第25話 修羅場

そんな時に、母がどうしてもと僕を連れ出した先は渋谷だった。あるカフェでしばらく待つと、あの田上がやってきた。


3年前の夏、僕を地獄に突き落とした九州旅行に同行したあの田上だ。あの頃は大きな身体で威圧感があり大きな声で話す豪快なおっさんだったが、今日、目の前に現れた田上は、痩せ細り、目は虚ろで、安っぽい服を着ていた。まだ、続いてたんだ、この2人は。3年ぶりに僕を見た田上は、はじめ誰だかわからないという顔をしたが、はっとして母に言った。

「大事な話し合いだろ?なんで直人連れてきたんだよ」

「あんたにこれ以上勝手なこと言わせないため」

「は?」

「にゃとは私の味方だからさ。私弱いから、1人じゃあんたのいうなりにさせられる」

「なんだそれ。自分の息子に聞かせられる話かよ。これからする話がよ」

「いいから。とにかく時間がないんだし、どうするか話し合おうよ」


そして2人は、人目もはばからずお腹の子供をおろすの、資金はどちらが出すの、サインが田上のものだと不倫がバレるからバレない遠くの病院を探すだのと、僕のことは御構い無しにまくし立てはじめた。

僕の、感覚では、とうていそれは愛し合っている男女の会話ではなく、互いが自身を護ることしか考えていない、相手を下に見た聞くに耐えない話の内容だった。


「とにかくさ、あんたが生でやったのが原因でこうなったんだから責任とるの当たり前だよね?私はにゃとがいるから離婚はしないよ。ゆーすけにバレたらヤバイんだから、早く始末しなきゃなんないの」

「んだよ、生でやれって言ったのお前だろ?なんで俺だけが金出すんだよ。今まで散々贅沢させてやっただろーが」

「ちょっとたかだか40万くらいの金でグタグタ言わないでよね。まったく落ちるとこまで落ちたよねえ。嫁は知ってんの?私と遊んでるうちに契約してた会社ことごとく切られたって」

「あいつが知るわけないだろ。とにかく今はお前に使う金はないんだよ。あとでなんとかするから当面はお前が出して手術してこいよ」

「あんたも離婚する気ないってわけ?私をこんな目に合わせておいて?責任は取ってもらうよ。子供おろしたらあんたの嫁に何もかもぶちまけてやるから。家の住所も嫁の職場もみんな掴んでるんだからね」

「お前ほんといい加減にしろよ。そんなことしてみろ俺も全てお前の旦那にバラすからな」

「とにかくおろすしかないんだからさ、家行って嫁に請求されたくなかったら金だけはすぐになんとかしなさいよね」

「てめー本当に最低な女だな」

「そんな女を愛してるって言ってたじゃん。どーでもいいけどその服似合ってるよ、さすが私が選んだしね。こんなに私が買ってあげた服増えてても、あんたの嫁、気がついてくれないわけ?あんた本気でなんとも思われてないんだねえ。ウケるわ」


がちゃん、と大きな音がして、田上の水が入っていたグラスが母の真後ろの壁に当たって割れた。母はすっと立ち上がると、冷たい声で田上にこう言った。

「とにかく書類にサインだけはしてよ。おろせない時期になったらヤバイから。あと事情はわかったから今だけは私が金は出しとく。でも逃げられると思うなよ。絶対取り立てに行くからね。しかしさあ、あんた本当にかわいそうだね。あんなに欲しかった子供、やっとここにできたのに、これから殺すんだもんね。あはははは。恨むなら私じゃなくて産んでくれないまんまもう産めない年齢になった嫁を恨みなよ!」


そこまで聞くと田上はすごい勢いでカバンから書類を取り出しよく読みもせずにどんどんサインをして印鑑を押し、母に叩きつけて、店を出て行った。


店の店主らしいヒゲの中年男性が、僕を憐れみの目で見てきたので、僕は我慢できなくなって目の前の机の脚を思い切り、蹴った。

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