ、何とかなるだろ。そんなに就職率の悪いところだったら若者が集まらないだろうからさ。でもいまだに文学部がたくさんあるってことは、そんなにヤバイはずはないと思うよ」

「へえ、そういうもんかね」

 たぶん大丈夫、そう信じている。

 ユウスケはさらに質問してくる。

「それで、文学部って何をやってるんだ? 誰かの文学作品でも研究するのか」

「いや、そういうのもあるみたいだけど。他にも、歴史学とか言語学とか、あと心理学なんかもあるらしいよ」

「おお、心理学か。それは結構おもしろそうじゃん!」

「まあ、俺はあんまり心理学をやるつもりはないけど」

「もったいないなあ」

 そう言われてもしょうがない。もっとやりたいことが他にあるんだ。

「俺は、言語学を専攻したいと思っているんだ」

「言語学か~、難しそうだな。どういうことを研究するんだ?」

「まあ俺もよく知らんけど、自分たちの話している言葉を、すごく分析していくんじゃないの? よくわからん」

「へぇー。なんかどうでもいい感じするけどなー」

 まあ、興味は人それぞれだ。

 ……とはいえ確かに、言語学を四年間も学んで、結局自分はどうしたいのだろうか。迷ってきた。

 こうなってくると、進路志望調査書を提出するのはまだまだ先のことになりそうだ。


 それからさらに数週間後、十一月。学校近くの喫茶店。

「ごめーん、ちょっと遅れちゃったー」

「あ、ユミちゃん。ちょっと遅かったね」

 彼女の名前を「ユミちゃ~ん」とか呼ぶようになってしまって割と恥ずかしいのだけれど、なんだかそれだけ仲がいいということの証明になっているような気がして、同時にうれしくもある。だからこれでいく。

「ごめんねー、ちょっと友だちと進路の話で盛り上がっちゃって。気づいたら、わー、もうこんな時間だー! ってなってー」

 進路の話で盛り上がれるのか? すごいな。

「遅れたのは全然大丈夫だけどさ。進路といえば、ユミちゃんはどこに行くの?」

「えー私? まだ全然決めてないよー。とりあえず学部は文学部かなーって思ってるけど」

「へーそうなんだ。いいね。けど、どうして文学部なの?」

「だって、法学部とか経済学部とかはなんか難しそうだしー、教育学部に行っても教師になるつもりないしー。でも文学部なら、とりあえず日本語ができたら何とかなるかなって思って!」

 ユミちゃんはへらへらと笑っている。

 この人は何にも考えていないんだなあ。少し心配になってくる。けどまあ、別にいいかな、なんか楽しいし。多少おバカっぽく感じるけど、ユミちゃんの笑顔は僕をハッピーにさせるよ。

