第30話 爛れた家族
ソノヒトのオフィスで僕は冷たい麦茶を飲ませてもらう。可愛いかたちに作られた氷を入れて、朝作っておいてよかったと言いながらソノヒトはニコニコと麦茶を入れる。
そこはオフィスというより、とても心地いい個人宅のリビングのような場所で、大きなゆったりとしたソファがある。僕はそのソファに小さくなって座りながらチビチビともらった麦茶を飲んだ。
「きみは誰かな?わたしはここの先生をしてます。田上です。よろしくね」
「あ、あの、えっと、、、」
僕は本当の名前をいうべきなのか、迷って、黙った。
「わたしに会いに、来たのかな?」
「あ、あの、はい、、、」
「わたしを知ってるの?どこかの学校で、あったかな?」
「いえ、そうじゃないです、、、」
「きみは、病を抱えているようには見えないけど、何か悩みがあるのかな?」
そう言われて、僕は、なぜか涙がこみ上げてきた。この人に話したい。この人に洗いざらい何もかもぶちまけたい。この人なら、きっとこの人なら、僕は、、、
僕が話し始めようとしたのと、ほぼ同時だった。
「きみ、もしかして、石井くん?」
「え、、、なんで僕の名前を、、、」
「そうなのね。何しにきたの?お母さんに行けって言われた?えっとね、ごめんなさいねでもここは、あなたのような人が入れる場所じゃないのよ。悪いけど今すぐ出て行ってくれる?」
優しい穏やかな口調で、でも、ソノヒトの顔から笑顔は消えていた。
「あ、あの、なんで、僕のこと、知ってるんですか?」
「、、、なぜかしらね。なぜなのかはあなたの方が知ってるんじゃない?だから来たんでしょう?」
僕には聞きたいことがたくさんあった。この人は知ってるんだ。きっと何もかも。母のことも、母には僕という子供がいることも、田上のおっさんが不倫していることも。なのに、あんな綺麗な笑顔で、この人は、笑っていた。
「あの、なんで、笑ってられるんですか?」
あまりにも、話したくて、僕の話も聞いて欲しくて、僕は変な聴き方をしてしまった。ソノヒトは冷静にこういった。
「さすがというか、何というか。ずいぶん失礼なことを言うのね。あなたが爛れた家族の一員だとしても、自分自身の心の持ちようで人はいくらでも変われるものなのに。わたしがなぜ笑えるかって?幸せだからに決まっているわ。あなたはかわいそうに不幸なのね。もう何年も笑ったことのない顔つきをしてる」
僕は爛れるって、どういう意味だろう、あとで調べよう、と、考えていた。
「さあ、出て行って。さすがのわたしでも、きみにカウンセリングを行う気持ちにはなれないわ」
僕の本心はソノヒトにすがりついてでも話を聞いて欲しかったが、ソノヒトの澄んだ瞳が、ここに僕が長く存在することを拒否していた。
「すみませんでした。さようなら」
「さよなら。二度とあなたとは会うことがないことを祈ります。さようなら。」
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