第21話 夏の旅〜3日目
明け方、トイレに行きたくなって目が覚めた。僕が寝ていた部屋の中は障子を透かして入ってくる太陽の光に照らされはじめていた。うすら明るいその部屋を、見渡すのが怖かった。あれから母はどうなったのだろう。
どうにもトイレを我慢できなくなって、布団から出るしかなくなった。僕はできるだけゆっくりと目を開け、できるだけゆっくりと起き上がった。
部屋には誰もいなかった。
誰も寝なかった布団があと2組きちんと敷かれた時のままになっていた。
僕はホッとして、素早くトイレに行き、戻ってまた布団をかぶった。あのあと二人はどうなったんだろう。母はずいぶん殴られていた。田上は183センチだと食事の時自慢げに語っていて、その時聞いた通りなら、何かのスポーツの日本代表になったことがあるらしい。僕はあんな下衆野郎の言う事は一つも信じていないが。この時の僕が、なにより一番困った事は、母に対して心配する気持ちとか、田上に対する怒りとかが、どうしても沸き起こってこない事だった。頭の中ではどうなったんだろう?とだけ考えていて、何かしなくちゃとか、全く思わなかったし、何もしたくなかった。ただ、どうなったんだろう?しか、思わない自分を、少し責める気持ちになっていた。
襖がすっと開いて二人が入ってきた。僕は寝たふりをした。
「寝てる寝てる。ね、大丈夫だったでしょ?意外とにゃとは理解があるんだから」
「こんな子供がわかってるのかねえ」
「どうかなー?でも私のタブレットでやらしーサイトとか見てるよ最近。あたしは気づいてないフリしてるけどさ」
「俺も小5じゃもうふつーにやれる状態だったわ。母ちゃんが小4の時にコンドーム渡してきてさ、子供のうちに子供できたら大変だからやるならこれつけろって言った。それが我が家の性教育だったなあ」
「マジで?どんだけ豪快なんだよあんたの母ちゃん」
「おい!母親悪く言うとまた殴るぞ」
「やったあ!ガンガン殴ってよ。さっきよりもっと声出ちゃうけどね。」
「お前本当に変態だな。殴られると感じるとか外で見られてんのがいいとかよ」
「自分だって気に入ってるんじゃん。ハマったでしょ?あたしに」
「あんなことやらせんの、お前くらいだもんな」
「なにそれ、また他の女と比較?」
「いやいやいやいや。みほさま一筋ですよおー。って言ってやるから機嫌よくしとけや。直人がゆーすけに電話でもしたら慰謝料だろ?めんどくせー」
「あいつはどーもできないよ。あたしもあいつらの証拠握ってるから。請求してきたらやり返す。そん時は責任とってよ」
「なんの?」
「あたしとにゃとの生活」
「今だってかなり俺が出してやってんじゃんかよ。俺は離婚はしない。嫁の仕事軌道に乗せてやったんだ。これから稼ぐ理解ある賢い嫁だよ。誰が手放すかよ」
「ムカつく!やめてまじであの女の話は。あたしあの女の職場に行ってめちゃくちゃにするよ?本当あんたって愛されてないよね?私っていう愛人がもう4年もいるのに気づきもしないじゃん!学歴高いか知らないけどアホなんだよ!」
「お前のあいつに対する嫉妬心、怖すぎだわ。あいつやあいつのビジネスにちょっかい出しやがったらお前殺すからな」
「愛されないのに愛し続けて大変だねえ。セックスもさせてもらえないのにねえ」
バシッと肉を叩く音がした。
僕は二人の会話の全てが理解できた。心に突き刺さったのは、父さんにもやっぱり女の人がいて、母はそれを知っているという事だった。僕が怖かったのは、ただ、これからの僕の人生はどうなってしまうんだろうって事だけだった。
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