「実はさ、俺も文学部志望なんだー」

「えー、いっしょだね! ぐうぜんー!」

「本当偶然だねー。でも、さっき友だちと進路のことを話してて。文学部行くって言ったら、就職大丈夫かよって言われちゃってさ」

「えー、わけわかんないねー。就職とか何とかなるでしょ。大学生活は一度きりなんだから、やりたいことやるのが一番なのにね」

「はは、ユミちゃん、楽観的だね」

「そうでしょっ?」

 就職が何とかなるというのはさすがに甘いんじゃないかという気もしてくる。

 けれど、確かにそうかもな。ちゃんとやりたいことを見つけて選んだ道なんだったら、もっと堂々としていてもいいのかもしれない。

 わからないな。やっぱり進路っていう重要な話だから、もう少し迷ってみようとは思う。

「タツヤ君、元気出た? やっぱりこういうのは迷っててもしょうがないから、勢いだよ、勢い! あ、そういえばまだ注文してなくない?」

「あ、そうだね。どれにしようかな……」

「こういうときも、勢いで!」

 そして二人ともウーロン茶を頼んだ。

 なんだか近頃ユミちゃんとはより一層仲良くなれている気がする。それはとてもうれしいことだ。今日一日疲れていても、ユミちゃんと過ごすと元気になれるからすごい。

 ウーロン茶をお供に会話を楽しんだのち、この日は仲良く一緒に帰った。


                 ◇


 ある日の放課後。教室。

「そういえば俺さ、薬学部に進むことに決めたよ」

「お~、そうなんだ」

 そうか、ユウスケはもう決めたのか。

「どうして薬学にしたんだ?」

「ああ、やっぱり薬学部のほうがレベル高いから、そこを目指して勉強していて、いざとなったらほかの学部にも変えられるだろ?」

 なんだ、別に薬に興味があるわけじゃないのか。

「やることは何でもいいのかよ。薬に興味があるわけでもないんだろ? 工学部で何かやりたいこととかなかったのか?」

 つい勢いづいて言ってしまう。人の進路に口出ししない方がよかっただろうか。

 ユウスケも語気を強めて返答してくる。

「あのな、やりたいことだけやって生きていけるわけじゃないだろ? まずは生きていくために必要なものは何なのかを考えて、その中から悪くなさそうなものを選び取っていくのが一番いいやり方なんだよ」

 うーん、言いたいことはわかるが、そもそも「やりたいことだけやって生きる」という想定があまりに極端だから、極論的な内容でごまかされている感じがして、にわかには納得し難い。

「それでタツヤの進路はどうなったんだよ。結局文学部とかに行くのか?」

「いや、ちょっと迷っていて、ほかの学部にするかもしれない」

 それでもやはり言語学をやってみたいという思いはあるのだけれど。

「おおそうか! それがいいよ。よかった、タツヤがしっかり考えてくれるようになって」

 ユウスケは突然うれしそうな様子になった。良かった。

 ユウスケは喜々として語る。

「やっぱりさ、役に立つか立たないかわからないことに今の時間を浪費するよりもさ、若いうちからもっと実りのある事をして過ごしたいよな。後悔したくないし」

「……うん、そうだな」

 その通りかもしれない。やっぱり何事ももっと深く考えて選ぼう。何とかなるだろうと言って考えるのをやめてしまうのは思考停止というやつだ。ちゃんと最後まで考え抜いた上で、未来を選択していくのが絶対安全なんだ。


 ここでユウスケには先に帰ってもらった。今日はユミちゃんと一緒に帰ろうと思っていて、隣のクラスへ迎えに行くつもりなのだ。

 もうどのクラスにも人はあまり残っていないみたいだ。教室を出て廊下を歩いているが、どのクラスからもほとんど声が聞こえて来ない。

 ユミちゃんのクラスをのぞいてみると、ユミちゃんとその友だちの二人だけしか残っていなかった。何か話をしているようだ。

 ユミちゃんの友だちが言う。

「――つまり、未来における有用性と、現在における充実性とのバランスが重要だって言いたいわけ?」

 ユミちゃんの友だち、よく知らない人だが、何だか難しいしゃべり方をする人のようだ。

 それに対してユミちゃんが答える。

「そう。だけど、未来における有用性っていうのは、現段階では不確定な見積もりを出すことしかできないし、現在における充実性っていうのも、個人の主観にゆだねられるものだから、何とも客観的かつ定量的には評価しづらいでしょうね」

 ……あれ? いったい何を言っているんだ? ユミちゃんってこんなしゃべり方をする人だったっけ。

「だから逆に、あんまり難しく考えずにひとまず踏み込んでみる方が、むしろよっぽど合理的でありうるというわけ。私はこれを戦略的思考停止と名付けてみた。つまり、結論が出ないという状況をあえて引き受ける態度ね。これをすることによって――」

「ちょ、ちょっとユミ。あれ、ユミの彼氏じゃない?」

「え!?」

 どうやら気づかれたみたいだ。

「あー、タツヤく~ん! 迎えに来てくれたのー?」

 いや、人が変わり過ぎだろ。

「そこで待っててー、今帰る準備するからー」

 まるで別人だよ! 何ださっきの議論は。誰だよさっきの哲学少女は。僕は知らないぞ、あんなユミちゃんを。

「タツヤ君、準備できたよー。早く帰ろうっ」

「あ、うん。帰ろうか」

 なんなんださっきのは。聞いてもいいのか。それとも見なかったふりをしたほうがいいのか……?


