第18話 温泉

何年か後にテレビで見て、あの場所は別府というところだったのか、と思うわけだが、当時の僕は温泉街だ、ということしかわからなかった。母がしきりと散歩に行こうと言う。田上は眠そうで、部屋でゴロゴロしていたが仕方なさそうにわかった、と支度を始めた。


「それにしても美味しいお寿司だったね!私貝のお刺身初めて食べたよ。すごく美味しくて驚いた!」


母は、昼から高級寿司屋に連れて行ってくれた田上のおかげで、朝とは比べ物にならないほどはしゃいでいた。その寿司屋の大将がカウンター越しに僕に、かっこいいお父さんと美人のお母さんでいいなあ、と言った時、僕は首から上が熱くなってなんと答えたらいいのか頭がぐるぐるしたが、母がすかさず「あらあ、嬉しい!直人、もっとたくさん食べなさーい」と言ったので、考えるのをやめて黙々と食べることに専念した。父さんが連れてってくれた近所の回転寿司の方が、どれだけ美味しかったか。僕は考えない。考えちゃダメなんだ。


やたら機嫌の良い母と、ずっと運転をして疲れた様子の田上と僕は散歩に出た。そういえば、宿の部屋は広い和室だった。また田上と同じ部屋で眠るのかと思うと少し気持ち悪くなった。考えない。考えない。


海が見えた。僕はベンチに座ってしばらく海を眺めていた。遠くで田上の腕に絡みつきキャーキャーわめいていた母が言った。

「にゃとー!あれ、四国だよ!お母さんの生まれた愛媛があるところ!ここからフェリーでもいけるんだよー!」

行けないくせに何言ってんだと思った。詳しいことは知らないが、どうやら母は中学生くらいで都会に憧れて家出して、実家とは音信不通らしい。だから僕は母方の祖父母を知らない。そんな故郷が見える浜辺で、男とはしゃいでいる母を見て、僕は少しだけ可哀想になった。哀れな女、と、思ってしまった。

宿に戻り、夕食までまだ時間があるからと、田上が僕を誘ってきた。


「すぐそばに有名な共同浴場があるんだけど一緒に行くか?」


よくわからなかったけど、母と2人でこの部屋に置いて行かれる方が嫌だったのでついていくことにした。夕暮れのその街は安っぽいネオンがたくさんついていて、5年生でもわかるくらいそこはいかがわしい街だった。ピンク色のネオンをすり抜けて田上は訳知り顔で進んでいく。僕はその後を追う。看板に裸の女の人が書いてあったり、濃い化粧の女の人の写真がたくさん貼ってあった。田上が振り返って僕をまじまじと見て「まだ5年生だもんなあ」と笑った。僕は意味がよくわからずどんな顔をすれば良いかもわからなかった。


共同浴場というのは古い建物で、中に入る時に男女別になっている。服を脱いでドアを開けるとさらに階段があってその下には大きい浴槽がどんと真ん中にある。シャワーとかは見当たらない。

「熱いけど頑張ってこのお湯を汲んで身体にかけてから入るんだよ。ダメならそこ、水出るからうすめて」

なんか僕は負ける気がして、本当に熱かったけどザブッとかぶって田上より先に風呂に入った。入るとすごく気持ちがいい。古いタイルや、やたら高い天井も気持ちよかった。フーッと大きく息を吐いたら、なぜか涙が出そうになった。慌てて顔に温泉をザバザバ当てた。見ると田上が僕の反対側に入ってきた。


急に昨夜見た光景がまたフラッシュバックしてきた。母は全裸だったが田上は服を着ていた。あれは、わざと?わざと母をあの男たちに見せて楽しんでいた?突如頭に浮かんだその考えを打ち消したくて、僕はその熱い湯の中に潜ってぎゅっと目をつぶっていた。


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