第7話:共同戦線

 部屋から出てきた百合谷さんは、入った時よりやつれていた。


「見てらんねぇな……行くぞ大輔。大輔?」


 今あの部屋にはアルカナ=コインがある。あの顔。彼女は多分、明日飛び降りる。彼女が死を決意したきっかけは何だ? それを知らないまま声をかけるのは危険じゃないか? 涼介の声が遠くなっていく。武田先生が犯人なら……俺たちはどうするのが正解なんだ?


「涼介。俺は宿直室に行くのは危険だと思う」


「何言ってんだ? 行くのは百合谷さんのとこに決まってんだろ」


「違う! 彼女は……百合谷さんは明日死ぬんだ! 彼女が死ぬきっかけを知らないまま声をかけるのは……」


「明日死ぬ? 何言ってんだ? また変なコインでも……」


「涼介くんに……佐伯くん? こんなところで何してるの?」


 顔にかかった長い黒髪。真っ白な肌に張り付いたような笑顔は、井戸から出てくる女より怖かった。


「ゆ、百合谷さん……何でここに?」


「私の名前が聞こえたから。それに眞白くんにはルナでいいよって言ってなかったっけ?」


「あ、あぁ……そりゃすまん。えっと……」


 まごまごしてこっちを見てくる涼介。丸投げしようとしてるな? そうはさせない……って言いたいけど、ここは俺が言ったほうがいいか。なんせ実体験してるわけだし。


「百合谷さん……暴行を受けてないかな。俺たちはそれが聞きたくてここで待ってたんだ」


「受けてないよ。心配ありがと……でも大丈夫だから」


 可愛らしい笑顔だ。でも違和感の塊だ。涼介の眉間にシワが寄ってる。無理してるのが丸わかりだ。


「百合……ルナさん。ほんとのこと言ってくれよ。大丈夫だ。俺らは全部知ってるから」


 笑顔が凍る。仮面が剥がれていく。剥がれ落ちた仮面の下は、激しい怒りが渦巻いていた。


「全部知ってる……? 知ってるから何⁉︎ 強請るの? それともあの人みたいに私の体が目当てなの⁉︎ あなたたちにどうにかできる問題じゃない! 助けてくれるわけじゃないなら希望なんてちらつかせないで!」


 扉の開く音がした。3人の肩が跳ねる。宿直室じゃなく職員室のだったけど、敏感な俺たちは反応してしまった。それがいけなかった。


 喧嘩してるんじゃないかと疑われ、必死の弁解の後帰路に着く。解放されたのは午後7時を回った頃だった。




+++




 帰りの電車内。俺たちはまだ……ギリギリ話し合いを続けていた。


「もういいって言ってるでしょ。いくら涼介くんでも踏み込んじゃいけない場所ってのもあるんだよ?」


「だから! 別に何が目的ってわけじゃないんだって! いいから話を聞いてくれよ!」


 もうこれは喧嘩と言ってもいいかもしれない。俺はひたすら空気に徹していた。俺が参加すると多分、周囲にはいじめに見えるから。


「大輔! 何とかしてくれよ!」


 何とかしろって言われてもなぁ……お前に落とせないなら俺には到底無理なんだけど。

 あぁ、でも。俺しか知らないこともあるんだっけ。


「百合谷さん、明日死のうとしてない? 屋上から飛び降りてさ」


 百合谷さんの小さな肩が跳ねる。俺は構わず下を向いたまま話を続ける。


「痛かったよね。首を絞められて、何度もお腹を突かれて。殴られるより痛いよね。でもね、飛び降りってそれより辛くて痛いんだよ。飛び降り自殺は気絶するから痛くないなんて言われてるけど、そんなことない。骨が砕け、肉が潰れ、神経に骨が刺さって、痛いなんてものじゃない。わかってる? 死ぬってのはそう言うことだってこと」


 実際に経験したからわかる。息ができなくなるより辛かった。あれに比べたらテストなんて楽勝だ。呼吸するようなものだ。

 涼介まで生唾を飲み込む始末。ゴクリという音が重なったような気がしたけど……気のせいだろうか?


「だから今回だけでいい。真実を知ってしまった俺たちに話をさせて。このまま百合谷さんに死なれたら、俺たちまで死ななきゃいけなくなる」



 百合谷さんは何も言わなかった。俺の話した計画に、ただ黙って頷いた。

 最寄駅なのだろう、彼女が電車を降りるため、僕の前を横切った。


 どうかこの甘い香りが、風にさらわれませんように。

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