 ユミちゃんの知らない一面を見てしまった気まずさを一人抱えたまま、校舎内を二人で歩き、駐輪場へと向かう。

 今の話に触れるべきか否か……。

 ――よし、聞くぞ。

「ねえ、ユミちゃん。さっき友だちと何か話してたよね。あれって、どんなことを話してたの?」

「え~タツヤ君、ガールズトークに興味ある感じ?」

 あ、あれがガールズトークだと言い張るのか。かなり無理があるだろ。

「ちょっと聞こえちゃったんだけど、すごく難しそうなことをしゃべっていたなーと思ってさ」

「……! あーあれかー。あれはまあ、そういうテンションだったからね」

 いや、テンションだけであそこまで語彙が変化するものなのか?

「まあ、なんていうの。友だちとしゃべる時と家族としゃべる時とでは、なんかしゃべり方が変わったりすることってあるでしょ? そういうアレだよ」

「……なるほど? そういうこと……」

 いや、「なるほど」ではないぞ? さすがにいつもと人が違い過ぎていてショックが大きいんだが……。

「ごめんごめんっ。私も本当は見せるつもりなかったんだよ、ああいうところは。やっぱり混乱させちゃうだろうなって思ったし」

 うんその通りだ、今ものすごく混乱している。まさかあんな一面があっただなんて。

 もしかして、あのユミちゃんこそが本当のユミちゃんなんだろうか? ――ちょっと待ってくれ。じゃあいつも僕に見せている顔は何だったんだろうか。明るくて、物事を深く考えない、そんないつものユミちゃん。あれはもう明らかにということだろう。ユミちゃんは、自分が作り出した彼氏向けのキャラクターで僕に対応していたっていうことだよな。本当はいろいろ考えてる人なのに、「とりあえず彼氏にはバカっぽく振る舞っときゃいいだろう」とでも考えていたのだろうか?

 ……こんなにも軽んじられているような感覚は初めてだ。

「今まで俺に接していた時のキャラは、全部作っていたっていうこと?」

「え~、別に作ったとかそういういうことじゃないよ~」

 この軽さも、今となってはしらじらしい。

「じゃあ、どういうことなんだよ。あんな裏の顔を見せられてさ、本性を知ってしまったら、なんか怖いんだけど」

「いや、別にあれが本性ってわけじゃ……」

 ユミちゃんはうつむいて黙ってしまう。二人で一緒に帰る予定だったが、この空気のまま一緒に帰るのだろうか?

 もう駐輪場が視界に入ってきたところで、ユミちゃんはすっと顔を上げる。

「それじゃあさ、タツヤ君は私にどう振る舞ってほしかったの!?」

 どういう意味だ。

「表の顔とか裏の顔っていうけどさ、私にとってはどっちも本当の私だし、ていうかどっちが本物でどっちが偽物かっていう話でもないの!」

 どちらも本当の私とは言うが、あんなに難解なしゃべり方をする人が、いつもみたいな軽い態度を素でとるものなのか。

「両方とも本物のユミちゃんだって言うのなら、どうして僕には片方の人格しか見せてくれなかったのさ」

「……じゃあさ、タツヤ君は、さっきみたいなキャラの私と付き合いたかったの? やたらと小難しい表現を使いたがるような私とさ」

「いや、そういうことを言いたいんじゃなくって。ただ、隠されていたのが嫌だったっていう話」

「うん、それは分かるよ。でもさ、一人の人間に対して自分の全人格を持って接するなんてことは、実質不可能でしょ」

 なんだか極端な話だなぁ……。

「そもそもタツヤ君はさ、どうしてそんなに怒るの? 私がキャラを一つ隠していたぐらいでさ」

 どうして、か。それはもちろん、腹立たしいからだと思うけど……。

 それだけじゃあないな。

「それはきっと、不安になるからだよ。ユミちゃんのことで知らない部分がたくさんあることを知ってしまうと、何か、怖くなるんだよ」

「……はーなるほど、そういうことね」

 さっきまで感情的になっていたはずのユミちゃんは、急に澄ましたような態度をとる。すべて理解しました、とでも言いそうな態度だ。

「本当に分かってるの?」

「もちろん分かるよ。私の人格が、タツヤ君の予想の範囲を越え出るから怖いんでしょ?」

 そしてユミちゃんはつらつらと語り始めた。

「人は他人の人格を分類したがるものだもんね。この人は明るくて元気だけど、ノリばっかりであまり深く考えないタイプだとか、この人はいつも落ち着いていて、羽目を外すようなタイプじゃないだとか。とにかく出会った人ひとりひとりに何らかのイメージを持つものだよね。そうして相手の人格をある程度把握しているつもりになっていたのに、それを見事に裏切られたら、混乱しちゃうよね。怖くなっちゃうよね。これからどんなに相手のことを知ったとしても、また新たな一面が出て来るんじゃないかと思うと、不安になるよね。そういうことなんじゃないの?」

