一部 幕間 種火


「お疲れ様だな、我が社の広告塔は」

置かれたマグカップから立つ湯気と豆の香りが、卓上に臥せっていたシオンの鼻腔をくすぐる。

「まあ、仕事ですからね」

カップを取り、謝辞を述べて一口含む。

最初の頃に比べれば小慣れたコマーシャル映像用の素材撮影。それでもやはり疲労感は拭えない。引き出しから栄養錠剤のピルケースを取り、数粒口に放り入れ更にコーヒーで流し込む。

自身に充てられた一課勤務用のデスクの小綺麗な縁に寄りかかりながら、ブラストは手にした資料に目を落とす。

「今日の撮影はどんな内容だったんだ?」

「把握済みでしょうに」

彼の方を見遣ると、やはり噛み潰すように笑んでいた。どうやらさっきの撮影にも自分の知り得ない仕込みがあるらしい。

「いやなに、他愛のないサブリミナル映像を編集で差し込む、それだけさ」

机上に資料が広げられる。ざっと目を通す。

「今回の件、一課はどこまで掴んでいるんです?」

「今回も何も、掴んでいるものは全部出している。この合同調査班には、な」

ここ数日、シオンは他人の言葉を信用するという面において、一緒に過ごした時間の長さがいかに重大な要素であるかをひどく実感していた。

二課の面々の顔が脳裏に浮かぶ。

現状、一課に対して不信を全く抱いていないとは正直言い切れなかった。

以前から情報開示が限定的だった一課の底知れなさは、多少その課員と接した程度では覆らない。ブラストの人柄も、果たして本物のそれなのか自身に接する為に構築したものなのか。

いや、判断するにはまだ早い。

「差し込んだサブリミナル映像の効果はどんな類で?」

「まあその辺も含めて、二時間後の定時連絡会で説明するさ」

一課と二課ではやはり情報の進行具合がやはり異なる。いずれは共有されるとしても、対処案の策定や決定はシオンの耳には今のところ届いていない。

それは間違いなく一課と二課の断絶であり、この調査班においても透けていた。

ぽん、と彼の手が肩に一瞬置かれて、離れた。


「「概要はこんなものだ」」


肉声ではない、骨伝導インナーイヤフォンから薄く伝わる音声通知だ。

ほぼ同時に視界内にデータ受信の通知アイコンが表示されて、消える。

データの直接伝達。間に別のシステムを挟まない通信。

電脳、ないしパーソナル・インプラント・インターフェース(個人用高度通信機材)のユーザー同士によるデータの遣り取り。物理的に身体の届く距離でなければ使えない反面、非常に機密性に優れた手段だ。

その真意を逡巡している間に、ブラストは去っていった。

彼の背中を見送りながら、ワイシャツの襟に隠れたコネクト・エクステンション―専用コンタクトレンズ、インナーイヤフォン、そしてこの首元のチョーカーで構成されたパーソナル・インプラント・インターフェース一種―

からワイヤーを引き出して、胸ポケットに仕舞った端末に有線接続する。

電脳化に筆頭される不可逆的な身体改造を施さず、またその予定もないシオンが高度なインターネットアクセスを行うために何よりも必要な装備である。

かつてはその様子を非効率だと眉を顰める者も居たが、今の地位に昇るに従ってそんな声はいつの間にか聞こえなくなっていった。

 ブラストがあの瞬間、あのように行動した意味はすぐに見えた。

しかして、その連絡会が開かれることは無かった。



「奴…らの方が一手も二手も早かった…」

差し向かいに座るブラストは蒼を基調とした戦闘装備を着込んでおり、その表情は窺えない。しかし独りごちるように吐いた声音には僅かな焦りが滲んでいた。

揺れる車内の空気はひたすらに重苦しく、鉛でも詰められているかのようだが、そうなってしまうのも無理からぬ事態だった。

ブラストが言う、奴。若しくは奴ら。

対象を指すのであろうその言葉は酷く抽象的だった。実際のところ一課においても、掴めていないに違いない。

ただ、イヅナかその社員に対して強烈な悪意を持つ存在が居て、行動を起こしている。それが確かな質量と事実として立ち上がり這い回り、今も脚を掬わんと蠢いている、それだけは事実だった。

高機動車に同乗する二課隊員の内、若年の辻本が空気に耐えかねてびくりと肩を震わせた。

イヅナにとって敵対者の存在は日常茶飯事である。企業の成長競争と技術開発がこの社会における正義である以上、必然だ。だが個人にとっての正義は必ずしもそれと同期するわけではない。むしろそうじゃない人間の方が多い。この社会は決してこのリージョンに生きる人間全員の為には出来てはいない。

富の偏った集中、塔の階層が人間の階層。上が伸びるほど下から恨みを買う。企業は集団の言い換えでもあり、集団は個々人の存在無しにはあり得ない。しかし個人が集団を見つめるとき、その視線は集団を構成するひとりひとりではなく掲げた看板をだけを見る。

