一部 幕間 未だ霧中

 リージョン上層都市の高度に制御統括された社会機能は、大戦以前の世界が求めていた高度技術社会の在り方なのだろう。しかしそれを得るために、人類は自身の手で社会を限界まで破壊しなければならなかった。

この事を皮肉と感じる自分の感性を、無視したくは無かった。


 I.P.E.法務部二課所属【シオン】は、その日社内某階のオフィス入り口に立っていた。無論、彼が所属する二課のオフィスではない。

腕時計に目を遣ると、指定された時刻まではあと数分だった。

それでも頑なに指定時間を待つのは、単に指定時以降でなければ自分のパーソナルデータが眼前のオフィスのセキュリティチェックに反映されないからである。

扉横の壁面に腕を組んで背を預ける、正面の窓ガラスに映る己と相対する。社内業務時に着用するいつものスーツ姿、表情は決して明るくは無い。沈んでいるという程でも無い。別部署の社員が軽く会釈して目の前を通り過ぎる。自分も軽く頭を下げて返す。

そうしながら思い返す。自分がここに立っている理由、その経緯。それら全ては事前に細密かつ明確に説明されていて、その意義をよく理解しているつもりだ。故にこの業務に従事することに全く異存は無かった。

『法務部一課』

しかし、いざそのオフィスの銘板を前にすると、独特な緊張を覚えるのもまた事実だった。


1


  一昨日 昼 法務部二課オフィス内課長室 


 壁面のディスプレイに表示されたのは、本社ゲートを通過する見慣れた社用車両数台の静止画だった。枠外の付記を見ると、撮影されたのはつい今朝だとわかった。

車列はバンが三台と小型の輸送トラックが一台。そのうち先頭から二両目のバンの窓に焦点が合わせられ、画像が拡大される。しかし車内は不自然にモザイクが掛かっており様子が見えなかった。これは車側から展開されている、電磁妨害によるものだった。そこに画像処理が掛けられる、粗く不鮮明だった内部が判明する。

「この人物が、一課で独自に雇用した〈傭兵〉ですか。」

画角とサングラスのせいで、そこに映る男の浮かべている表情は分からない。噛み締めるようなシオンの言葉に、二課課長はゆっくりと頷いた。

「正確には一課による雇用ではない。同課所属のブラストという社員が、彼と個人的に契約を結んだ。それを一課は追認した、というのが正しい。後ろのトラックも傭兵が使用する強化装甲服が積まれているとのことだ」

 画面が切り替わる、今度は傭兵として男のプロフィールが表示される。

思わず喉元まで声が出掛かったのは、その男の名前が原因だった。

平静を保ちつつ他の項目に意識を滑らせる。しかしそれもやけに空白が目立っていた。

単純に掴み切れていない情報もあるのだろうが、それはきっとこの目の前の空白よりも少ないだろう。社内情報の閲覧権限が細かく設定されているこの会社において、この空白が語るのはただ一言。

『お前が見ていいのはここまで』である。

課長に促され椅子に腰かける。表示されているプロフィールを目で追った。


  年齢不明

  身体性別は生身であれば男性、性自認は不明

  身長はおよそ一七〇センチ前後

  セヴェル地区の傭兵派遣会社バード商会に所属

  ランクはB級

  商会に傭兵として登録されたのは数年前、更に以前の経歴は不明


「先日の襲撃を覚えているかね?」

「ええ、私も出撃しましたので」

シオンの目線に追従し、今度は戦闘中と思われる画像が表示された。

全身を包む強化装甲服は黒一色、視認性低減の為だろう。決して重装甲という訳ではない。バイタルエリアに重点を置いてハードタイプの防弾部材を使用、それ以外はソフトタイプのものを積層する形で使用している。可動域と防御性能の両立を目的としているらしい。そして背面には飛翔用の推進器を装備している、三次元的な機動戦闘を得意とするようだ。

細かいディティールが見えたなら、もっと彼についての考察を立てられただろう。だが望遠画像を更に拡大処理したらしきこの画像で、これ以上の装備判別は難しかった。

「この画像の出所だが、撮影されたのはおよそ一カ月前。敷地内の監視カメラ映像が元となっている」

一カ月前、社の敷地内。なるほど、とシオンは内心で唸った。

そんな人間を個人契約として軽々迎え入れる、課がそれを追認すると言うのも妙な話だ。

「ところで、一課の社員はどのような理由でこんな男を雇ったんです?」

決して表舞台に出る事は無く、この会社の動きに従って揺らめく影のような法務一課。たとえひとりの社員の行動であろうと一課のやることだ。その行動は社の状況を何らかの形で映し出している。少なくともシオンは彼らがそういう性質であることをよく理解しているつもりだった。