 なんだ? どうした? よくしゃべるなあ。というか人の心理をそこまで勝手に分析されても困るよ。一層怖いよ。

 ユミちゃんは矢継ぎ早にしゃべり続ける。

「でもさ、私の立場もあったの。聞いてくれる? 私がタツヤ君に告白した時のこと覚えてる? 全然知り合ってもないのに私の方から告白してさ、不安だったの! せっかく付き合えても、いつ振られるかわかんないじゃん。だって、タツヤ君は私のことが好きだから付き合ってくれたわけでもないでしょ。あの時タツヤ君には彼女がいなかったから、とりあえず試しに付き合ってくれたんだろうなって思ったの」

 早口だな、落ち着きなよ。

 ユミちゃんはなおも続ける。

「じゃあ振られる前に、とにかく好印象を与え続けようとふつう思うでしょ? だから、およそタツヤ君が女の子に期待しているだろうと思われるキャラクターでいこうと思って、明るく振る舞ったの。需要に見合った供給をしたかったっていうこと。確かに、もしかしたらキャラ作っていたのかもしれないよ? でも、私だって不安だったの! どうしたらいいかわからなかったから、こういう振る舞い方がひとまずは最善なのかなと思って、とりあえずめっちゃ明るくしてみたの」

 うんうん。

「でも一度やってしまうと、なかなかキャラって変えづらいから、あの快活かつ短慮なキャラのまま過ごし続けちゃったってわけなの。わかってもらえないかなぁ」

 はあ、まあ言いたいことはある程度分かった気もする。

 それにしても、よくしゃべるよな。

 一つ聞いておきたい。

「それで、結局あの明るいキャラは作っていたんだよね?」

「いや、確かにそうなんだけど、でも厳密には違くって……。実際、友だちと接する時もああいうキャラで振る舞うことはあるし、それにあのキャラでタツヤ君と過ごしてる時も、全然無理してる感じとかなくって、いつも楽しかったから。だから、あれが本当の私じゃない、なんていうことはないよ。難解な口調のキャラも、軽薄な感じのキャラも、どっちも本当の私だと思うよ」

 本当の私、ね……。まだ納得しきれないところもあるけど、まあユミちゃんの気持ちは理解できないでもない。

 一時はユミちゃんのことを、ちょっと住んでいる世界が違う人なのかなと思って、気持ち的に距離が大きく開いてしまいそうになっていた。けれど、やっぱりユミちゃんも自分と同じような不安を抱えていて、それでも自分なりのやり方で生き抜いているということなのかもしれない。今ではそう思える。

 そう考えると、何だか親近感が湧いてくるな。

「そっか、ユミちゃんも結構考えているんだね。いろいろ話してくれてありがとう」

「ううん。やっぱり、違う一面を見せて傷つけたと思うから、ごめん。でも、ちゃんと話せてよかった。わかってもらえたみたいでうれしい」

 ふん……。ユミちゃん、素直でいい人だなぁ。

 ここにきて認めるが、実のところ、今までは「リア充ライフ」というものが楽しくて付き合っていたような感じは否めなかった。

 しかし今気付いたのは、ほかでもないこの「ユミちゃん」とこれからも一緒に楽しく過ごしたいと願っている自分がいることだ。本音をぶつけ合ったことで心的距離が近づいたのだろう。

