第2話 肉眼
丁度一週間棚村は待たされた。その間も可哀相な金朴社員は無駄な掻き分け作業を続けていた。社長の命令であるこの任務には逆らえないが、仕事自体楽なのですんなりと受け入れられたのだ。
棚村の郵便箱に一通の手紙が届いていた。
それを開ける。ほんのりオフホワイトの紙を破ると心地いい音がパチパチと鳴り、上質な紙の繊維がブラシのように現れた。とても柔らかい。いつまでもこの紙を指で破りたいが、端に着くのは早かった。
中には大統領からのメッセージがあった。
自分も忌々しいヴィジョンを見た事、曖昧な理由でしか準備が出来なかった事、そして是非、大神田と共に日本と協力したい事。
棚村は久しぶりに肩を下した。
オーディションの期間はついに終わり、大勢の社員は四百億円から切り出されたボーナスを持ち帰った。無駄な期待をバズらせる参加者の中に混じれていく。
アメリカ大統領の来日も決まり、棚村の老けはだんだんと消えていった。
全てが予定通りに進んでいる。順調、順調。
単純な密室の中。大神田、大統領、そしてその翻訳者と一緒に紅茶を啜る。これから人類の運命を決める会議の一つを始める。
「二人とも来てくれてありがとう。知っての通り人類反撃の件だが、本格的な実施をもうそろそろ開始した方がいい。いつ来るか分からない敵なら明日来てもおかしくない」
「そうですね、特に米国には力仕事を任せます」
翻訳者が大統領の耳元で囁いてから返答を聞いた。
「もちろん、月に人を送る感じでやれば出来る事だ。しかし、我が国には莫大な借金がある。金融的な支援を出来たら日本にして欲しい」
「解った、出来る事ならするよ、ミスタープレジデント」
という感じで大切な会談は何回も行われた。
季節が何回も変わり、短い一日が積み重なってざっと八年が過ぎた。棚村も今になってやっとヴィジョンのタイミングを信じるようになっていた。先を教えられても、対応できなかったら意味ないからな。その間も不思議なくらいに「やっぱ、襲撃は来ないんじゃないか?」と思う事もなかった。武器の完成も魔法の手で触れられるほどに近づいている。もうすぐだ。月から突き出る灰色の円柱は巨大なライフル。単純だが有効的。土台は地下深くまで続く。理由は一つだ。
質量弾の持ち運びとはなるべく避けたいものだ。それだけ。
無法地帯である月を少しぐらい削り取っても文句を言う宇宙人はいないだろう。
完成直後の時だった。
月に配置された作業員が何かを確認した。
近寄る宇宙船は脅迫的な巨体を地球に目掛けて進めている。その発信が棚村に届いた時、彼は長い八年の後、初めて真の笑顔を見せた。
「見たかバカめ、何が税金の無駄遣いだ、俺はあっていたぞ!」
手を上げて万歳をした。隣の大神田は大統領からのビデオコールを開いた。
「やっとこの時が来ましたね。二人とも、お疲れ様でした。案外、よくやってくれましたよ」
「やってやったよ」
三人は外へと足を運び、透き通った青空に淡く映る月を見上げた。
その月の表面で発射の合図が鳴り響く。
まず、巨大な銃口が適切な方向に向かれた。
地下の奥深くにあるチューブを通って核爆弾が250個適切な配置へと送られた。
武装。
それらの全てが一瞬にして一つの眩い光に化した。
衝撃波が波打つ津波として月の地盤を襲う。消えていく幽霊のように月は揺らいで、小さな惑星を巡る叫びはそこにある全ての岩、土、粒子へと届いた。天の破壊は地震として月に喰い込んだ。
だがまだまだ。
弾頭がまだ飛ばない。
表面下で上がっていくプレッシャーに耐える月は全力で身を守ろうとしている。人間の手によってもぎ取られそうな自分の心臓を死ぬ気で抑え込んでいる。
合図が再び鳴り響いた。
予備の核はチューブを通って巨大な薬室に次から次へと投げ込まれた。プレッシャーが限界に追いついている。
そして、事前に入れてあった亀裂に沿って月の心臓は吹っ飛んだ。
砲身を通って逃げていく月の肉は真空に吸い取られてさらに加速する。
宇宙船に一直線。
跡形もなく吹き飛ばされる戦艦は宇宙の塵となった。
月の軌道も少しずれた。
「お見事でしたね、総理」
「ああ、全ては君のおかげだよ、大神田」
「いえいえ、本当に、あなた方に心の底から感謝しています」
「まあ、その感謝は受け取るよ」
「...総理、すまない」
「何がだ」
「総理って、日本は暑いとは思わないんですか?」
「そうね、暑いと思うけど」
「僕は、耐えられないくらい暑いです」
「そうか」
「地球も軍事力がすごくていいですよね」
「...何を言っているんだ今更」
「僕の故郷は弱かったんです。ここと比較にならないくらい弱かった」
「おい、そろそろ私も説明を気になっているのだが」
「総理...あんな武器、そもそもあなた達にはいらなかったんですよ」
月の向こうにはもう一隻の宇宙船があった。武装されていなければ軍人もいない。そこに乗っているのは皆ただの民間人だった。ついさっきまでダミー船が地球の勢力によって大破される所を目撃していた。
実際誰も乗っていない船。
少しずつ離れていく月をそこのみんなは見送った。
「大神田、どういう事だ?」
「上を見上げれば解ります」
棚村はもう一度月の方を向いてはっと息を吸った。一瞬月が大きくなっている気がしたが、また確認するといつもの月にしか見えなかった。
「多分一番に気付くのは、アメリカでしょうね」
棚村は慌てながら家の中へと駆け込んでから大統領に掛けた。盛り上がる言い表せない不安をどうにか否定しようと、どうにか自分の考えすぎに過ぎない事を証明したかった。
「おい!大神田が変な事を言っている、お前達は―」
電話の向こう側のカオスしか聞き取れなかった。
「総理、もう月が近づいてきてると思いませんか?」
大神田はにっこりと笑った。
たしかに。すでのもう微量に月がでかく見える。
あれから数か月、世界中に広がる理解は残り少なかった秩序を消していった。総理の座も意味と価値を無くして、現実逃避する、未だに働きに行く会社員や、衝動の塊となって町を荒らす若者や、ただただ無関心に毎日を生き続ける人などの密集に棚村はいた。
「どうして、こんな事態を見落としたんだろう...」
海が荒れていく。空を覆いつくす月から逃げる人もいなかった。インパクトと同時に、暗くなる青空の向こうでは宇宙船がやっと動き出した。
アフターショックがまだ地球を駆け巡っているが、宇宙船から飛び降りる民間人は雨のように降り注いだ。
何十年ぶりの惑星に、感謝と感激を込めた笑顔が愛のキスを送る。
前途洋々 芳村アンドレイ @yoshimura_andorei
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