第29話 母の不倫相手の妻

その人はすぐにわかった。


大汗をかきながらその人の職場の最寄りと聞いた駅に自転車を止めた僕は、来たことのない駅の見たことない雰囲気に気後れしていた。


僕の家は神奈川県の川沿いだが、ここは東京の郊外だ。車の数がすごい。たくさんのバスが停まっていて、よく見るとうちの近くまで行くバスもあった。バスにすればよかったと少し後悔しながら、僕は調べてきたその職場をググった。ナビがしめす方向に進む。


大きな横断歩道で信号待ちしていると、反対車線のところに、背の高いかっこいいお兄さんたちが何人か立っていた。そしてその中心に、小柄な年配の女性がいた。その不思議な集団は周囲の人々に時折笑顔で挨拶をしていて、その人たちもよく知っているのか、みな笑顔だった。信号が変わり、こちらへ歩いてくる間、彼らは真剣な顔つきで何か話し合っている。


すれ違いざま僕は耳をそばだてた。

「だからね、子供たちの幸せを一番に考えて欲しいの。お金は二の次よ」

その中心を歩いていた女性の声が僕の耳に刺さった。

「わかりました!じゃ先方と会議してきますね。また夜に!」

「よろしくね。楽しみに待ってます」

彼女を残し、かっこいいお兄さんたちは駅の改札へ消えた。その女性は彼らに手を振ると、笑顔でくるりとこちらを振り向いた。僕は磁石に引き寄せられるように彼女についてきてしまっていたので、突然振り向いた彼女とぶつかりそうになった。


「うわーびっくりした!ごめんね、君大丈夫?」

と彼女は言った。


うちの近所にはこんなおばさんはいない。もし同じことが起きたら突き飛ばされるか、どけと言われるか、さっとよけたあと、おばさんばかりで集まってヒソヒソ陰口を言われるだろう。

コノヒトは、まず僕を気遣ってくれた。


だが次の瞬間、無言で自分を見つめる僕を見て、コノヒトは怪訝そうな顔をした。

「どした?わたし、そこのクリニックの先生なんだけど、知ってるかな?きみ、顔色悪いね。わたし、怪しくないから、ちょっと一緒にくる?よかったらついておいで」

とコノヒトは、スタスタ歩き出した。


なぜついていったのか、わからない。コノヒトが、僕が誰なのかを勘付いたかどうかもわからない。ただ、僕は、いっちゃダメだ、と叫ぶ心の声を無視する事に全力を傾けていた。

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