「暗くなってきたし、そろそろ帰ろっか」

「うん!」


 もうすっかり肌寒い秋空の下、僕とユミちゃんの二人は月の光に照らされながら並んで自転車をこいで行く。

 隣を見るとユミちゃんはとても楽しそうだ。そんな様子を見て、僕も思わずにやけてしまう。

「そうだ、これからユミちゃんどうするの? 僕に対して哲学的なキャラクターを隠す必要はなくなったと思うんだけど」

 冗談っぽく変なことを聞いてみた。ユミちゃんは愉快そうに答える。

「そうだね、たぶん月水金は軽薄で、火木土は哲学とか、そんな感じで行こうかな」

「曜日替わりなの!? それはかなり器用だな……」

 日曜が抜けてるけど、おそらく安息日ということなんだろうね。

「まあそれは冗談として。たぶん両方とも適当に混ぜていくんじゃないかな。気分でいくよ、気分で」

 軽薄な哲学少女ということかな。おもしろい彼女になりそうだ。

 僕はふと思い出して、進路に関する話題を振ってみる。

「今思えば、軽薄キャラのユミちゃんは結構むちゃくちゃ言ってたよね」

「え、なんだっけ」

「なんか、文学部は日本語さえ使えたら楽勝、みたいな」

「そこまで言ってたっけ? 確かにそれは言い過ぎかもしれないけど、でも私、ほとんど本心のはずだよ。確かに口調が軽くて、説明不足なことも多かったけど、軽薄キャラのときであっても極力思ってることを正直に言ってたから」

 そうだったのかな。いつものユミちゃんはかなり適当なことばかり言っていた気がするけど。

「でもユミちゃん、確か『就職も何とかなるだろう』とか『とりあえず勢い』みたいなことを言ってなかった?ユミちゃんならもっと深く考えていそうなのに」

「ううん、あれも結構本気で言ってたよ。私、実際将来に関してはあんまり考えるつもりないし」

 いやいやまさか……。

「そういえば言ってなかったけど、実は私、文学部に入ったら哲学科に行こうと思ってるんだ」

 あ、確かにそんな感じするかも。

 というか、哲学科ってなんか就職ヤバそうなイメージだな。でもだからこそ、それは就職に関しても何らかの見通しがついていないと取れない選択だろう。

 ユミちゃんほどの人だ。やはり何か考えがあるはずだ。

「あんまり考えない人が、哲学を志したりはたぶんしないよね? どうして哲学科に行くって決めたの?」

 自転車をこぎながら、ユミちゃんは首をうーんとひねる。なんかかわいいな。

 突如こちらを向いて、少し真剣な面持ちで言う。

「その答えはね……、行ってから見つけるよ!」

 僕はただ口をぽかんと開けているしかなかった。

 そんな僕の様子を見てか、ユミちゃんはにこにこと笑っている。そっか、決めゼリフが決まったんだ。良かったね。

「本当はね、言ってしまえばどこでもいいの。どこに行ったってね、それなりの苦労はあると思うし、それなりの楽しみがきっとあると思うの。これ、人生を通しての話ね。だからもう、将来のことで悩んで今暗い気持ちになるよりも、今を楽しむことに全力を注げたらそれでいいかなって、最近そう思ってる」

 え、それでいいのかな。見事に「考えること」を放棄しちゃってるよ。

「本気で言ってるの? それって、今さえ良ければそれでいいっていう、若者的な、刹那主義的な考え方だよね?」

「うーん、確かにそうなのかもね。いいよね、セツナ主義。なんか響きかっこよくて」

「……」

 なぜだ。まさかユミちゃんは突然またおバカキャラに舞い戻ってしまったのか? 一体何を考えているんだ。いや、まさかのか? 少し心配になってきたな。

「ユミちゃん。俺も協力するからさ、これから一緒に考えていこうよ。そりゃあ俺たちまだ高校生だけどさ、今の選択が一生を左右することにもなるんだよ? やっぱり、ある程度納得できるところまで考え抜いておくべきなんじゃないのかな。もし将来後悔することになっても、もう遅いかもしれないんだし。悩めるうちに精一杯悩んでおこうよ」

 我ながら先生みたいなことを言うなぁ。これはあれだ。自分よりも子どもっぽい人を相手にすると誰であれ大人っぽい振る舞いをしてしまう、という法則かもしれない。

「ううーん……」

 ユミちゃんは笑顔のままで、困ったように眉をひそめる。

「わかった。じゃあ私の考えていることを聞いてもらってもいいかな?」

 来たか! きっと長いのが来るぞ。僕は静かにうなずく。

 ユミちゃんは優しい眼を僕に向けて話し始める。

「まずさ、将来のことを選択する際に私たちはどうして悩むんだっけ。それは『不安があるから』だと思うんだよね。本当にこの選択でいいのかなとか、この選択の先にある未来は悪いものかもしれないとか。苦痛や惨めさに満ちた将来が、この選択の先に待っているかもしれないという不安があるからこそ、取ろうとしてる選択肢と他の選択肢とのあいだで揺れ動くわけだよね」