一個人の矮小さを酷く自負した者の目には、それが強圧的な姿として像を結び歪な狂気を生じさせるのである。

「何時からなんだ」

そう放り投げた自分の言葉は、輸送車の振動に揉まれても消える事は無かった。この焦りはなんだ。

ブラストの内心が伝播しているのだろう。少なくともいま対峙している存在は、単なる有象無象の敵では無い。


いくら敵が多いイズナとはいえただ盲目的に敵視するのではなく、脅威順にランクを付けて分類する程度の調査活動は当然行っていた。

その最たるものとして、リージョンにおける公共事業参加の一環として交通設備機材を中心としたインフラの管理と整備に携わっていることが挙げられる。この状況を利用してデータを常時収集、社の脅威をいち早く察知し今後の社会動向を観測するための検知器として街そのものを利用していた。

イヅナの企業的な成長は保有する単純な技術力だけではない。

街を利用し集めたデータ、敵対する企業、グループ、個人の動向を分析しそれらを元にセントラルコンピューターが算出した将来的な情勢を足掛かりとして社の方向決定するシステム。そこに企業成長のための骨格があった。

街はイヅナの武器であった。

 シオンが今回の合同調査に参加して知った事のひとつに、法務部一課は社のセントラルコンピューターへの演算申請と結果報告を他の部署より優先的に行える権限を有している、というものがあった。

 この事実を知らなければ、眼前のブラストの焦りがいかに切迫したものか理解できなかっただろう。

先を往かれ後手に回った事の大きさに。


・・・


≪ HQ、HQ。こちらファスト1、現場に到着した ≫

モジュラー・ヘルメットと呼ばれるフルフェイス型の高機能ヘルメットは、シオンを象徴するアイテムであるのと同時にもうひとつの顔だ。

その内側で響くのは二課所属の隊員、つまり自身の古巣であり部下でもある男の声だった。

「「 ファスト1、ファスト1。HQ合調班シオンだ。用件は先の通りで変更はない 」」

事態が発生してから一五分。

社内報が入るよりも早く調査班にあてがわれた高機動車に乗り込んだシオンだが、その際にプライベート通信を用いて二課隊長代理を務めるゲイツにある「依頼」を伝えていた。

  ≪ 事故現場周辺に設置された街頭カメラのメモリーの物理的接収、および現場の詳細な撮影…だな。わかってるよ、シオン ≫

  「「 済まないなゲイツ。そちらの現場はどうか頼む 」」

古巣から離れてまだひと月と経っていないが、代理を務める副隊長の声が今は無性に懐かしく感じられた。幾多の死線で肩を並べて、或いは背を預けて戦った男の頼もしさにいくらか心の平静を取り戻す。


 第一報からおよそ三十分が経過した一八時一七分。

暫定的に第二現場と呼称している地点に機動車が止まる。そこは片側二車線の道路が交差する交通量の多い交差点だった。交通整理を行うドローンが車両のIDを認識し規制線を一部開放すると、そのまま規制線の中へと乗り入れる。

と、ジェット推進の轟きが響いた。振り仰ぐと、夕刻の空をFUSEの影が斬り裂く。監視用の航空偵察型ドローンを両翼に従え楔形の編隊で飛翔する姿は、烏の二つ名に相応しい。

本社から直線距離で十キロほど離れた第一現場の交差点と、そこから更に一ブロック北にあるこの第二現場は共に日ノ本各地のリージョンを繋ぐハイウェイの降り口に近かった。事故発生直後から行われた交通規制は当然渋滞を生み、幾分たどり着くまで時間がかかってしまった。

後部ハッチが開き車両の外に出る。

足元には飛散したアスファルト片等々の残骸、そして黒いタイヤ痕。タイヤ痕は迷いの無い筆跡のように延びていた。視線でそれを辿った約五〇メートル先、高架の柱にめり込む形で白い一般車両が原形を留めず大破していた。それよりもやや近い側、一般車に掠められて横転した対向の大型輸送車が片側二車線の通りを塞いでいた。

横転と言うには損傷がいささか苛烈に見える。周囲を見渡すと街道沿いの建物の窓が総じて割れている。それなりの規模の爆発を伴ったのは明白だった。周囲に飛散したパーツが凄惨さを声高に叫んでいる。


「第一現場から一直線に走ってきた車は、この第二現場の信号も無視してそのまま交差点に進入。向かって左側から進行してきた車に掠め、その反動からか進路が右に逸れる…」

「そのまま対向車線を走る輸送車の鼻先から横っ腹を擦りつつ今度は左方向にブレる。減速はしているもののそのまま高架に正面からガツン。輸送車は倒れた後に爆発、こんなもんか?」

一息に言い立てるブラスト。

「まあ、事故の検分は俺達の仕事じゃあ無い」

蒼い偏光マスクの向こうに、彼の視線を感じる。

「霧島、辻本。指示は変わらない、宜しく頼む」

機動車に同乗した二課の二人に声を掛ける。二人とも第一現場に配したゲイツ同様、二課における自身の部下だった。着装しているのは防弾防爆を目的とするダマスカス・タイプ・アーマー、シオンが今着ているものと同じだ。しかしモジュラー・ヘルメットではなく二課共通装備の防爆バイザー付ヘルメットを被っていた。