2


 課長は自ら肩の力抜くように、手元のカップからコーヒーを一口あおる。ハンカチで口元を拭うと、おもむろに立ち上がった。そしてそのまま窓際に立った。

「シオン君。キミはこの街で今、何が起こっているか知っているか?」

彼の指先が窓に触れると遮光スモークが解除された。薄暗かった室内に陽光が差し込む。目を細めつつ、彼と並び立つようにシオンは窓際へと歩み寄る。

その問いを投げかけられた時点で、言外で彼が何を言いたいのかすぐに合点がいった。自分が今日まで抱いていた疑念が裏付けられた瞬間でもあった。

見下ろす街並みは中層や下層と違い整然としている。しかし事故処理を行う緊急車両の車列が街道を駆け抜けていき、高層ビルに切り取られたリージョン上層の空に、数条の黒煙がたなびいていた。

シオンがここ一カ月ほどの間で抱いていた疑念。その芽となったのは、この街を支える交通支援を中心とした各制御AIやライフラインの不具合と、それによる事故の増加だ。そしてそんな都市機能のエラーから生じる都市そのものの不全であった。まだそれは燻ぶった種火がわずかな煙を上げているに過ぎないが、このペースで機能不全が増えていったときに、この街がどんな事態に陥るか想像に難くはない。

課長の問いは、この不具合が偶然や単なる事故ではないとむしろ示していた。

「私程度の人間でも想定できる事態なら、幾つか」

「そう謙遜するな。この情報統制下で察せるキミだからこそ、今日ここに呼んだのだ」

課長と自分の考える事はやはり同じらしかった。

「…恐れ入ります」

風に溶けて行く黒煙から彼の方を向く。

「二課でさえ気付くのですから、一課は当然把握済みでしょうね」

「…ああ。そしてこの件の解決のために、一課の社員はあの男をわざわざ雇ったとみるべきだ」

一カ月前の襲撃に参加しているとはいえ、単に情報が欲しければ雇うよりも取引がセオリーである。体裁的な問題を回避するための形だけの雇用だったとしても、わざわざ本人と装備一式を本社まで運ぶ理由はない。ただの傭兵だったなら。

「シオン君、まずキミの仕事はこの都市機能の異変について一課との合同調査チームに参加してもらう。これは一課からの打診によるもので拒否権は無い」

課長の瞳は、しかし自分を見ていなかった。

「…その他には?」

言い過ぎだと、もしここに第三者が居たら咎められただろう。だがここには己と課長しか居なかった。きっと自分以上に、彼はその事を理解しているに違いない。

「この傭兵が本物かどうか、見極めて欲しい」

窓ガラスの操作パネルに手を伸ばす、遮光スモークが再び掛けられる。濡羽色をした膜が広がり、外の色彩がたちまち消えた。

「本物の【RAY.D.FUSE】なのかどうか、ですか」

「そうだ。その名前で我が社に関わる以上、見極めなくてはならない。一課のカウンターとなるのが我々二課だ」

シオンは黙って頷く。

彼の言う通り、二課の存在理由のひとつに一課に対するカウンター勢力としての機能、最悪の場合におけるブレーキとしての役目があった。

そもそも一課は社全体の動向に対するカウンターという役目が与えられている。強大な戦闘力を保有しているのはそのためである。それに比べて二課は純粋な戦闘力こそ低いものの、彼らとは真逆にメディアに露出し存在が公にされていた。その背景にあるのは世論訴求力を武器として考えている点であった。つまり一課の存在と行動の公表、それを行うに足る設備やノウハウ、何より世間からの信用を有している事が一課への対抗となっているのだ。

それを踏まえて考えると、この一課からの合同調査打診は別の意味を含んでいる事が見える。即ち、一課自身の行動の必要性や正当性の提示である。

逆に二課はそれに乗るしかない。乗らないという選択肢を取った時点で、彼らの正当性の証明を放棄したことになる。それは課の存在理由を投げ捨てるのと同義だ。

「やりますよ、課長」

「…ありがとう」

拒否権の有無ではない、それは間違いなくシオンの言葉だった。


3


 合同調査への参加を示すサインをインクで刻みながらも、しかし一つ釈然としない事があった。恐らくそれはこの調査に身を投じている渦中でも、決して脳裏から剥がれる事は無いだろう。だがこの疑問こそ課長は答えない、そういう確信がシオンにはあった。故に考えられずには居られない。

この傭兵を見極めた先にあること…


奴がもし本物の【RAY.D.FUSE】だった時、社は彼をどうするつもりなのか…


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