「それはそうだろうね。将来のことはわからないから、今考えうるかぎりの選択肢をできるかぎり慎重に検討するのさ」

「そうだよね。将来のことはわからないから、今慎重に考えるんだよね」

 ユミちゃんの話はまだ続く。

「次に重要なのは、私たちは安心したい、ってことなの。未来への不安で、現在の自分をかき乱されると落ち着かないの。そこで私たちは積極的に安心しようとする。比較的不安の小さくなりそうなものを選びたがる。今の自分を安心させるために役立ってくれそうなものを選びたくなる傾向にある」

 …………。

「後悔したくないっていうのも、そりゃそうだよ。納得できるまで考え抜きたいっていう気持ちも、もちろんあるよ。でも私は、このまま考え続けていたら、今の自分を都合よく安心させるための選択しかできなくなっていくような気がしたの。もちろん、そういう選択の仕方もそれはそれでありかもしれないよ。だけど私の場合、そういうやり方はなんだか避けたいなと思うようになってしまったの」

 ユミちゃんは情けなさそうに微笑む。

「だって、もし本当にんだったら、今期待できなさそうに見える選択肢も、実は選び取ってみれば案外素敵な将来に繋がってる可能性もあるわけでしょ。なのに、今の自分から見える範囲内での期待値だけを妄信して、今の自分を一番安心させてくれそうな選択肢を選ぶのって、むしろよっぽど危険なギャンブルだとは思わない?」

「うん、確かにそうかも……」

 ……いや、「そうかも」とは言ったけど、やっぱり今一番期待できそうな選択肢を選ぶのは、依然として一番合理的だと思うけどな……。まあでも、とりあえず話を遮らずに聞くとしよう。 

「それに、誰かに言われて選んだ将来を結果的に後悔した場合と、自分で選んだ将来を結果的に後悔した場合とを比べたとき、どっちの人生が私にとってより悪いものとなるかについて、私はまったく迷わないもの。後悔するなら、自分の責任で選んだ将来を後悔したい。だから、私は自分の行きたい未来を選ぶわ」

 熱い演説を聞かされているような心地だ。なんて素晴らしい彼女なのだろう。

「その気持ちはわかるけど、それでもやっぱり、考えるのをやめるのは違うんじゃないのかな」

「そうね。その話はもう、論理とかじゃないのよ。とにかく私は将来についてあれこれ悩んだ末に、『考えなくてもいい』って考えにたどり着いたの。どんな将来も多かれ少なかれいいことと悪いことがある。だから選択はどれでもいいし、とにかく今を充実させることだけが重要なのよ。もちろんそれは、享楽的であり刹那主義的で、あまり合理的ではない考えかもしれない! でも、私は別にそれでもいいよ。だって、たとえ一瞬であっても、『考えることをやめてもいい』っていうその発想にたどり着けたとき、私ね、すごく開放的な気分になれたの。ああ、本当に『考えなくてもいい』って、なんて素敵な響きなのかしら――!」

 ユミちゃんは遠くを眺め、なんだかうっとりとしている。考えすぎた結果、「考えなくてもいい」という結論が得られて、その麻薬的な効用にやられたという具合かな。これはもう開き直っているのだろう。

 僕としては、さっきの話には一瞬納得しそうになったけど、やっぱり落ち着いて考えてみればおかしなところが出てきそうな予感がする。だけどもう、おそらく僕が納得するかしないかは問題ではないのだろう。

 ユミちゃんの考えが納得できるものであるかどうかとは無関係に、ユミちゃんはとにかく幸せそうだ。なんかもう、適当でもいいのかなー、と思えてくる。

 実際、もしユミちゃんが哲学科に進んだとしても、そのせいで人生が崩壊し不幸の連続、とかいうことにもならないのだろうし、勝手に自分の好きな信条を抱いて気ままに生きていくということでいいのかもしれない。