「近辺の街頭カメラのメモリを接収、その後にこの交差点の詳細な撮影ですね」

霧島は静かに言った。しかしその隠しきれない興味は輸送車に向いていた。

若年の辻本はその気配がより濃い。

「そうだ、撮影についてはこちらが指示を出す。以上、作業開始」

それを断ち切るように指示を出す。

敬礼し散開した二人の背と追従する自走ドローンを見送る。


・・・


 全周を遮光フィルムで覆われた輸送車はさながら軍隊の前線野営テントだった。

そして遮光フィルムの中で四隅から投光器に当てられた件の鋼鉄の輸送車。

横転時の傷跡が投光の極端な光源位置のせいでひどく凄惨に見える。

爆撃でも受け撃破のされたような破損だ。

決して横転や掠った程度の損傷では引き起こせない。ましてや積み荷を脱落させることなどあり得ない。

交通事故として想定される損傷であれば、引き起こして運転システムを再起動すれば社までの最短ルートを算出して勝手に向かうだろうが、しかしそうはならなかった。

現実として眼前に立ちはだかる事象、けれどそこに実感という質量のある確さが伴わない。妙な気持ちの悪さが居座る。

「輸送車の運転席直下にあるバッテリーパックが横転直後に爆発、衝撃で荷台のコンテナを損傷しハッチが開く…なぜ?」

ブラストも顎に手をやって俯いている、やはり疑問は同じらしい。

この輸送車、というよりイズナが用いる輸送車は基本的にバッテリー駆動の無人操縦となっている。その荷台のコンテナは社内貨物輸送における機密指定の最高値のレベル5Aのものが使用されていた。

3層構造の重厚な外殻による頑強さで中身を保護するよう設計されているのが特徴であり、少なくとも車両の駆動バッテリーからの出火、爆発には十分耐えられる筈であった。

何かがおかしい。

一見それなりにあり得るような事故、だがそう断定してしまうことに躊躇いがあった。無論まだ発生から一時間弱しか経過していない、判断するには解析と検証があまりにも足りないのは理解している。

それでも沸き立つ漠然とした違和感。否、旧い言葉でいう所の「蟲の報せ」が適切かもしれない。確証は見出せないものの決して良い方向には転がらない、そんな予感があった。しかしそれに対して理性は拮抗してせめぎ合う。極端に事態を悪く捉え過ぎるな、事実をもう一度見直し思い込みに呑まれるなと、そう声高に叫ぶ。

予感も理性もどちらも過信するのはいけない。それらを織り込んだ上で眼前に起きる事実をどう結論付けるかが問題なのだ。

それはかつてゲイツの思想を推察して得た己の考え方であった。直接言葉で伝えられた訳ではない。勝ち得た身体と技と経験が、あの時ゲイツの施した教育の意味を解凍してくれた。故に身に染みて理解できるのだ。本能と理性を従えて思考出来る事こそ人間の本質の一端、個人の資質というものを決定するのだと。

だから考える、どちらに身を任せるべきかを。考える、考え抜く。

(何かが起きている、現在進行形でだ。この件はまだ…)

「「終わりじゃない」」

漏れ出た意志、ブラストも同じ境地に居たらしかった。

果たしてそのカンとでも言うべきアナログで非合理的な、しかし真に迫る感覚の正誤は次の瞬間に示される。

ビープ音が鳴る、視界にポップアップが表示される。それは探査用の小型ドローンがコンテナのスキャニングを終えた事を伝えるものだった。

ファイルを開く。

「…嘘、とは言うまい」

隣に立った隣に居る蒼き突風の呟きが直感の正しさを裏付けた。

ホルスターから愛用のM9A1を抜く。フレームの下部にマウントされたフラッシュライト点灯させて横倒しの車両天面に歩み寄ると、足元のひしゃげたコンテナ外殻に生じる隙間に光を当てた。この輸送車のコンテナは荷の積み下ろしの為の開口部が側面に存在し、展開時はこの側壁全体を上方向へ大きく跳ね上げる形で開口するように設計されていた。ライトで照らしている部分はコンテナ上面の左辺であり、側面壁を開く際のヒンジとなる部分であった。

ライトを当てる角度を変えながら屈みこんで中を覗き込む、そして息を呑む。

数瞬前にデータを見た時はスキャニングのエラーを考慮した。万が一にも、それは起こり得るからだ。

「無いな…」

やはりか、とブラスト。

「オーバーホールの為に回送中だった戦闘仕様のアンドロイド…それも社内用フルスペックモデルが五十体、全て無くなっている」

フラッシュライト刺々しい輝きがが照らし出すコンテナの中は、虚無の如き暗闇だった。

中には何も無い。

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