 まあ、もういいや。考えすぎて頭痛い。あとなんか眠くなってきた……。


 チャリーン。自転車をこいでいく。

「ごめんね、長々と話して。やっぱり私、これからは軽薄キャラ中心でいくことにするね。タツヤ君もその方がいいでしょ? ……思えばそれがきっかけだったのかなー。私、あのキャラで振る舞ってたとき、本当に全然何も考えてなかったもん! 楽しかったなー。やっぱりあのあたりから、考えないことの深みにはまってしまったのかも! あはっ」

 はははは、なんか僕まで楽しくなってきたなー。やっぱりユミちゃんが笑っているだけで、僕の心は満たされていくよ。

「ユミちゃん、今日はありがとう! いろんな話が聞けて楽しかったよ。なんだか気持ちが軽くなった、あと頭も! 今度また、一緒にどこか遊びに行こうね」

「うん、タツヤ君。もちろんだよ! 二人で一緒にリア充たちが集う騒がしいところに行って、何にも考えずにふわふわと遊ぼうね!」

「おう!」

 ふと自転車を止めて、ユミちゃんのほうを向く。互いに紅潮気味の顔を向け合い、じっと見つめ合う。

「ユミちゃん。僕、ユミちゃんのことが好きだよ。いつもはへらへらしていてバカっぽいのに、突然難解な独り語りが始まって僕を圧倒していくんだ。思考を放棄しているくせに哲学科に行きたがるなんて、わけ分かんないよね! その理解し難さに惹かれたよ!」

 僕はもう、顔面のにやけが止まらなくなっている。

「ありがとう! ユミも、タツヤ君のこと大好き! いつもクール気取ってるけど、本当は内面の不安定さを隠しているだけなんだろうし、一丁前に一般論振りかざして来るわりに、ユミが持論展開したら結構従順なんだもん、かわいい!」

 ユミちゃんは顔面いっぱいの笑みだ。

 なんていうか。ユミちゃん、好きだ! もうユミちゃんへの想いが止まらない! これからもずっと大事にしたい。

「僕、こんなに心を開いて打ち解けられた人は初めてだよ」

「ユミも! こんなに安心して自分を出せる関係になった人は今までいないよ! タツヤ君大好き!」

「僕もだ。大好きだよ!」

 今すぐ抱きしめたい気持ちでいっぱいだが、お互いの自転車が邪魔で抱きしめることができない。これではしょうがあるまい。

「じゃあそろそろ帰ろっか」

「えー、タツヤ君。うちまで送ってくれないの?」

 うわー、なんか甘えてきた! かわいいー!

「ごめんね! さすがにお腹すいて来ちゃって」

 夕食まだなんだよね。

「そっか、お腹すいてるんだったら、さすがに仕方がないよね」

 いや、それぐらいのことなら彼女を家まで送っていくべきところだろう。なんだ、判断力が低下しているのか?

「じゃあ、バイバーイ!」

「あ、またねー」

 結局解散しちゃったよ……。ま、いっか! 考えるのやめようー。うん、もう帰ろう。


 今日一日、いろいろあったが楽しかった。

 やはりこれまでいろいろ難しく考えすぎていたのかもしれない。いや、さらに言えば、深く考えることがさも偉いことかのように思っていたところもあったかと思う。

 もちろん、考えるというのは重要なことだとは思う。

 しかし、考えないことで得られるものもどうやらありそうだ。

 ――そうだな、もうそろそろ自分に正直になってもいいだろう。決めた。僕は文学部へ行く。文学部って結構遊べそうなイメージあるし。あんまり難しいことは考えずに、そこで毎日楽しく過ごすんだ!


 さっきまでの昂奮こうふんが残っていて、そのエネルギーでもって自転車をかっ飛ばす。

「ユミちゃん、好きだぁー! そんなに考えなくても、生きていけるんだぁー! 大事なのは、今! 今を充実させよう!」 

 そう自分に言い聞かせる。

 そうさ。僕たちは、「過去」も「未来」も生きられない。いつだって、リアルにるのは「現在」だけだ。

 たまには思索も悪くないけど、基本は「現在リアルの充実」重視。

 自転車をこぐ。すごい速さでこいで行く。たまに疲れたら、立ち止まる。それでも再び、進み出すんだ!


                                  おわり

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